日本平和学会2016年度秋季研究集会
報告レジュメ
セミパラチンスク地区住民の核実験に対する認識について
─障がい・疾患を持つ子どもとその保護者に対するインタビューより─
報告者:京都大学大学院医学研究科 平林 今日子
カザフ放射線医学環境研究所 Talgat Muldagaliyev
カザフ放射線医学環境研究所 Kazbek Apsalikov
広島大学平和科学研究センター 川野 徳幸
キーワード:セミパラチンスク、核実験、子ども、聞き取り調査、インタビュー
1.はじめに
旧ソ連最大の核実験場であるセミパラチンスク核実験場は、中央アジア・カザフスタン共和国の北東に位置する。ソ連がこの地で初めての核実験を成功させた1949年より、地下核実験が停止された1989年までの40年間にわたり、地域住民は核実験の被害を受け、その被災者の数は数十万人と推定される。
旧ソ連崩壊後、様々な分野の研究者が、セミパラチンスクにおいて核被害の影響を検証している。その内広島大学の川野徳幸広島大学平和科学研究センター教授が主宰する研究グループでは2002年より、社会(医)学の領域から質問紙調査及び聞き取り調査を開始し、核実験被災者の身体的・社会的・精神的側面全般にわたる被害を明らかにしようと試みている。報告者も2005年より本調査に参加している。
2.なぜ障がい・疾患を持つ子どもを対象とするのか
これまでの調査では、被害がより大きいと想定される1963年以前の地上核実験を経験した被災者を対象としてきたため、回答者の年齢は50代以降が中心であった。しかし、調査における証言ではしばしば地上核実験の経験のない子や孫の体調不良や将来の不安が語られる。これまでの調査で収集した証言の一部を以下に示す。
…子どもが10人いますが、多くの子が病気をしています。2人は心臓を患っています。これはポリゴン(筆者注:核実験場を指す)の影響だと思っています。[2007年調査 マライサリ村 女性 1937年生]
ポリゴンは私たちに非常に強い影響を与えました。孫たちは皆病気にかかっています。私が病気になったほうがましです。(中略)ポリゴンがなければよかったのに。私の子どもたちはこんなに病弱なのだから。戦争自体がなければよかったのに。[2005年調査 バラドリハ村 女性 1935年生]
…村ではたくさんの人々が病気にかかり、亡くなっています。特にガンが多いのです。放射線の影響だとみんな言っています。子どもたちも病気がちです。[2005年調査 ゼンコフカ村 女性 1942年生]
放射線影響研究所の被爆二世健康影響調査(2007年公開)及び被爆二世における死亡リスクの調査(2015年公開)等によれば、広島・長崎の被爆二世への遺伝的な影響については、現時点ではほぼ認められないとされている。しかし、今後新たな知見が得られる可能性は否定できない。他方、セミパラチンスク核実験場の周辺住民が受けた被害は低線量率被ばくであり、広島・長崎の高線量被ばくとはその人体への影響も異なる。核実験による放射線被害と、疾患や障がいとの因果関係の全容を解明するにはなお時間を要すると思われる。
しかしながら、上記のような証言が一定数見受けられる以上、その意味するところを解明することは、核実験による被害の全体像を描く上で必要不可欠である。
これらの証言が示すとおり、核実験は直接体験した世代だけでなく、後世にまで何らかの影響を与えているのだろうか。その影響とは具体的にどのようなもので、核実験場閉鎖から20年以上が経過した現在、子どもたちはどのような不安や苦しみを抱えながら生きているのか。それらを明らかにするために、報告者は2009年~2013年において、セミパラチンスク核実験場周辺に在住し、何らかの疾患または身体的・知的障がいを持つ子ども(2歳~15歳)とその保護者・計9家族への聞き取り調査を実施し、核実験に対する認識について回答を得た。疾患・障がいを持つ子どもを対象としたのは、核実験による影響を自らのこととして捉え、苦しんでいる人が多いのではないかと想定したためである。
3.核実験に対する認識について
本報告では、現在のセミパラチンスク地区住民が、子どもの疾患や障がいを核実験によるものだと認識しているかどうかとその理由について焦点を当て、インタビュー内容を検討する。ここで重要なのは、本人(または保護者)による認識と、医師による指摘とが必ずしも一致しないという点である。分類すると大枠は以下のようになる。
疾患・障がいと核実験との関連について、
1. 医師による指摘有り + 本人(または保護者)の認識有り
2. 医師による指摘有り + 本人(または保護者)の認識無し
3. 医師による指摘無し + 本人(または保護者)の認識有り
4. 医師による指摘無し + 本人(または保護者)の認識無し
インタビュー回答の抜粋を以下に示す。
…妹の子どもは健康だが、わが子の病気は核実験の影響を受けた可能性が高いと思う。今でも泣いてしまうことがある。自分や夫が核実験の影響を受けたせいなのだろうかと考えてしまうことがある。核実験がなければ、全ての子どもが病気にならずに済んだのではないかと思う。時々、結婚しなければよかったのではないかと思うこともある。…
…夫(子どもの父)の幼少時の心臓病は、実験場に近いサルジャル村に住んでいたので、核実験が原因であると思う。子どもの心臓病の原因が核実験であるかどうかは分からないが、父親の病気が原因かもしれず、間接的に核実験の影響を被ったのかもしれない。…
上記の証言も含め、9家族の証言が4分類のいずれに該当するか(あるいはいずれにも該当しないか)検討し、その理由についてインタビュー内容の分析を試みる。そしてその結果が何を意味するのかについて考察する。
4.核実験が現代の子どもに与えた影響
9家族中、医師によって「障がい・疾患が核実験由来のものであると指摘を受けた」と回答した家族は4家族であり、残り5家族は核実験との関連を指摘されていない。また、核実験によるものであると医学的に証明されたか否かにかかわらず、子どもの障がいや疾患は保護者にとって「自分あるいはパートナーの責任であると感じた」との回答が多くみられた一方で、核実験由来であると指摘されて「気が楽になった」と回答した保護者も少数ながら存在した。障がい・疾患を持つ子どもとその保護者の核実験被害に対するとらえ方は実に様々であり、一人ひとりに焦点を当てたインタビューという手法を用いたことによって、それらが浮き彫りになったと言える。現時点で明らかなことは、すでに地上核実験停止後50年以上、実験場閉鎖後20年以上が経過した現在のセミパラチンスクで、世代を超えて「核実験さえなければ」との思いを抱えて生きる人々がいるという事実である。本報告ではそうした人々の声を手掛かりに、核実験被害の一端の解明を試みたい。
参考文献
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