政治学的観点から考える安倍政権による「9・17安保法制強行採決」の性格
―“リーガル・クーデター”概念の提案―
東洋英和女学院大学
名嘉憲夫
キーワード:安全保障法制、集団的自衛権、強行採決、立憲主義の否定、リーガル・クーデター
1.問題意識
集団的自衛権に関する2014年7月1日の閣議決定から、2015年9月19日の安全保障関連法案の参院通過までの一連の安倍政権の行動は、マスメディアや野党政治家、元官僚、憲法学者を含む多くの人々によってさまざまに表現された。「民主主義的手続きの軽視」「憲法の無視」「立憲主義の破壊」「解釈改憲」「壊憲」「非立憲」「違憲行為」「立憲民主主義の破壊」「クーデター改憲」「壊憲クーデター」などである。
その間、小林正弥・千葉大学教授(公共哲学)が、一連の出来事を「憲法クーデター」(WebRonza、2015年7月28日)、栗田禎子・千葉大学教授(中東現代史)が「憲法に対するクーデタ」(『現代思想』、2015年10月臨時号)、石川健治・東京大学教授(憲法学)も「法学的にはクーデター」(『世界』、2015年8月号)と呼ぶようになり、政治学的な規定としてはより明確になった。報告者としては、2014年7月1日の閣議決定の当初から、安倍政権の一連の行動を「リーガル・クーデター」という概念で表現していた。
安保法制と集団的自衛権の「違憲性」については、これまで「憲法の解釈という法的な観点」からの研究がほとんどである。報告者としては、むしろ参議院平和安全法制特別委員会における「9.17安保法制強行採決」のありかたそのものに焦点を当て、それを、同様の歴史的事例と比較しつつ政治学的観点からの検討を試みた。その結果、改めて「9.17強行採決」に典型的に現れた一連の安保法制のプロセスを「リーガル・クーデター」として概念化することが可能ではないかと考えるにいたった。
2.研究方法
1)「9.17安保法制採決」についてのNHKおよび民放のテレビ放送、複数の新聞記事、そして国会議員・福山哲郎の参議員議員会館における報告(2015年7月17日)と論文「強行「採決」―あの時参議院で何が起こったか」(『世界』2015年11月号)を参考にして、実際に何が起こったかを分析した。
衆議院平和安全法制特別委員会における採決(2015年7月15日)や衆議院本会議における採決(7月16日)、参議院本会議における採決(9月19日)ではなく、参議院平和安全法制特別委員会の採決に焦点を絞った理由は、「強行採決」のクーデター的性格が明瞭に表れていると考えたからである。与党の委員会議員でない20人以上の議員が議長を取り囲んで行われた採決のプロセスは、①法案を一つひとつ読みあげて採決し、また付帯決議についてもキチンと文言を読みあげて決議するという通常の採決手続きを踏んでいない。②未定稿議事録で「(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)」とされていたのが、その後の「特別委員会議事録」では「(安全保障関連法制の)質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、(安保法制について)付帯決議を行った」と書かれた。弁護士有志メンバーの山中真人氏は、委員会採決は「法的に存在したとは評価できない」(東京新聞、2015年10月12日、朝刊1面)と指摘している。
2)次に、文献による歴史的事例の検討を行った。①戦前の日本における「統帥権干犯問題」(1930年)と「国体明徴問題」(1935年)の事例を、今回の「9.18安保法制強行採決」と比較した。②次に、ヒトラーの政権獲得選挙(1932年)及び「授権法」の採決(1933年)、李承晩政権下の韓国議会における「四捨五入憲法改正」(1954年)、イスラエルのシャロンによる「岩のドーム強硬訪問後の選挙」(2000年)の事例と比較した。③さらに、日本と同じように“軍隊の派兵による侵略戦争”を憲法で禁止した戦後のドイツにおける連邦軍の域外派兵と比較した。
3)小林節慶応義塾大学名誉教授や石川健治・東京大学教授、柳沢協二・元内閣官房副長官などを含む複数の専門家の講演やシンポジウムを聴講し、その内容を参考にして、一連の出来事の論理的な検討を行った。
4)最後に、「革命」や「武力クーデター」などによる政権の獲得や憲法体制変更を、今回の「9.17安保法制強行採決」と比較し、論理的に検討されたクロス表による理念型を構成した。理念型には、新たに「策動クー」(maneuver-coup)と「リーガル・クー」(legal coup)という概念を付け加えた(表1参照)。(*英語の「クーデター」coup d’etat とcoup「クー」は、同じ意味である。しかし「クーデター」という言葉が、“武力の行使”のイメージと強く結びついているため、多少、概念的に区別する意味で「クー」という言葉を使っている。)
3.研究結果
クロス表による理念型モデルを用いると、「9.18安保法制強行採決」を「リーガル・クーデタ―」もしくは「リーガル・クー」と呼ぶことが可能であることが分かった。これらの理念型は、今回の「安保法強行採決」と類似の歴史的事例の分析に基づいて構成されたが、逆に、これらの理念型を用いると、これまでの研究ではっきりと概念化されなかった事例の性格が明瞭になる。先進国における“現代型のクーデター”には、かつてのような明示的な武力は必要ない。巧妙な情報操作と歪んだ選挙区制度によって獲得された「議会における多数派」による“法的詭弁”と“強行採決”、“議事録の改ざん”で、それは可能になる。
さらに、これらの理念型を参照すると、明治憲法の“立憲君主制的側面”否定した1935年の「国体明徴」や李承晩政権下の韓国議会における「四捨五入憲法改正」、ナチス政権による「授権法採決」も「リーガル・クー」の一種と考えられる。加えて、1933年2月の「国会放火事件」をきっかけとしたヒトラーの政権獲得や、2000年のシャロンによる「岩のドーム強硬訪問後の選挙」は、「策動クー」として特徴づけられる。
社会科学が“現在進行中の社会現象”の分析を十分に行えない理由として、「データ不足」の場合もあれば、「分析概念の不足もしくは欠如」といった場合も考えられる。これまでになかった新しい政治現象が現れた場合、社会科学には、比喩的な表現を越えて、その現象を“どのような名称で概念化するか”が求められる。その概念化がどれだけ妥当なものであるか、社会科学の専門家による今後の検討を期待して、本報告を行いたい。