国籍の剥奪と安全保障化

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日本平和学会2016年度秋季研究集会

報告レジュメ

 

国籍の剥奪と安全保障化

 

国際基督教大学

新垣修

 

キーワード:国籍、国籍剥奪、安全保障化、テロ、脅威

 

1 はじめに

 近年、一部の自由民主制諸国では対テロ政策の一環として、自国民の国籍剥奪やそれに準ずる行為に関する政府の権限を強化する動きがある。本報告の目的は、その動向や性質を安全保障化という観点から検討することである。まず、これら諸国における国籍剥奪による自国民排除の史的経緯を追い、国籍の安全保障化という現象に至った道筋を探りたい。次に英国を事例に取り上げ、国籍を剥奪する英国政府の権限がどのように立法化されてきたかを見る。以上を踏まえ、脅威対抗機能としての国籍剥奪の正統性や有効性等を問う。

 

2 国籍の安全保障化:史的経緯

 欧州において国民国家とそれを基盤とした国際制度が形成されると、自国民を領域外に追放して排除する慣行は一般性を失っていった。第一次世界大戦から第二次世界大戦の時代になると、自国民を排除する方法は安全保障と結びつき、国籍剥奪に移行した。主な対象者は、かつて「敵国」の国民であった帰化者(後天的国籍取得者)であった。このような国籍剥奪は国家の存在が背後にある、伝統的な対称脅威の文脈で理解できよう。

 しかし近年、非対称脅威に基づく国籍剥奪という思考や実践が顕著となっている。9.11以降、テロに神経を尖らす一部の自由民主制諸国政府は、その脅威に対抗するため、比較的容易に自国民の国籍を剥奪できるよう法改正等を行うようになった。脅威の主源泉が非対称的性格を帯びたテロであるとの認識形成が進むと、安全保障化の射程に国籍も含まれるようになったのである。

 テロの脅威は、抽象度の高い公的な感覚というより、日常的で身近な危機感と結びつけられる。この感覚の下、身近に迫る、剥き出しの脅威を解除するための一つの措置として、諸国政府の国籍剥奪の権限強化が認められるようになったのである。本報告では以上の史的経緯を、国際法の視座も織り交ぜながら検討したい。

 

3 英国の事例

 9.11以来、英国は国籍法の改正を重ねることで、自国民の国籍を剥奪する政府の権限を固めてきた。9.11が契機のひとつとなった2002年法改正の内容は大胆で、英国内の安全確保の手段として、国籍剥奪の対象者が帰化者のみならず先天的国籍取得者にも拡張した。当時の内務大臣が、「脅威」の認識の変化に応じて国籍法が「現代化」することを次のように述べたのが印象的である。

 

国家によってではなく、グローバルに組織化された機構からの脅威のような・・・非国家的脅威[に対応する]という意味で、この法案は、[国籍剥奪の]手続を現代化するものである

HC Committee (30 April) 2002, c. 56

 

次の法改正は、2005年のロンドン爆破事件に端を発したものであった。翌年の国籍法改正では、対テロ政策の意図がより鮮明に打ち出され、政府の剥奪権限の強化が適用基準の緩和という方法で実現した。

 さらに、他国の戦闘行為やテロ活動に参加する英国民の存在が明らかとなった2014年法改正時には、安全保障政策の一環としての国籍剥奪の権限強化があらためて追求されることとなった。ここにきて、英国から英国国民を排除する手法は重層化しつつある。2014年法改正とほぼ同時期、「2015年対テロ及び安全保障法」案が議会で可決された。同法の趣旨は、英国外でテロ活動に関与したことが疑われる者(英国国籍者を含む)を文字通り英国領域から一定期間排除することである。これにより、一定の条件下で、自国民の帰国を一時的に阻止することが法的に可能となった。

 英国における国籍剥奪に関する法改正は、通常の手段ではもはや対応できない「例外的」危機という意識設定を起点に進行してきた。国籍に関する事柄は今や、法が与える正統性の空間から安全保障が与えるそれに移行しつつあるようにすら思える。安全保障化に伴う国籍剥奪「非-法化」の過程で、英国が加入している関連の国際条約はどのような影響を与えたのか。

 

4 脱安全保障化:「脅威」を問う

 以上を踏まえ、次の問いについて考えることで本報告のまとめとしたい。

(1) 脅威の形成

 国籍の安全保障化のプロセスで表現されてきた脅威は、はたしてリアルなのか。脅威の形成を主導したエリートやリーダー集団に属さない人々が実際に共有している認識は、そのような脅威と同一なのか。

(2) 脅威対抗措置としての有効性

 国際社会で相対的に力を有する諸国がテロ容疑者の国籍を奪うことは、統治能力が低下している脆弱な国家に彼らを封じ込めることにならないか。このような政策が、逆にテロの悪化に寄与するというジレンマを招く恐れはないか。

(3) 国籍剥奪の正統性

 国籍を引き剥がされた者は、基本的自由を確保し権利を実現する手段を丸ごと失い、人間としての存在すら否定されかねない。そうであるから、たとえ国籍剥奪が基本的に国家の権限であるにせよ、安全弁としての実態的適正手続の保障を慎重に確保しなければならない。国際法において、これを支える規範の発展は見られるのか。

 

主な参考文献

     新垣修(2016)「英国における国籍の剥奪:無国籍削減条約と国籍の安全保障化」『大東ロージャーナル』12号。

     新垣修(2015)『無国籍条約と日本の国内法―その接点と隔たり』UNHCR。

     新垣修(2014)「無国籍者地位条約と無国籍削減条約―成立までの経緯と概要」『法律時報』2014年10月号(1078号)。

     Guillaume, X and J. Huysmans, eds, (2013), Citizenship and Security: The Constitution of Political Being, Routledge.

     Jarvis, L and M. Lister, eds, (2015), Anti-Terrorism, Citizenship and Security, Manchester Univ Pr.

     Nyers, P., ed, (2009) Securitizations of Citizenship, Routledge.