日本平和学会2016年秋季研究集会
報告レジュメ
EDMとコスモポリタニズム
PLURと音楽の暴力性
上智大学非常勤講師 音楽社会学 国際政治経済学(都市政策)
田中公一朗
キーワード:EDM、コスモポリタン、世界市民、PLUR、中世
1. はじめに
世界中を席巻しているEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)。この音楽には何があるのか。その音楽の背景にある政治的な思想を考える。EDMのフェスティヴァルではその政治思想をもとに世界市民が生まれているかを検討、分析する。
2. EDMとはどういう音楽ジャンルか
EDMは2011年ごろに特定の音楽に対して名付けられたジャンル名だが、これが2013年ごろに世界的にヒットし始める。どの程度聞かれたかはチャートの上位にくるとか、ダウンロード、再生回数、ストリーミングの多さで測ることが可能。またEDM系のフェスティヴァルの動員数などでもできるだろう。アムステルダムやドイツの都市部から生まれたEDMは、北米、ヨーロッパ全域、東アジア、東南アジア、ラテンアメリカ、オセアニア、中東に広がった。DJと呼ばれるミュージシャンが作曲編曲を行い、自分の曲(アンセムを含む)を軸に、機材を使いながら通常1時間程度のプレイをする。そしてその背景にはPLURという政治的概念がある。
3. 「世界市民」をおさらいする
世界市民、コスモポリタニズムの流れを追う。その定義の確認。カントの『永遠平和のために』の歓待の議論を簡潔に振り返る。またグローバル化の展開の過程で、世界市民的な人々が誕生していることを確認する。しかし、コスモポリタニズムが制度的には実現がはるかに遠いことも同時に進行していることも簡略に確認したい。
4. EDMの聴き手のコスモポリタン的な精神と行動
EDMの背景にはPLUR(peace, love, unity, respect)という価値観が共有されている。これは1960年代のサマー・オブ・ラヴに似る。しかし、この概念の共有は西ヨーロッパやアメリかでのEDMを中心にしたフェスティヴァルに極めて強固だ。この抽象的な概念が現実に機能していることを実例と共に紹介する。PLURがコスモポリタン的なものに近いと仮定すれば、現実としての「コスモポリタン」が音楽、EDMを通じて起きている空間が発生しているということを見たい。ナショナルなものとPLURの関係も確認したい。ただこれらのフェスティヴァルには中産階級以上でないと参加しにくいことにも留意したい。
5. EDMの音楽的な特徴
最後に(可能なら)EDMの音楽的な特徴を挙げたい。不安定な音程、アルペジオの多用、ノイズの多さがその主なものだ。PLURという概念とは相反するように、EDMは音量が大きくて反復が多く、攻撃的で暴力的な音がベースライン(低音部)やキック(リズム)、効果音に聞くことができる。個人的にはこの現象を「耳の中世化」と呼称している。これらの特徴がEDMという音楽ジャンルとも断定可能だ。この一見対照的な現象をどう考えるかを提示したい。
参考文献
カント全集14巻[2000](遠山義孝訳)『永遠平和のために』岩波書店
カント全集15巻[2003](渋谷治美訳)『実用的見地における人間学』岩波書店
デヴィッド・ヘルド[2011](中谷義和訳)『コスモポリタニズム 民主政の再構築』法律文化社
Bill Brewster and Frank Broughton[2014], Last Night a DJ Saved My Life -The History of the Disk Jockey”, Grove Press, 2014