日本平和学会2016年度秋季研究集会
報告レジュメ
平和実践としてのソーシャリー・エンゲイジド・アート
―日本平和学会2015春季大会アートパフォーマンス『黒い雨』を振り返って―
広島市立大学 国際学部 湯浅正恵
宮崎国際大学 国際教養学部 笠井綾
キーワード:アート、パフォーマンス、社会的相互行為、黒い雨、被爆者援護政策、ポスト・モダン思想
【要旨】
戦後70年を迎えた広島で、ひとつの裁判が始まった。原爆「黒い雨」訴訟である。70歳を越える64名の「黒い雨」被害者が、原爆手帳(被爆者健康手帳)の交付を求めて、広島市と広島県を提訴した(黒い雨訴訟を支援する会 2016)。原子爆弾の暴力性はその瞬時の破壊力や世代を超えて影響を及ぼす放射線の脅威だけではない。一本の川で、また行政区分によって、被爆者とそうでない者を分断する被爆者援護政策も、政治的、社会的暴力となり今日まで多くの被爆者の平和を奪ってきた。身体の不調、数々の疾病、絶え間ない不安、理解されないゆえの差別、それらと闘いまた受け入れてきた人生、そのすべてが被爆との因果関係を絶たれることで宙吊りとなる。こうして昨年、64名の未認定被爆者が、自らの存在を賭け、法廷闘争を開始した。それは東京電力福島第一原子力発電所事故以来、健康被害が「科学的に証明されていない」とされる線量を許容することを求められている私たちの、また私たちの子孫のための闘いでもある。
2015年日本平和学会春季大会の最終プログラムであったアートパフォーマンス『黒い雨』は、この黒い雨未認定被爆者の方々と連帯し、裁判を支援する目的で企画された。ドイツ人写真家(Damm 2015) が撮影した原告のポートレートと証言をもとに、フランス人の振付家とコロンビア人の映像作家、そして日本人のダンサー、華道家、ミュージシャン、市民アーティストが、1時間の舞台を制作し公演した(Chéhère & Gill 2015)。
本報告はこの作品の企画、制作過程、そして公演の模様をソーシャリー・エンゲイジド・アート(エルゲラ 2013)として、映像を交えて紹介し、その平和実践としての可能性を論じたい。報告者はパフォーマンスの企画者と実際に舞台に立った市民アーティストである。特に、前回の分科会での柳澤田実氏の報告「ポスト・モダン思想と平和実践」において論じられた、近代批判としての合目的批判とコントロールを手放すという2点(柳澤 2015、柳澤 2016参照)については、ジョルジュ・バタイユ(2015)の論考とともに平和実践の重要な要素として具体的に検討する。
議論は以下のように進める予定である。
- ソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会関与型アート)とは何か。
- ソーシャリー・エンゲイジド・アートとしてのアートパフォーマンス『黒い雨』:そのコミュニティー、対話、協働、敵対関係、ドキュメンテーション。
- なにが平和実践と呼べるのか。
- 平和実践としてのアートの可能性と限界とは何か。
尚、報告は1時間を目処とし、会場との対話の時間を十分確保したい。
【参考文献】
バタイユ、ジョルジュ(2015) 『ヒロシマの人々の物語』 景文館書店。
Chéhère, P. and Gill, D. (2015) Out of the Shadow: Contemporary Dance Performance, online video, 20 March, 31 viewed May 2016. http://vimeo.com/159662630
Damm, T. (2013) ‘Black Rain Hibakusha - Out of the Shadow’, online photo journal, http://www.thomasdamm.com/hibakusha/g9g6klb9tr6io0ccl20gw9wspdt7v0. Accessed 31 May 2016.
Kasai, A. and Yuasa, M. (2016) ‘Out of the Shadow: A Collaborative Arts Performance for the Black Rain Hibakusha’, Journal of Applied Arts & Health, in print.
エルゲラ、パブロ (2015) 『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』 フィルムアート社。
黒い雨訴訟を支援する会(2016) 「ご挨拶」, http://blackrain1.jimdo.com. Accessed 5 September, 2016.
柳澤田実(2015)「「善いはなし」をやめる」 NTT出版web magazine(http://webmag.nttpub.co.jp/webmagazine/82/)
柳澤田実(2016)「ポストモダンな幸せ?」 『現代思想』 vol.44-17 pp.116-130.