なぜアイヌばかりが考え答えを出さなくてはならないのか

ダウンロード
7月1日部会2(原田).pdf
PDFファイル 43.9 KB

日本平和学会2017年度春季研究大会 部会2

 

なぜアイヌばかりが考え答えを出さなくてはならないのか

 

 

フンペシスターズ

原田公久枝

 

 日本人であれば生まれた時から日本語を浴びて生活して、ものごころつく頃にはそれを理解し使えるようになり、幼稚園で字を習い始めて小学校に入ると「国語」として学び、「社会科」で日本の歴史を学び、日本人としての躾を受けて長じる。当たり前でしょうが!と思われるかもしれませんが、アイヌはどうでしょうか?

 生まれた時から日本に組み込まれてはいるものの、小学校に入る前から“アイヌ”として差別されて、勉強どころじゃない“いじめ”を受けて長じる。毎日毎日「アイヌアイヌ」といじめられ、疎ましがられて、(自分はいったい何だろう?アイヌって何?とにかくイヤだ)と思わされながら生きるわけ。天真爛漫な良い子には中々育たないわな。来る日も来る日もアイヌとは、自分とは、とアイデンティティについて考えさせられて、でも親もその親も貧乏のどん底で生きているので、フツーより早めに社会に出て、その社会でも差別、いじめに合う。しかし教育もちゃんと受けていないから、どうしてアイヌだといじめられるのかもわからないまま、とにかく毎日を乗り切って汲々とした生活を送る中で、無い頭でアイヌとは、自分とは、と考えているうちに、このまんま何かイヤだなーと思わされながら生きているのはみじめだから、先祖のこと少しでも良いから、と思って勉強始めるが、ちゃんと学校に行ってなかったりだからどう勉強すれば良いかわからない。それでも何とかかんとか勉強するんだけど慣れてないから時間かかっているうちに年取って何もものにならんうちに死んでいく。これがアイヌの一生何だろう。初めっから日本人とこんなに差をつけられてるんだもの、どうしようもないわな、と思わない?それとも私が甘えているんだろうか。

 私はたまたま踊り好きだった母に連れられて、ものごころつかないうちに5歳頃からアイヌの踊りを習った。ばーちゃん達の素晴らしい声に魅了されて歌も覚えた。楽しいなぁ面白いなぁとわくわくしていたのも束の間、小学校に入ると私以外誰もアイヌの踊りなど知らない中、見た目がアイヌだから、という理由で毎日いじめられる。学校の人達は私が踊ったり歌ったりしていることなど知らなかった。ただアイヌということ、それだけでいじめるのには充分だったから。学校が荒れていた頃のいじめだったから本当に過酷だったし、ハッキリとアイヌだとわかるのは私一人だった学校で800人とかいる中で孤立する恐怖など味わった者にしかわからないと思う。いじめられて(どうして?)と考え、しかし毎日“学校に行く”ということに追われていた小・中学校を経て、15歳で社会に出て“働く”ことに追われながらも「アイヌ」として差別され(なぜ?)と考え、考えてばかりの人生をありのまま話したいと思います。