日本平和学会2016年度春季研究大会
難民支援に関する一考察
─トルコにおけるシリア難民支援を事例として─
早稲田大学大学院社会科学研究科
博士後期課程2年
山本 剛
Ty0705@akane.waseda.jp
キーワード:難民、人間の安全保障、社会統合、ホスト・コミュニティ支援
1.はじめに
本報告では、今世紀最大の人道危機となりつつあるシリア難民問題に関し、最も多く難民を受け入れているトルコを事例として、現状を検証し、必要な支援を人間の安全保障のアプローチから考察する。
従来の難民支援の多くは、難民が出身国に自主帰還するまでの一定期間のみという前提のもとに行われてきた。しかし、シリア難民問題をはじめ、パレスチナ難民問題やアフガニスタン難民問題など、多くの難民問題は長期化しつつあり、現実的な方法を模索する必要性が明らかになりつつある。
UNHCR(国連難民高等弁務官)が提唱する恒久的な解決策は、①自主帰還、②庇護国社会への統合、③第三国定住であり、現在、欧州を中心に国際社会では、③第三国定住の拡大の是非に関する議論が、活発に交わされている。難民・移民政策は、欧州各国内で選挙の争点の一つとして挙げられ、EU統合の象徴である(EU加盟国内を自由に移動できる)シェンゲン協定の功罪にまで議論が及んでいる。
難民問題は、迫害、直接的暴力や構造的暴力により、今後も拡大すると考えられる中で、文化や宗教、言語など、社会条件の異なる第三国での定住を進めるということは、容易ではないだろう。そこで本報告では、帰還や第三国定住ではなく、第三の恒久的解決策として庇護国社会への統合に注目し、その促進に貢献する支援について考察する。
2.シリア難民の全体像
シリア難民の数(2016年5月時点)は、登録されている人数だけで約480万人を超えており、受入国別では、トルコが全体の半数を超える約270万人と最も多く、次いでレバノン(約104万人)、ヨルダン(約64万人)である。約480万人のうち1割(約48万人)のみ難民キャンプに居住しており、残る9割はキャンプ外に一般市民と混在して居住している。
管見の限りでは、このように数百万人もの難民が、数年にわたって近隣国のコミュニティに散在していた事例は、過去に無いのではないだろうか。これまで難民支援といえば、国際機関やNGOによるキャンプ支援が多かったが、キャンプ外の難民が圧倒的に多いことから、これまでの難民問題と比べて、受入国の負担が一層高いと考えられる。難民の流入により、ホスト・コミュニティの人口が急増した結果、例えば、保健や教育、上下水道、ごみ処理、福祉といった行政サービスに掛かる負荷が増大している。
また、都市型難民が増加した結果、ホスト・コミュニティの家賃を押し上げており、不動産業界にとっては、シリア難民の流入が、収入増加の要因となっている。しかし、家賃の高騰は、ホスト・コミュニティの貧困層にとっては、家賃負担増となり、増額された家賃を支払えないトルコ人が、転居を余儀なくされているケースもある。これらの要因からUNHCR等は、ホスト・コミュニティの負荷軽減を目的とした支援の重要性を指摘している。(UNHCR 2014)(ICG 2014)
UNHCRによれば、登録されている全てのシリア難民とホスト・コミュニティ(約400万人)に裨益する支援として、2016年は約45.5億ドルが必要と概算している。しかし、2016年5月現在では、必要な支援金額のうち受領した金額は3割にも満たない。(UNHCR 2016)
内戦前のシリアの人口は、約2,240万人だったことから、全人口の2割以上が難民として、近隣国を中心に海外に流出した計算になる。さらに国内避難民(IDP)も約660万人発生しており、今後のシリア内戦状況や近隣国の国境政策によっては、国外に避難する可能性のある潜在的な難民と考えることができる。トルコ政府は、シリア領内に難民キャンプを設置し、トルコに流入するシリア難民が増加しないよう対策も講じている。
3.トルコとシリア難民
シリア周辺国であるイラク、トルコ、ヨルダン、レバノンを比較した場合、周辺国の中でトルコは唯一公用語がアラビア語ではなく、トルコ語である。そのため、難民生活が長期化するほど、言語の問題が、生活上の障壁として顕在化すると考えられる。しかし、前述のとおり、トルコのシリア難民数は他国と比して突出して多い。報告者は、その因果関係を分析した結果、7点の要因にたどり着いた。
(1)武装勢力諸派の拡張と対立・紛争
(2)トルコ政府の門戸開放政策
(3)トルコ政府のイスラム化
(4)ヨルダン・レバノンの国境政策の変化
(5)トルコの経済成長のポテンシャルの高さ
(6)歴史的な国境線の変遷
(7)EU・ギリシャへの玄関口
今後のトルコ政府による難民政策の変更により、難民数が一定度変化していく事態も想定される。特に、シリア内戦の戦況、つまり、停戦の着実な履行によっては、難民の増加に歯止めが掛かることが期待されている。
また、2016年3月には、トルコとEUが新たな難民対策について合意し、違法な移民をギリシャからトルコに送還する代償として、最大60億ユーロの援助やトルコ国民のビザ無し渡航を認めることになった。ただし、その履行のためにトルコは、EUが求めるガバナンス改革など諸条件を満たす必要があり、さらに欧州議会の承認も必要となる。そのため、支援の実施が確約されているわけではなく、難民問題に変化が生じるか、依然として不透明と言えよう。
トルコ国内では、2015年夏頃から、武装勢力による自爆攻撃が多発しており、治安悪化とシリア問題との関連性が指摘されており、政府の対シリア政策や難民政策に対する不満や不安も、高まっていく可能性もあるだろう。その場合、難民とトルコ市民が混在するホスト・コミュニティの中でも緊張が高まり、難民の生活の安定や再建に対する大きな障害になると考えられる。
4.人間の安全保障アプローチによる難民支援の再考
人間の安全保障という概念は、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」という2つの目標を掲げており、紛争による直接的暴力や構造的暴力から逃れてきた難民が、特に人間の安全保障の危機にさらされていることは明らかだろう。人間の安全保障をめぐる議論の中でも、難民や避難民など武力紛争下での人びとの生存の確保は、人間の安全保障の範疇として広く理解されている。(栗栖 2001)
人間の安全保障アプローチが、難民支援を再考する上で有力な視点の一つとして報告者が考えた理由は、難民でも一般市民でも、ステータスに関わらず、同じ住民として、人間としてニーズに沿った支援を検討することが必要だろうと考えたからである。短期的には、難民の緊急ニーズに応じた人道支援が必要となるが、中長期的には、日常生活の中で行われる経済活動や社会活動は、トルコ人またはシリア難民など各属性の中で完結することはできず、コミュニティの中の活動として捉え、共存する体制を築く必要があるのではないだろうか。シリア難民問題の長期化は避けらないという視点に立ち、慈善や人道支援という段階から、シリア難民がトルコの市民社会に包含されるような態勢に転換していくことが求められている。(Kemal 2014)
つまり、シリア難民が、難民キャンプという隔離された空間の住民に留まらず、トルコ社会の一部となりつつある中で、トルコ社会へ統合されていくための方策を検討しなければならない状況を迎えている。難民に対する人間の安全保障の達成のためには、社会統合を念頭に置いた教育支援が、特にニーズが高い。例えばトルコ語教育により、様々な社会サービスへのアクセスが可能となり、就業機会も得やすくなると考えられる。さらに子ども達の将来的な進学や社会進出を考えれば、学校教育、とりわけトルコ語の習得およびトルコ教育課程における学位取得のニーズは言うまでもなく高く、ホスト・コミュニティ支援の一環として、トルコ人とシリア人が共に学ぶ学校や職業訓練校を建設する必要があるだろう。
世界経済トップ10入りを目標に掲げるトルコは、シリア難民を労働者として、成長の原動力に取り込むことも可能だろう。(Sarah 2015)
難民受け入れに積極的なスウェーデンやドイツでは、難民が将来的な人口減少予測に伴う労働者不足を埋め合わせ、熟練労働者や肉体労働者の不足を補う可能性があるとも考えられている。そのためにも難民を労働市場、ひいてはホスト・コミュニティにうまく溶け込ませる必要がある。
そしてトルコ政府は、社会統合に配慮した多元的な教育を行い、難民をはじめとした外部者を受け入れられる寛容な市民社会、そして相互の信頼関係を育むことを許容するような教育を提供することが期待される。(宮崎 2015)。
5.将来的な自立に向けて
難民の受け入れは、人道問題を越えて、国益と利害が先鋭化し、国際問題に発展している。これは単純に難民の受け入れに伴う経済的コストだけでなく、難民の受け入れに伴う失業率の増加や、治安の不安定化など、負のインパクトを多層的に伴う可能性が認められるからだろう。フランスやベルギーで発生した同時多発テロは、大きなインパクトを国際社会に与えた。難民の受け入れや人道支援の規模、そして自国社会との統合を目指すという国家としての判断は、トルコに限らず、他国でも同様に、国力が問われる問題だと報告者は考えている。
EUでは、各加盟国の難民受け入れ能力の算出を試みており、2015年5月の検討時には、人口、GDPを40%ずつ、過去5年に受けた庇護申請数と再定住数、失業率を10%ずつ加味して計算された。しかし、一部の加盟国から反発を受けたように、難民を統合できる社会的余地は、4つの指標では計りきれず、様々な要素から検討されるべきだろう。国力の定義は諸説あるが、例えばモーゲンソーは、国力の諸要素を地理、天然資源、工業力、軍備、人口、国民性、国民の士気、外交の質、政府の質という9つに分類している。(モーゲンソー 1988)
しかし、どんなに国力に富んだ国であっても、難民に対する人道支援を永続的に継続することはできず、難民の帰還や第三国定住が促進されなければ、自ずと庇護国内での定住、そして自立が選択肢となる。難民キャンプでは、基本的に衣食住は無償提供されており、完全に援助に依存した状態と言っても過言ではない。そのためゆくゆくは援助から脱却し、自立するためには、ホスト・コミュニティへ吸収、統合されていく必要がある。
トルコは、難民の定義をヨーロッパから逃れてきた人々に限定する条件付きながらも、1960年代に難民条約を批准しており、周辺国の中でも、シリア内戦発生直後から比較的好意的にシリア難民を受け入れてきた。しかし、難民生活の長期化により、シリア難民のニーズは、ベーシック・ヒューマン・ニーズに留まらず、自立のための就業機会の確保の必要性が急速に高まりつつある。生計が確立できない結果として、(男児の)児童労働や(女児の)早婚の増加も報告されており、生活の不安定化は、重層的な負のインパクトを各家庭にもたらしている。(UNHCR 2016)
人道援助が紛争を長期化させ、泥沼化させているという指摘があるものの、難民もコミュニティの住民の一人として、社会生活を行うことが可能となるような、包摂的な支援の重要性が増して来ていると報告者は考えている。
トルコをはじめとした周辺国は、各国政府、地方自治体、国際機関、援助機関、NGO、民間企業、有識者など幅広い関係者に協力を呼びかけ、今世紀最大の人道問題と称されるシリア問題に対応する必要がある。
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宮崎元裕(2015)「トルコにおける多元的宗教教育の状況とその可能性─イギリスとの比較を通して─」『京都女子大学発達教育学部紀要』第11号、京都女子大学
山本香、景平義文、澤村信英(2013)「シリア難民による学校運営とNGO の支援活動:トルコ・ハタイ県の事例」『国際教育協力論集』16巻1号
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