日本平和学会 2016年度 秋季研究集会
「戦争と空爆問題」分科会報告レジュメ
南京・重慶爆撃の現代性
~航空技術の急革新と「空の戦争の国民化」/ロンドンからラッカまで首都“威嚇破壊”の百年史の中で~
平和研究者(紛争研究/和解学/戦争史)
大崎 敦司
キーワード : 日本・中国、中東、空爆、対テロ戦争、大量破壊兵器、科学技術の戦争利用
マスメディア、社会(集団・組織)心理
1.はじめに
日中戦争の開始と、中国の首都・南京への日本の政府・軍による爆撃から、2017年で80年の節目を迎える。その後の重慶爆撃と共に、現代に至る「戦略爆撃と威嚇の100年史」の中で、その現代的な意味を考察する。
一国の政治経済の中心である首都や大都市で、軍事施設のみならず政府機関や教育・医療施設、非武装の民間人の住宅密集地までも爆弾などの「空からの投射」で無差別に破壊し、威嚇により戦意を挫いて戦争の勝利を目指す「戦略爆撃」が、世界各地で繰り返されてきた。南京爆撃は、外洋を越え千㌔も離れた首都を急襲した「長距離・渡洋爆撃」の世界初の事例と宣伝された。重慶爆撃は、期間の長さ、規模と被害の大きさから戦後、補償問題を惹起し、日中の国民和解を妨げる一因となってきた。二つの首都爆撃の背景には、「航空の世紀」の到来に熱狂した日本国民の存在がある。その支持の下、軍民産官学の知財が新型航空機の開発に結集され、爆撃の“戦果”や“戦勝”報道に歓喜する国民多数が担い手となる、「空の総力戦」と化していった側面に着目する。
2. 100年前、飛行船による首都無差別爆撃から始まった“恐怖と威嚇”の連鎖
航空兵器の戦略爆撃への史上初の組織的な活用が、1915年に始まるロンドン・パリへのドイツ飛行船団による焼夷弾の無差別投下作戦であった。それは双方の国民の心理・戦意に多大な影響を与え、大型爆撃機による首都爆撃の応酬を招き、その後の主要国の航空技術の急速な革新、航空兵器の開発競争の流れも決定づけた。
3. 国産航空機の開発競争と、中国での航空戦に熱狂した日本国民
1931年以降の満州・上海事変における「空の戦い」や、南京・重慶爆撃など日本海軍と陸軍の航空作戦の「成功」を、銃後の日本各地で歓迎し、熱狂的に支持した国民の動向と心理に注目する。第一次大戦後の米欧との軍縮条約で海軍力整備に制限を課された日本は「航空艦隊」(長距離爆撃機や航空母艦と艦上機の部隊)の整備に邁進する。国際的に孤立しナショナリズムが高揚する中、国産航空機の開発と速度・長距離飛行の世界記録達成がマスメディアで盛んに報道される。日中の全面戦争化を受け「国家総力戦」へ国民の総動員が進められる中、航空機の量産と戦争への利用も、日本の大衆と多くの産業を巻き込んだ「国民運動」の様相を呈していく。
4. 長期化した重慶地域爆撃~作戦の失敗と狙いの変化
1938年に始まる重慶爆撃の期間や対象地域については、専門家の間で議論が続いてきた。本論考では、中国の重慶爆撃の専門家による最新の研究成果(潘洵2016など)をベースに1944年までを、その期間とする。日中戦争の早期講和で対ソ・対米戦との「二正面作戦」の回避を狙った“戦略的”な航空作戦は、日中戦争の泥沼化、対米開戦で変質。中国軍と米軍機部隊の中国奥地への封じ込め、日本本土の防衛へと目的を変えていく。
5. 航空機の搭乗員という日本と中国の「空の戦争犠牲者」たち
南京・重慶爆撃では、日中双方の航空機の多数の搭乗員たちも、生還が困難な危険な飛行任務に従事させられ、相手軍機による撃墜や自爆で死に追いやられた。日本の搭乗員の多くが、命令に従い作戦遂行に尽力したが、地上で多数の中国市民が焼き殺されている現実についての認識や想像力は無かったと語っている。「海の荒鷲」と唄われ日本国民に英雄視され、戦意高揚の道具にもされた搭乗員たちも、また「戦争の犠牲者」であった。
6.その後の首都空爆と威嚇の“恐怖の応酬”/航空・科学技術の戦争利用の悪しき連鎖
南京・重慶爆撃は、東京などへの無差別絨毯爆撃と原爆投下の一因となり、大戦後、航空機の軍事利用と長射程の誘導兵器、戦略核兵器の開発競争が過熱する。大量破壊兵器による相互威嚇と「恐怖の均衡」に基づく抑止力への信奉は、冷戦後も北東アジアや米ロ、印パ、中東と周辺国に軍事的な緊張と軍拡競争、不安をもたらし続けている。戦略爆撃は、敵対的な国家への“膺懲”(こらしめ)や政権の転覆、「イスラム国」(IS)などテロ組織を殲滅しようとする軍事作戦に使われ、攻撃を受ける都市の民間人にも深刻な被害と心の傷を与え、第二次大戦後、最悪の規模の難民と報復テロが発生する要因にもなっている。空から平和な市民生活の上に突然、落下する兵器の破壊力。恐怖心を煽り、国家目標の早期達成を目指す政府・軍の姿勢。無差別攻撃を正当化するマスメディアも利用したプロパガンダと宣伝戦の応酬--。南京・重慶への日本の政府・軍・国民の80年前の過ちは、それに似た要素を多く含む、現代の「対テロ戦争」や、北東アジアの「新冷戦」状態の深い闇を浮き彫りにする。