福祉は平和の具体化 ―優生思想を超えて、いのちの平和論へ―

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日本平和学会2017年度春季研究大会

報告レジュメ

 

福祉は平和の具体化

―優生思想を超えて、いのちの平和論へ―

 

東海大学非常勤講師・人権活動家

安積遊歩

 

キーワード:内なる優生思想からの脱却、医療の暴力性を問う、日常の中にある戦場、身体の植民地化、命の対等性

 

1.はじめに

 自分たちの肉体を人体実験の実験場として、あるいは虐殺のターゲットとして使われた当事者として、平和とは何かを日常の暮らしの中から考察する。また、アフリカを中心とした女性たちに行われているFGMやアルビノの人たちに対する凄まじい暴力を許さないための活動を展開してきたなかで、福祉こそが平和の具体化であることを提示する。また、貨幣経済があるところに構築された優生思想を核とする差別的システムの数々が平和を徹底的に阻害していることを見ていく。

 

2.内なる優生思想に追いつめられる人々

 優生思想とは、人の身体に価値付けをしてその身体の生命活動の源である命を「良」・「不良」と分断することである。「良」とみなされた命は生きてよく、「不良」とされた命は愛情深い大人が一人でもいれば生き延びることが可能だが、もし皆無であればたちまちに抹殺される。現代においては出生前から優生思想が過酷に胎児に襲いかかっている。出生前診断で、生まれる前の命を選別し、抹殺を図ることが可能となっている。しかし、私たち当事者からすれば、出生前診断によるその選別は、昨年やまゆり園事件で起こった大量虐殺を生む呼び水であり、強力な背景である。

 貨幣経済社会の中にある様々な身体は、まず、出生直後大人たちによって「良」・「不良」と分断される。生きることが経済的価値と完全に繋げられているために、生命の核にある愛情によって成り立つ暮らしは徹底的に踏みにじられ、胎児はもちろん、障害児とレッテルを貼られた子に対する親の無理心中という名の殺人も未だなくならない。

 

3.経済至上主義・大量消費至上主義がもたらすもの

 特に日本では近代以降、「生産性」と「権力に対する従順」こそが求められてきたために、障害があることでそのどちらにも位置できないとみなされる命は、徹底的に価値が無いとされる。「役立たず」や「不具者」とのみレッテルを貼られ、排除と隔離の中に追われてきたが、戦後、それでも少しずつ曖昧な人権意識が付与されていった。しかし、唯一その存在を公に許されるのは、障害のない人々のための医療に実験場としてその身体を提供することであった。

 私は小学5年から中学1年まで、養育園という名の施設に住んだ。そこには養護学校が併設されていた。そこで、中学1年のとき、国語の教師から、弁論大会の出場を勧められ、その原稿に私は見事に優生思想社会の重度障害児の位置を喝破する文章をしたためた。重い障害者たちは多数派のため医学、つまり、価値ある命を救うための医学にその身体を実験されてこそ存在価値があるのだ、ということを明確に書いた。しかしその教師は貨幣経済の真実を見抜き、その実験的治療を繰り返されている子どもたち側に立つことはなかったから、私を激怒して、弁論大会の登壇は中止となった。私は13歳であったが、周りの仲間たちや自分にされた治療の数々の過酷さ、差別性を見抜き、13歳で現代医療への訣別を果たした。当時の脊椎測弯やCPの子どもたち、そして私のように骨が曲がっていく特徴を持った子どもたちに対する手術は過酷を極めた。

 つまり、障害のない人々を助けるための医療の中で自分の肉体を提供して暴力的な手術を繰り返されても、幼さ故に言葉を駆使できないために、暴力を治療と言い換えてくる医療に従順である以外に生き延びる道はなかったのだ。

 

4.暮らしの中で感情を表現して生き延びること

 繰り返された身体に対する全く無駄な様々な介入に対して、当事者である私は「痛み」を感じ続け、それを表現し続けることによって生き延びた。命と身体を守る思考を維持し、命と身体を守るための感情表現もまた、それを受け止めてくれる聞き手がいない場合、押さえ込まれ、踏みにじられ続けるので、生命にとっての生きようとする意志・思考・行動はさらに歪められる。私の場合、母は私の痛みに対してその痛みはまるで自分の身体に起こったことであるかのように涙し嗚咽し続けた。当時の私には母の涙が弱さ・無力にしか映らなかったが、その後ピアカウンセリングの理論を知るに及んで、傷付いた感情を貯めないことの重要性を確認した。今母の涙の中で命を守りきった私は、同じ身体を持つ娘に過酷な治療を選択しないという優生思想からの自由さと共に命のバトンを繋いでいる。

  

5.平和はまず環境を整え、対等な生命権を互いの間に構築すること、つまり、福祉を具体化することで成就する

 私は環境問題にも様々な関心を寄せているが、最大の環境はそれぞれの身体であることをここで強調したい。身体に加えられる様々な暴力は、医療や教育や伝統や文化という名によっても日常の中に起こり続けている。FGMやアルビノの人に加えられる死にも容易に追いつめられる暴力と私が現代医療のなかでされてきた医療という名の暴力は、私にとっては非常に酷似したものである。これからはさらにFGMとアルビノと現代医療の近似性を研究し、幼い子に加えられる暴力を一掃したい。

 

参考文献

安積遊歩「癒しのセクシー・トリップ」

安積遊歩「ピアカウンセリングという名の戦略」

野田正彰「戦争と罪責」