憲法革命の実現―脱植民地化への道筋
稲 正樹(元国際基督教大学)
はじめに
日本における植民地経験の評価の不在:敗戦とともに迎えた新憲法制定時、サンフランシスコ条約締結時、安保条約締結時、沖縄復帰、冷戦の終焉という戦後史のすべての時点における論議の不在。
日本側からの問題提起として、岡本厚「日本の対北政策転換の展望と和解協力政策」徐勝・中戸祐夫(編)『朝鮮半島の和解・協力10年―金大中・盧武鉉政権の対北朝鮮政策の評価』御茶の水書房、2009年。韓国側からの問題提起として、権赫泰「周辺国から問う、改憲と歴史認識」世界2007年10月号。
千葉眞の言葉を借りれば、日本国憲法は憲法革命として「未完のプロジェクト」たる性質を色濃く帯びることになった。日本国憲法は、その後に達成されるべき政治変革と社会変革の起点でもあったが、その内実は不充分なものであった。世代を超えたプロジェクトとしての憲法革命の実現。「活憲論」のアジェンダの一つは、いまもって冷戦構造を引きずっている東アジアにおける平和と和解の実現、すなわち脱植民地化への道筋の明示である。
1 日本憲法学の植民地主義に対する無自覚
以下の、内藤光博の全国憲法研究会における問題提起に同感。
〇戦後民主主義論および戦後憲法学の構築において、植民地支配(植民地主義)および侵略戦争による内外の個人被害者の被害回復が、起点とされなかったのではないか。戦後民主主義論・戦後憲法学が、戦前の「植民地主義」および「侵略戦争」に対する責任としての「戦後処理問題」を正面から対象としてこなかったのではないか。それをもたらした3つの理由。①不明確にされた戦争責任:冷戦の開始とともに、アメリカの対日占領政策が転換され、東京裁判(極東国際軍事裁判)では、昭和天皇の戦争責任が問われることがなかった。それとともに戦前の戦争指導者たちの責任も免責され、旧勢力が温存された。②東京裁判における「アジア不在」:東京裁判に関わったアジアの国は、中華民国・フィリピン・インドの3カ国であり、アジア諸国の人々が被った被害が正面から取り上げられなかった。③サンフランシスコ講和条約における国家賠償の免責:「日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在十分でないことが承認される」(サ条約14条a項)。「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及び日本国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権・・・を放棄する」(同14条b項)。この規定により、日本は、連合国に対する戦時賠償のほとんどを免れることになった。また当時、この条項に基づき賠償を放棄しなかったフィリピンとベトナムとは賠償協定を結び、賠償金を支払ったが、講和条約締結の当事国とならなかった他のアジア諸国に対して日本政府は、賠償請求の放棄を条件に、生産物・役務の供与や経済・技術協力ないし円借款など経済協力による解決方法を採り、「国家間の賠償問題は解決済み」とした。
〇戦後憲法学の戦後処理・戦後補償問題に対する視点の欠如:①戦前憲法学と植民地主義 ex.清宮四郎の場合、②宮沢俊義「8月革命説」の陥穽、③外国人の人権問題の議論の仕方。
2 戦後補償裁判における憲法理論
これまでの戦後補償裁判における法的障壁(国籍条項、国家無答責、時間の壁、国際法上の個人請求権、包括的戦後補償立法の不存在)に加えて、中国人慰安婦一次・二次訴訟、劉連仁強制連行裁判、広島・西松建設強制連行裁判、福岡三井鉱山強制連行裁判に関する最高裁2007.4.27二小判は、問題の裁判的救済の道を最終的に閉ざしてしまった。しかし、以下のような、「平和憲法史観」に基づく憲法前文の歴史規範的解釈を発展させ、補強していくことによって、裁判的救済にとどまらず、和解と協調のための憲法政策を考究すべき。
〔日本国憲法前文は、ポツダム宣言の主旨を履行し、日本の戦争責任を果たす義務と、平和な国際社会の構築の責務を明瞭にしたものであるといえる。このことはとくに、憲法前文のいくつかの文言に見ることができる。
前文の規範内容は、当時の歴史状況に照らして考えると、歴史の連続面としての戦争責任(および戦後処理)を果たすべき国家の責任と、将来的に二度と同じ過ちを繰り返さないための平和な国際社会の構築の責務を明確にしたものであるといえる。すなわち、日本がもたらした「戦争の惨禍」、すなわち植民地支配による強圧政治やカイロ宣言にいう「朝鮮人民の奴隷状態」をはじめ、中国、台湾、その他のアジアの人々に対する奴隷的強制や専制的支配により、多くの人々の生命を奪い、身体を傷つけ、財産を奪い、多大な精神的苦痛をもたらしたことへの反省にたち、国家主権を超える「高次の法」として「普遍的な政治道徳」を認めるものである。
これらの憲法前文の文言は、他国の主権あるいは民族の自決権を尊重すべきであるという、当時確立しつつあった国際法の原理を確認するものであるとともに、植民地支配・侵略戦争の被害者の被害回復、すなわち賠償(補償)と謝罪を行うべきこと、すなわち「戦後補償の遂行義務」を要請している。
日本国憲法前文が要請していることは、こうした「戦争の惨禍」がもたらした内外の個人被害者に対する「重大な人権侵害」(国際法違反行為を含む)に対し、補償を誠実に行うことであり、国会は日本国憲法前文にもとづき、戦後補償立法の制定や被害者の被害回復に対する義務を負っているものと考える。〕
3 日韓の和解と協力のために
〇1991.8の金学順の元「慰安婦」名乗り出から、2015.12の日韓両外相会談における「慰安婦」問題の最終的かつ不可逆的解決の「合意」に至るまで、「慰安婦」問題に代表される植民地支配問題の真の解決はなされてこなかった。「正義」と「記憶」の問題に入り込もうとしない、和解と協力の試みは無意味ではないか。Mikyoung Kim & Barry Schwartz (eds.), Northeast Asia’s Difficult Past: Essays in Collective Memory, Basingstoke, Hampshire: Palgrave Macmillan, 2010. 金美景、B.シュウォルツ(編著)、千葉眞(監修)、稲正樹ほか(訳)『北東アジアの歴史と記憶』勁草書房、2014年。
〇日本側の河野談話、村山談話、菅談話をどう評価すべきか。Kazuhiko Togo, Japan and Reconciliation in Post-War Asia: The Murayama Statement and Its Implications, Palgrave, Macmillan, 2013.
〇テッサ・モーリス・スズキの以下の「連携」implication(「事後共犯」accessory after the fact的な関係性)の主張は、過去の植民地支配の問題になぜ現代の世代がコミットしなければならないのかを、考えていくために有用。
〔実際に手を下したことではないにせよ、過去の不正義を支えた「差別と排除の構造」が現在も生き残っているのであれば、わたしにはそれを是正する責任が確実にある。20世紀後半から21世紀を生きるわたしたちは、過去の憎悪と暴力に直接関与していないかもしれない。しかし過去の憎悪と暴力は、現在わたしたちが生きるこの物質・精神社会を「作り上げ」てきた。そして、それらがもたらしたものを「解体」するための積極的な行動をわたしたちがいまとらないかぎり、過去の憎悪と暴力は、なおこの物質・精神社会をつくり続けるだろう。〕
〇「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」と「植民地主義清算と平和実現のための韓日市民共同宣言」の検討。
4 植民地主義克服の後の北東アジア地域の変革のために
〇侵略戦争の責任と謝罪:歴史問題にはっきりと決着をつけること。歴代政府があいまいにしてきた日本による植民地支配と侵略戦争を含め、日本の行動について、国民的議論を起こし、あらためてアジア諸国に対する謝罪と被害者に対する個人賠償の検討を開始しなければならない。
〇北東アジアにおける軍事的緊張の緩和と非核・平和保障機構づくり:北東アジアの緊張緩和と平和保障の制度づくり。そのために、日本は、憲法9条が謳う「武力によらない平和」の理念を自国の外交原則とすることを宣言し、それに基づく既存の外交政策の根本的転換を行なう。
5 沖縄問題の解決のために
〇辺野古新基地建問題にみられる植民地主義の現況:①衆議院憲法審査会における小林武参考人の「国・地方関係のあるべき姿―沖縄を視野に入れた参考人意見」の検討。②辺野古訴訟2016.9.16福岡高裁那覇支判の問題点。<裁判所の役割>立憲民主主義の下での裁判所の役割は、<法の支配>を実現する機関として、<国民>の基本的人権を守ることを通じ、<多数決>による支配を抑止し、少数者の意思を尊重するように民主主義の十全な稼働を保障することであると同時に、立憲地方自治の下で<法の支配>を実現するとは、裁判所が<自治権〔住民自治・団体自治〕>を守ることで全国政府の横暴を抑止し、少数者である地域の<住民>の意見を尊重するように民主主義の十全な稼働を保障することであるとすれば、本件での裁判所の役割は、紛争の原点である普天間飛行場の返還について沖縄県と国が対等に協議を進める環境を整備すること。
〇安保条約の解消、日米地位協定2条の改定による基地返還要求の明記、国会における常任委員会の設置などの提案について。
6 サンフランシスコ条約に由来する「未解決の問題」の解決に向けたイニシャティブ
原貴美恵『サンフランシスコ平和条約の盲点―アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」』淡水社、2005年。Kimie Hara, Cold War Frontiers in the Asia Pacific: Divided Territories in the San Francisco System, New York: Routledge, 2006.
7 むすびにかえて