日本平和学会2016年度秋季研究集会
報告レジュメ
パナマ文書と調査報道ジャーナリスト連合
─内部告発、調査報道、社会の反応、それらの連鎖─
朝日新聞 東京本社 報道局
奥山 俊宏
キーワード:パナマ文書、調査報道、国際調査報道ジャーナリスト連合、内部告発、公益通報
1.はじめに
「パナマ文書」は、タックスヘイブン(租税回避地)の様々な問題点を具体的な事例によって明らかにし、大きな社会的な反響を世界中で呼び起こし、是正への動きを後押ししている。本報告は、こうした経緯の背景について、三つの視点から見ていく。第1に、組織の内部の不正・不当・腐敗に関する情報を当該組織の外部に持ち出して社会に問題提起する内部告発を取り巻く環境の変化に注目する。第2に、ジャーナリズム、なかんずく調査報道の意義と役割、その置かれた状況、最近の新しい動きを確認する。第3に、内部告発と調査報道によってタックスヘイブンに関する具体的な事実関係が明るみに出されたことを受けて、社会の側、すなわち、市民社会や各国政府、国際社会がどのように反応したのかを見る。最後に、これら三つの視点を総合し、内部告発と調査報道、社会の反応の関係を考察する。
2.内部告発~「公益通報」として称賛されるように
(1)John Doeの行動とその動機
John Doe(名無しの太郎)を名乗る匿名の人物は2015年ごろ、パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部文書1150万件を電子ファイルの形で南ドイツ新聞の記者に提供した。その電子ファイルのサイズは全部で2600ギガバイトに達した。漏洩された情報の量の大きさで見てそれまでの記録を塗り替える史上最大の内部告発だということができる。
その匿名の人物は、提供の理由について「モサック・フォンセカの創設者、従業員、クライアントは彼らの犯罪について説明しなければならない。そう考えたので、私はモサック・フォンセカを暴露することにした」「不正義の大きさを分かってもらえると理解したから」と説明した。また、「私はいかなる政府機関や情報機関のためにも直接的にも間接的にも働いたことはない。南ドイツ新聞と国際調査報道ジャーナリスト連合に文書を提供したのは私自身の判断であり、特定の政治目的はない」とも説明した。
(2)内部告発に対する社会の評価の変化
内部告発はかつて、組織や同僚を裏切る密告であるとして非難の対象とされていた。社会的に受け入れられず、日本では「公序良俗に反する」との見方さえ有力だった。しかし、その状況は変化してきている。近年は逆に、社会の公益に資する英雄的行為であるとして称賛されるようになってきている。
一定の要件を満たす内部告発を法的に保護しようとする試みが各国で進んでいるのは、そうした変化の表れだといえる。米国は1970年代以降、継続的・段階的に内部告発者保護法制を拡充しつつある。英国は1998年に公益開示法、日本は2004年に公益通報者保護法を制定した(奥山 2004)。
ベトナム戦争に関する米国防総省の秘密報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)を新聞記者に提供した元同省職員のダニエル・エルズバーグ博士は米司法省によって逮捕・起訴された。米国家安全保障局(NSA)による大規模な通信監視を2013年に暴いた元NSA契約職員のエドワード・スノーデン氏も米司法省に追われる身となり、その行動について、米国の論調は「国家への裏切りだ」との非難と、「国家の違法行為を議論するきっかけを与えてくれた」との賛美とに二分された。しかし、パナマ文書を2016年に暴露した匿名の人物については2016年夏の時点で逮捕も起訴もなく、世論が二分されることもなかった。暴露を非難する意見はごくわずかで、世論の大勢はその行動への賛美で占められた。
社会の反応の中でも、オバマ大統領、欧州委員会など行政当局者らが、パナマ文書の暴露について「租税回避がグローバルな大問題だということを思い起こさせてくれた」などと前向きにとらえたことは特筆に値する。欧州連合の執行機関である欧州委員会は7月5日、パナマ文書に触れた上で、租税回避などの不正を明らかにためのより強力な内部告発者保護法制が求められているとして、「内部告発者保護を拡充するため、さらなる措置の必要性を検討する」と表明するプレスリリースを出した。
(3)資料持ち出しの違法性も阻却
パナマ文書には、何らの不正への関わりもない個人や事業者の機微な情報が大量に含まれており、それらを含めて、所有者である法律事務所の管理の下から奪い取って外部に持ち出す行為は、外形的・形式的には情報の窃盗や不正な漏洩にあたる、というように見える。しかし、そうであっても、正当な内部告発に不可欠な行為として、相当な態様をもって持ち出しがなされたときには、その持ち出しの違法性は阻却される。パナマ文書の暴露に対する社会の好意的な反応は、そうした違法性阻却が成り立つことを前提にしているのだとみられる。
パナマ文書の暴露は、インターネット上に全ての情報を無差別にぶちまけた、というのとは異なる。信頼を置くことのできる特定の報道機関のみに提供され、その報道機関の側で、分析と取材が加えられ、ニュース性のある事実関係(公共の関心事)が抽出され、それについて公益性や真実性が厳密に審査され、書かれる側の当事者にできる限り弁明の機会を与えるための努力がなされ、その上で、選び抜いた情報のみが報道機関の責任の下で報道・公開された。報道機関や記者は、すべてが無差別に暴露されることのないように細心の注意を払い、守秘義務を自覚的に負っている。そうした報道機関に渡すための資料持ち出しは、今や、違法性が阻却され、正当な行為だと社会に認識されるようになった、ということができる。
日本では現在、公益通報者保護法の実効性を高めるべく消費者庁で法改正の検討を進めており、「内部資料の持出しに係る責任の減免規定」の導入がその論点の一つとなっている。すでに裁判例では「何らの証拠資料もなしに公益通報を行うことは困難な場合が多いから、公益通報のために必要な証拠書類(又はその写し)を持ち出す行為も、公益通報に付随する行為として、同法による保護の対象となると解される」との判断が示されている(司法書士事務所事務員の退職に関する2009年10月16日の大阪高裁判決など)。消費者庁の検討会のワーキング・グループでは、法曹の専門家の間にも「目的は手段を正当化しない」との消極意見が強くあり、そのような意見があるからこそ法律に一定の要件の下での責任減免を明文化することに意義があるとの意見も出ている。
パナマ文書の報道機関への提供は、こうした法的な保護に値する正当な「公益通報に付随する資料持ち出し」の模範例と位置づけることができる。
3.調査報道~事実を明るみに出すジャーナリズムの役割
(1)調査報道とは
調査報道(Investigative reporting)は、記者の独自の調査(徹底的な取材)によって、ニュース(政治、経済、社会の組織やシステムに根を張る構造的な不正、腐敗、不合理など)を見つけ出し、つかみとって、報道機関の責任で報じること――と定義される。
調査報道の金字塔として最も有名なのは、ウォーターゲート事件に関するワシントン・ポスト紙の追及で、ホワイトハウスの関与が同紙の報道で暴かれ、最終的に1974年、ニクソン米大統領(当時)は辞任せざるを得なくなった。日本では、田中角栄首相(当時)の金脈を暴いた立花隆氏のレポート(文藝春秋1974年11月号)、リクルート事件を明るみに出した朝日新聞横浜支局の報道(1988年)、鳩山由紀夫・民主党代表(当時)の政治団体の収支報告書の虚偽記載をえぐり出した朝日新聞特別報道センターの報道(2009年)がきっかけとなって、それぞれ、田中内閣、竹下登内閣、鳩山内閣が総辞職に追いやられた。
パナマ文書の取材・報道は、そうした調査報道の典型例の一つだといえる。
(2)調査報道の意義
問題が明らかにされなければ問題が解決されることはない。調査報道は社会の問題を明らかにすることで、結果として、その問題を解決に導く役割を果たす。
報道は、腐敗物を熊手でかき集めて明るみに出して滅菌する「マックレーカー(Muckraker)」、読者のために権力を監視する番犬(Watch Dog)、あるいは、立法、司法、行政の3権をそれらの外部から牽制する第4権力(The Fourth Estate)としての役割を果たすことを社会から期待・要請されており、そうした役割を担っているのが調査報道だといえる。
タックスヘイブンの問題は、一国の政府によって解決できるものではなく、また、単純な法執行によって是正できる違法行為でもなく、また、政治家や大企業など社会的に強い力を持つ主体が利益当事者として関わっており、外部からはとらえづらく、見えづらい。だからこそ、調査報道の対象とされることの意義が大きい。パナマ文書の報道は、社会から報道に寄せられる期待・要請に応えたといえる。
(3)調査報道の苦難と非営利の報道機関の台頭
当局や企業、政治家らの発表や事件・事故の発生に関する一般の報道とは異なり、調査報道は、手間ひまがかかり、報道機関にとっては無駄もコストも大きい。しかも、調査報道は、当局などの支えがなく、報道機関が全ての責任を負わなければならず、リスクが大きい。調査報道の対象となるのはたいてい有力な人物や組織であり、報道機関やその情報源への嫌がらせなど反撃が激烈となりがちだ。名誉毀損などの理由で訴訟がしばしば起こされ、報道機関にとっては応訴の負担がとても大きい。法廷に提出できない証拠があるため、真実の報道であっても往々にして報道側が敗訴する。
報道機関の経営にあたって株主への配当を短期的に極大化することを最大の目的とする場合、こうした高コストと高リスクはなかなか正当化しづらい。特に今世紀に入って、インターネットの普及によって、既存の新聞社や放送局は広告収入と読者・視聴者を奪われ、構造的な不況に陥っており、これに2008年のリーマン・ショックが加わり、米国では、新聞社や放送局がコスト削減のため急激な人減らしを進められた。そこでは調査報道チームが真っ先にリストラの対象にされ、「調査報道は絶滅危惧種」と言われた。
このようにして調査報道が衰退していくことへの危機感を背景にして、2006年以降、調査報道を実践する非営利組織が相次ぎ発足している。それら非営利組織は、大富豪や財団、市民の寄付金でプロの記者や編集者を雇い、新聞社や放送局と提携してそれらマスメディアを通じて取材結果を発信したり、自らのウェブサイトに記事や映像を掲載したりする。米国だけでそうした非営利組織の数は百を超える。既存のマスメディアにおける調査報道の劣勢への反動のムーブメントだといえる。ピュリツァー賞を受賞するなど実績を上げて生き残りの地歩を確立した組織もある。
(4)国際調査報道ジャーナリスト連合
こうした非営利組織の先例であり模範例となっているのが米西海岸のCenter for Investigative Reportingと東海岸のCenter for Public Integrity、そしてICIJだ。
Center for Public Integrityは大手放送局CBSの調査報道番組のプロデューサーなどを務めたチャールズ・ルイス氏によって1989年に設立され、ワシントンDCに事務所をかまえる。「力の強い公的機関、私的機関による権力濫用、腐敗、怠慢を明るみに出し、それら機関をして、正直に誠実に運営させ、説明責任を履行させ、公益を第一とさせる」との目的を掲げる。スクープを連発し、実績と信用を築いてきている。
国際調査報道ジャーナリスト連合(International Consortium of Investigative Journalists、ICIJ)はCenter for Public Integrityのプロジェクトの一つとしてルイス氏によって1997年に立ち上げられた。65カ国余の190人余のジャーナリストのネットワーク組織で、世界にまたがる問題に関する調査報道で協働する。事務局のスタッフには2016年9月時点でジェラード・ライル事務局長以下13人が名を連ねている。
パナマ文書の電子ファイルは南ドイツ新聞からICIJに持ち込まれ、ICIJの技術陣によって、検索容易なデータベースに加工され、インターネット上の特別に保護された回路を介して、朝日新聞、共同通信を含む76カ国の100以上の報道機関、400人近くのジャーナリストの閲覧に供された。ICIJのコーディネートの下で、世界各地の記者たちが分析と取材を加え、原稿や映像を作成し、2016年4月3日(日本時間では4日)、一斉に報道を開始した。その後、NHKやニューヨーク・タイムズ紙もこれに加わった。
これは、史上最大規模の調査報道であり、また、非営利組織による調査報道の隆盛の最高の到達点でもあるといえる。
4.社会の側における問題意識の高まりと解決模索への動き
(1)市民社会の反応
米ニューヨークで2011年にウォール街オキュパイ(占拠)運動が始まり、英国ロンドンなどに広がった。2012年には、コーヒーチェーン大手のスターバックスの税逃れが英国で社会問題化した。格差の拡大を主題とした経済学者、トマ・ピケティ教授の著書が2014年にベストセラーとなった。
アイスランドのグンロイグソン首相(当時)は、パナマ文書の取材・報道によって、タックスヘイブンにひそかに会社を保有し、その会社が国内銀行に投資していたことを明るみに出され、同国民の激しい批判を浴びた。人口33万人の同国で2万人ともいわれる多数の人が抗議デモに参加し、報道の翌々日には辞意を表明せざるを得なくなった。
(2)各政府の反応
2013年6月の主要国G8首脳会合は租税回避の問題を取り上げ、「公平な租税、透明性の向上」の必要性を強調する宣言を発表した。同年9月にロシアのサンクトペテルブルクでプーチン大統領が議長となって開かれたG20サミットの首脳宣言は「国境を越える脱税や租税回避は我々の財政を損ない、租税システムの公正性に対する国民の信頼を損なう」と危機感をあらわにした。以後、G7など首脳会議で繰り返しタックスヘイブンの問題が取り上げられてきている。経済協力開発機構(OECD)の主導で、抜け穴を塞ごうと制度改正が急ピッチで進みつつある。異なる国の税務当局同士でより多くの情報を共有するようになった。
日本でも、「国外財産調書」制度が2014年1月に施行され、出国税が2015年7月に始まった。2016年10月には犯罪収益移転防止法の改正政令が施行され、外国の政府高官やその近親者が200万円を超える送金などをする場合にはその年収などの確認が金融機関は義務づけられる。
パナマ文書の報道が始まった直後、オバマ大統領は記者会見で、「これは(報道された)他の国々に特有の問題ではなく、率直に言って、アメリカにも同様のことをやっている連中がいる。その多くは適法だが、しかし、それこそが問題だ」と述べ、「不十分な法制度」是正への意欲を明らかにした。
5.連鎖~問題提起と解決模索が循環
タックスヘイブンは決して新しい問題ではない。古くから繰り返し議論され、問題視されてきた。しかし、その実態はなかなか見えなかった。具体的な固有名詞とともにその利用のされ方が明らかにされることはめったになく、あっても断片的だった。タックスヘイブンの問題は多くの人にとって縁遠い話にしか感じられなかった。ICIJの報道はそれに変化をもたらしつつある。
ICIJの事務局長を務めるライル氏は、オーストラリアの新聞社に勤務していた2011年初め、タックスヘイブンに法人を設立するサービスを請け負う二つの業者の内部文書の電子ファイル260ギガバイト分を匿名の人物から受け取った。ライル氏は、それを生かす目的もあって、同年9月、ICIJに転職した。同年12月、朝日新聞の奥山俊宏(私)をICIJのメンバーに加えるなど、ネットワークの拡充に努め、2012年6月には、朝日新聞がICIJのパートナーとなった。
ICIJは2013年4月、南ドイツ新聞や朝日新聞などとともに、260ギガバイトの電子ファイルに基づく報道を始めた。2014年1月には、同じファイルに基づき、中国の共産党幹部の近親者がタックスヘイブンを利用していた事実を報道した。ICIJはこれらの報道を「オフショア・リークス」と名付けた。
以後、ICIJは、大手会計事務所PwCのルクセンブルク法人の内部資料に基づき2014年11月に「ルクセンブルク・リークス」の報道を展開し、金融大手HSBCがスイスに置く富裕層向けサービス部門から持ち出された口座関連情報に基づき2015年2月に「スイス・リークス」報道を手がけ、そして、2016年4月に「パナマ文書」を報道した。それらは欧州で大きく報道され、大きな反響を得た。タックスヘイブンに対する市民社会の批判が高まり、各国政府の対策が進むようになった時期と、ICIJのタックスヘイブン報道がなされた時期は重なり合う。
ICIJのライル事務局長は「情報を扱うことについて評判を得ることができれば、人々(情報源たりうる人たち)はあなたを見つけるでしょう。タックスヘイブンに限らず、薬でも食糧でも、ある問題に関心があるということを一般の人々に知らせることができれば、人々(情報を持っている人たち)があなたを見つけます」と述べる(奥山 2016)。
パナマ文書の情報源となった匿名の人物はその声明の中で、パナマ文書の暴露への社会の反響について、「新しくグローバルな議論が始まっており、それは元気づけられるものだ。エリートの不正に関する示唆を丁寧に除去した昨年までの上品なレトリックとは違って、今回の議論は直接、何が問題かに焦点をあてている」と前向きにとらえている。
内部告発が調査報道の端緒となり、記事が出ると、社会に反響が呼び起こされ、社会の反応に勇気づけられて、新たな内部告発者が現れ、再び調査報道につながる。調査報道の成果が社会を動かし、それがきっかけとなってまた新たな内部告発が寄せられ、その結果、その調査報道がまた新たな社会の反響と内部告発を呼び込む。ICIJのタックスヘイブン報道では、こうした内部告発と調査報道の連鎖が起き、好循環となっているように見える。
参考文献
奥山俊宏(2004)『内部告発の力―公益通報者保護法は何を守るのか』現代人文社.
奥山俊宏(2009)「内部告発と取材源保護 環境変化をとらえ、取材の枠を広げる--隠された不正を記事化する報道機関の役割」『新聞研究』2009年2月号.
奥山俊宏(2016)「パナマ文書スクープの非営利組織ICIJ ジェラード・ライル事務局長にインタビュー」『Journalism』2016年8月号. http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2016080200003.html