イスラエルの直面するディレンマ──占領と民主主義は両立するのか?

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部会1「パレスチナ占領とイスラエルの病理―シオニズム、占領経済、軍事化する日本の関わり」

 

(レジュメ)「イスラエルの直面するディレンマ──占領と民主主義は両立するのか?」

Akira USUKI, “The Dilemma facing Israel: Is Democracy compatible with Occupation?”

 

                            臼杵 陽(うすき・あきら)

 

 

 本報告は、ヨルダン川西岸の多くの地域を現在も占領し続けているイスラエルは「民主国家」といえるのかという問いを、「ユダヤ化(Judaization)」政策を採り続けるイスラエルという「ユダヤ人国家」が直面するディレンマを通して検討するものである。本報告での「ユダヤ化」とは、「イスラエル国」と想定される領域におけるユダヤ人の人口を極大化していく政策を意味する。

 そもそも、イスラエルは「憲法」(建国当初「憲法」は制定することができなかったので基本法が代替している)に相当する独立宣言において、一方でユダヤ人移民のみを排他的・特権的に受け入れる「ユダヤ人国家」であるとしながら(先住民である委任統治領パレスチナの居住者たるアラブ人は「帰還」の権利は否定されている)、他方でイスラエルは宗教、人種、および性にかかわらず、同国に居住するアラブ市民を含むそのすべての住民の自由、平等などの諸権利を保障する「民主国家」でもあると規定したところに問題が生じた。すなわち、「ユダヤ人国家」であると同時に「民主国家」であるイスラエルに居住する「民族的マイノリティ」であるアラブ市民をどのように位置づけるかの問題が独立宣言では曖昧なままであったからである。もちろん、イスラエル政府は、両者は両立してきたという公式の立場をとってきている。

 イスラエルが「民主国家」であるためには、その構成員である永住者すべてに対して、自由と平等という諸権利を保障しなければならない。しかし、国民の五人に一人に相当する非ユダヤ人であるアラブ市民(イスラエル政府の用語でいえば、「イスラエル・アラブ人」)は、「マイノリティ」としてその諸権利は棚上げされてきた歴史があった。というのも、アラブ市民は1966年まで軍政下に置かれ、その諸権利を極端に制限されていたからである。アラブ市民の存在自体が、「ユダヤ人国家」におけるユダヤ人と非ユダヤ人との間に等しく自由と平等が可能であるかどうかに関する「民主国家」としてのイスラエルの試金石となってきたのである。

 換言すれば、すべての国民国家(nation-state)に共通する問題とはいいながら、イスラエルの性格づけに関して、ユダヤ人国家を構成する成員である「国民NATION」の民族的性格を強調する「民族国家」なのか、あるいは法の下での平等と自由を保障する国家(STATE)の制度的側面を強調する「民主国家」なのか、というNATION-StateとNation-STATE(大文字が強調部分)のディレンマが、極端なかたちでイスラエル独立宣言には内在化されているのである。

 さらに、1967年の「第3次中東戦争」(イスラエル側は「六日間戦争」と呼んでいる)においてイスラエルが、ヨルダンからヨルダン川西岸、エジプトからガザというイギリス委任統治領パレスチナの全領域を占領して以来、ユダヤ人入植地建設を通じて、両地域、とりわけエルサレムを「ユダヤ化」していった(シリアから占領したゴラン高原はイスラエル領に併合された)。占領下における東エルサレムを含むヨルダン川西岸・ガザのパレスチナ人の問題も、同地域がパレスチナ自治区の成立まで軍政下に置かれてきた以上、基本的にはイスラエルのアラブ市民が直面してきた問題と同じ性格を有するものであった。

 「ユダヤ化」のプロセスを歴史的に振り返れば、シオニズム運動のユダヤ人移民の増大の努力にもかかわらず、第一次世界大戦までのオスマン帝国領の時期にはパレスチナのユダヤ人人口は全人口の10%にも達していなかったし、イギリスによるパレスチナ委任統治が終わる1948年のイスラエル建国直前でさえも3割弱であった。しかし、イスラエルは建国後、アラブ人避難民の帰還を認めないことによってグリーンライン(1948年戦争の休戦ライン)内の事実上の「ユダヤ化」を実現し、アラブ市民は諸権利の享受が棚上げされた「マイノリティ」の地位に位置づけられることになった。さらに、1967年のヨルダン川西岸・ガザの占領も、ユダヤ人入植地建設を通じて両地域を「ユダヤ化」する文脈で位置づける必要があるものの、占領下のパレスチナ人は1966年までのアラブ市民と同様、軍政下に置かれることになった。

 本報告に関連する論点として指摘しておきたいのは、民主主義とは何よりもまず、当該国家の永住者すべてに平等に市民権が付与されるという原則がある。ところが、占領地においてはこのような原則は一切適用されていない。そればかりでなく、エルサレムを中心にしてヨルダン川西岸の「ユダヤ化」政策は依然として続けられている。

 したがって、占領の現実を前に「ユダヤ人国家」の理念が前面に押し出され、「民主国家」の理念は後退しているのが現状である。これまでイスラエルというユダヤ人国家における民主主義をどのように規定するかという性格づけに関して、研究者のあいだでも議論が続けられてきた。すなわち、イスラエルは「植民者国家(colonial state)」、「エスノクラシー(ethnocracy)」、あるいは「支配民族民主主義(Herrenvolk democracy)」から「エスニック民主主義(ethnic democracy)」まで、様々な議論が試みられてきた。

 本報告は前者の「植民者国家(colonial state)」あるいは「エスノクラシー(ethnocracy)」立場をとるものであるが、イスラエルによる占領の問題はイスラエル内政問題に連動するものであり、イスラエル国の民主主義のありようは、「ユダヤ人国家」としての「イスラエル特殊論(例外論)」の立場から、その民主主義のありようをどのように呼ぶにしろ、占領下のパレスチナ人もイスラエル国民が享受する自由と平等の諸権利を享受することができるのかという観点から、イスラエルの民主主義は、ヨルダン川西岸の一部の占領を続け、ガザを封鎖し続ける以上、危機に瀕しているということができるのである。