日本平和学会2016年度秋季研究集会
報告レジュメ
国際法における無国籍の予防と日本の国籍法
日本学術振興会特別研究員
国際基督教大学大学院博士後期課程
秋山 肇
キーワード:無国籍、無国籍の予防、国際法、国籍法、日本
1.はじめに
第二次世界大戦中に国籍の剥奪によって重大な人権侵害が起こったことを契機として、第二次世界大戦後、国籍が人権として認識されるようになり、国際法において無国籍の予防が規定されるようになった。国際法が無国籍の予防を規定することは、人権問題としてだけでなく国家にとっても重要な意味を持つ。国民の決定が国内管轄事項であるとの今日の原則に、国際法が挑戦していることを意味するからである。
無国籍の予防を規定する国際法が与えた影響を考察するためには、国際法が国籍を規定する法制に与えた影響を検討する必要がある。日本についてはこれまで、日本が批准している「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(女性差別撤廃条約)が国籍法の改正の契機となったことが指摘されてきた(木棚 2003)。しかし、日本に法的拘束力を持たない未批准・未加入の条約が国籍法の審議でどのような影響を与えてきたかは研究されていない。これらの条約は法的拘束力を有さなくとも、国際規範として認識され国籍法の審議に影響を与えてきた可能性があるために、これらの条約の影響を検討する必要がある。国内管轄事項と考えられてきた国民の決定に、未批准・未加入の条約が与える影響を検討することは、国際規範と国家の行動という平和への課題を理解するために重要なものである。
そこで本報告は日本が未批准・未加入の条約における無国籍の予防が、日本の国籍法の審議においていかに認識されているかを検討する。本報告は日本を事例として、国籍を付与する主体である国家が、国際法における無国籍の予防をいかに受容しているかを明らかにする。ここでは主に国籍法改正の審議に着目する。文言として規定される法はあくまで審議を経た成果物であり、国籍法の審議過程を参照しなければ国際法の影響は明らかにならないからである。本報告は、日本が未批准・未加入である1961年「無国籍の削減に関する条約」(無国籍削減条約)に言及された、1981年から1984年の法制審議会における発言をもとに、国家が無国籍の予防を規定する国際法をいかに認識しているかを検討する。
2.国際法における無国籍の予防
様々な国際条約が無国籍の予防を規定しているが、その契機となったのが世界人権宣言である。世界人権宣言第15条は「すべての者は国籍への権利を有する」と規定し、その後の様々な国際条約が国籍を人権として規定するようになった。そして複数の国際条約が無国籍の予防を規定している。無国籍の予防は、出生時の国籍付与と出生後の国籍剥奪の禁止により構成されるが、本報告は出生時の国籍取得の議論を中心に検討する。
無国籍の予防で最も包括的な条約が無国籍削減条約である。この条約は将来の無国籍を防止することによって無国籍の削減を図ることを目的としている。出生時の国籍取得の関連では、無国籍削減条約の締約国の領域内で出生し、その国の国籍を与えなければ無国籍になる際にその国籍が付与されることや、締約国の領域外で出生した、その国民の子が無国籍になる場合には親の国籍が子どもに付与されることを規定している(新垣 2015)。
これ以外に、1966年「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)第24条第3項が子どもの国籍を取得する権利を規定しており、1979年「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(女性差別撤廃条約)第7条は、女性が国籍の取得、変更と保持に関して男性と平等な権利が与えられること、子の国籍に関して男女に平等な権利が与えられることを規定している。
これ以降に採択された条約では、1989年子どもの権利条約第9条が子どもの国籍取得の権利を、2006年障がい者の権利条約は、障がい者が他の者と平等な国籍を取得、変更する権利、障がいを持つ子供が国籍を取得する権利を規定している。なお、日本は自由権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障がい者権利条約の締約国であり、これらにおける無国籍の予防は日本にも法的拘束力を有する。しかし無国籍削減条約には批准・加入していないため、日本に法的拘束力を有していない。本報告では無国籍削減条約に着目する。
3.日本の国籍法
日本の国籍法は従来父系血統主義を採用していた。1899年に制定された国籍法(旧国籍法)は、日本国籍を有する父から出生した子どもが日本国籍を取得する父系血統主義を原則とし、1950年の国籍法(現行国籍法)もこの原則を継承した。この原則に大きな変化が訪れたのが、1984年の国籍法(改正国籍法)である。改正国籍法では、父系血統主義が父母両系血統主義に変更され、日本国籍を有する父もしくは母から出生した子どもが日本国籍を取得することになった。この原則は今日でも貫かれている(木棚 2003)。
4.無国籍削減条約と国籍法に関する議論
日本が未批准・未加入である無国籍削減条約と国籍法の関連性について言及されたことは多くないが、1981年から1984年の法制審議会で国籍法が審議された際に検討が行われている。
法制審議会は法務省に設置され、法務大臣の諮問に応じて法務に関する基本的な事項を調査審議する審議会である。1981年に法制審議会に国籍法部会が設置され、国籍法部会が1981年から1984年にかけて国籍法の改正について審議を行った。無国籍削減条約に関連して以下の二点を指摘する。
一点目として、国籍法の議論で国際規範について言及があり、この中に無国籍削減条約も含まれていた。特に国籍取得の原則の議論ではその傾向が顕著である。これには二つの意味がある。第一に、国籍法を改正することは国民の定義を変更することであり、国籍取得の原則は「日本国民」とは誰かであるべきか、という国民の理解につながる概念であるにもかかわらず、そのような議論は少なく、国際規範についての議論が多かったことである。これは日本国民の範囲の確定という行為が国際的な規範に影響されていることを示すものである。第二に、無国籍削減条約に言及されていることは、日本が法的には拘束されない条約についても重要性を認識している点である。
二点目として、無国籍削減条約と国籍法の両立性について検討された。その上で無国籍削減条約は領域内で出生した子どもに直ちに国籍を付与することを要請するものではないとして、現行国籍法が無国籍削減条約の要請に反するものではないと認識している(法務大臣官房司法法制調査部 1981)。当時の国籍法は無国籍削減条約と両立するものであると認識されたために、未批准・未加入の条約を根拠に新たな立法の必要性を国家が認識することはなかった。一般的に無国籍削減条約が慣習法化しているとは考えられていないために、日本は法理論上無国籍削減条約に拘束されない。法的な適合性を検討する必要はないはずの無国籍削減条約について日本が検討していることは、無国籍削減条約が重要な規範として認識されていたことを示唆するものであり、法的拘束力のない条約の価値の再検討を迫るものであるといえよう。
5.おわりに
本報告は、法的拘束力を有しない条約であっても、あたかもその規範が拘束力を有する条約であるかのように認識されており、国民の決定という従来国内管轄事項と考えられてきた事柄にも影響を与えていることを明らかにした。法制審議会において国際規範への言及が多かったことは、日本国民の決定という一見純粋な国内的な行為が、国際規範を意識して構築されていることを示している。さらに、未批准・未加入の条約があたかも拘束力を持つかのように認識されていると見られることは、法的拘束力のない条約も国家の行動規範となり、国家の行動を規定しうることを意味する。国際法の原則は合意であるが、本報告の事例はその原則から逸脱した、自らが合意していない条約が国家の行動を規定する可能性を示唆するものである。
参考文献
新垣修(2015)『無国籍条約と日本の国内法:その接点と隔たり』国連難民高等弁務官事務所.
木棚照一(2003)『逐条註解 国籍法』日本加除出版.
法務大臣官房司法法制調査部(1981)「法制審議会国籍法部会第一回会議議事速記録」内閣法制局第二部『法律案審議録(国籍法及び戸籍法の一部改正 その4) 昭和59年第101回国会 法務省関係4』(国立公文書館所蔵).