日本平和学会2016年度春季研究大会
ラウンドテーブル「チェルノブイリ30年、福島5年──原発事故の『その後』を見つめる」
チェルノブイリ30年・フクシマ5年
―チェルノブイリとフクシマ事故から学ぶ―
兵庫医科大学
チェルノブイリ救援関西
振津 かつみ
<振津かつみ氏 プロフィール> 内科医、医学博士(大阪大学)。広島・長崎の原爆被害者の健康管理、チェルノブイリ原発事故被災者への支援活動、また他の世界の核被害者と連帯した活動など通じて、放射線の健康影響について学び、問題意識を深めてきた。1991年に「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」を設立し、事務局メンバーとして毎年、ベラルーシの汚染地域を訪問。1996年、ロザリー・バーテル博士らとともに「チェルノブイリ国際医学委員会」に参加し、国際原子力機関(IAEA)に対抗して開催した「永久人民法廷-チェルノブイリ、環境・健康・人権への被害」で証言。福島第一原発事故後は、定期的に現地を訪ね、住民の健康相談などに応じている。医師として、また一人の人間として、核被害者と共に歩む活動が高く評価され、2012年「核のない未来賞」を受賞。チェルノブイリ30年にあたっては、2016年4月3日、大阪府教育会館で「チェルノブイリ30年・フクシマ5年国際シンポジウム」を主催。同国際シンポジウムでは、ベラルーシから「ジャンナ・フィロメンコ さん(「移住者の会」代表)、ロシアからパーベル・ブドビチェンコ さん(「ラディミチ~チェルノブイリの子どもたちのために」元代表)を招聘した。
*下記は、同国際シンポの基調講演を本人が加筆修正し、今回のラウンドテーブルの参考に提出されたものである。「チェルノブイリ30年、福島5年」にあたっての振津氏の問題意識が述べられている。
1.はじめに
東日本大震災とフクシマ 原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年を迎えた。チェルノブイリ事故とフクシマ事故の被災地では、それぞれの社会・歴史背景、特徴、程度の相違はあるが、環境放射能汚染と被ばくが続き、被害者は健康と生活の問題を抱え、その中で補償と人権の確立を求める被災者の努力が続いている。
チェルノブイリ事故の被災三国(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア共和国)では、様々な社会・経済的困難の下で、事故被害者への施策が切り縮められる一方で、原発推進策が進められている。
フクシマ事故は未だ収束していない。国や東電は、事故を起こし、多くの人々を被ばくさせたことに対する責任を果たしていない。被災地では原発事故によって引き起こされた問題が山積みされ、より複雑化している。それにもかかわらず、現実を無視した「復興」の呼びかけがなされ、被害者が被害を訴え権利を求めることが難しい雰囲気が強まっている。また被害者支援や賠償の打ち切りが進められようとしている。政府は「年間20ミリシーベルト」を避難指示解除の「基準」とし、2017年3月末には「避難指示解除準備区域・居住制限区域」の避難指示解除をめざしており、東電は避難指示解除1年後をメドに「精神的賠償」を打ち切るとしている。また福島県は「自主避難者」への住宅支援を2017年3月末に打ち切る方針である。その一方で、政府・電力会社はフクシマの重大事故被害などまるでなかったかのように、全国の原発の再稼働や原発輸出を強行しようとしている。熊本、大分の大地震被害を目の当たりにしても、川内原発を停止しようとていない。
ふたつの原発重大事故の「教訓」を改めて学び、被害者の体験と思いを共有し、被害者の補償と人権の確立のため、そしてこのような被害を「繰り返さない」ために、何をなすべきかが私達に問われている。
2.チェルノブイリとフクシマの原発重大事故が示すもの〜事故の教訓
① 原発重大事故は「大惨事」を引き起こす
チェルノブイリとフクシマは、ひとたび原発重大事故が起これば、取り返しのつかない「大惨事」につながることを示した。二つの原発重大事故によって、原発から数百kmを越える広範な地域が放射能で汚染され、数百万人 もの市民と労働者が被ばくを強いられている。チェルノブイリでは40万人を越える人々が故郷を後にし、移住を余儀なくされた。フクシマでは、未だ約10万人が避難生活を送っている。事故被害は長期にわたり、将来世代にも及ぶ。人々の心身の健康と命が脅かされ、事故前の生活が奪われた。被害は、個々の被害者や家族のみならず、地域社会、国家の様々なレベルに及び、また経済、政治、文化等、様々な分野に及んでいる。そして人々の生命権・健康権、生活権をはじめ様々な「人権」が侵害されている 。さらに被害は人間社会だけでなく、生態系全体に及ぶ危険性もある。
②「核利用」はコントロールできない
チェルノブイリとフクシマは、核の「平和・産業」利用である原発も、核の軍事利用と同じくコントロールできないことを改めて示した。「安全な原発」などなく、原発が存在するかぎり重大事故の危険は避けられない。そして一度原発重大事故がおこれば、事故収束は困難を極め、放射能の環境への漏出も長期にわたりコントロールできないこと、また環境の放射能汚染の「除染」は困難を極め、汚染を完全に取り除くことなどできないことを、私たちは目の当たりにしている。コントロールできない核利用の危険から人々を「防護」するためには、核利用そのものをなくしてゆくしかない。
③「核と人類は共存できない」
ヒロシマ・ナガサキで始まった核兵器開発は、大気圏核実験による地球規模の放射能汚染をもたらした(1950-60年代)。また、人類の存亡にも関わる「全面核戦争」につながる寸前の危機をもたらした(1970-80年代初め)。チェルノブイリ・フクシマの原発重大事故もまた、グローバルな放射能汚染をもたらした。さらに「人類の存亡にも関わる危機」への拡大の危険性もゼロではなかった。
このように核被害は、軍事利用と「平和・産業」利用のいずれによるものも、グローバルで壊滅的な性格を持ち、コントロールできず、「人類存亡の危機」をもたらす危険性をはらんでいることを、チェルノブイリ・フクシマから、改めて学ばねばならない。核兵器と同じく、原発が地球上にある限り、核による「人類存亡の危機」の危険性はなくならない。私達は、核兵器も原発もない社会をめざし、人類の「未来への責任」(持続可能性への責任)を、今こそ果たさねばならない。
3. チェルノブイリとフクシマを結ぶ
① 二つの被災地を結ぶ基礎〜被害者の「体験」「思い・訴え」「闘い」
チェルノブイリとフクシマは、それぞれに事故の性格、社会・歴史的背景の特殊性があるが、原発重大事故として普遍的な被害の問題、被害者の体験や思い・訴え、闘いがある。それぞれの特殊性をふまえた上で、被災者どうしが交流し、学び合い、共通の問題の解決に向けて取り組むことが重要である。
② 放射能汚染と被ばくを強いられた
チェルノブイリとフクシマは、それぞれの原発や事故の性格、放出放射能量と核種の割合、被ばく状況、等々に違いはあるが、いずれも事故によって広範な生活圏と環境が放射能で汚染され、多くの市民や労働者が被ばくを強いられている。人々は、事故発生当時もその後も、適切な情報提供や防護策がなされない中で、より多くの被ばくを強いられた。多くの人々が被ばくを避けるため、避難・移住を余儀なくされている。事故収束や汚染地での作業のために、多くの労働者が、通常運転ではない高い線量と過酷な現場での被ばく労働を強いられている。
③ 健康と命の問題
被ばくの程度や仕方、民族や生活習慣などの疾病の背景因子は、チェルノブイリとフクシマのそれぞれに特殊性がある。しかし、被ばくによる後障害(晩発性障害)は、どんな低線量でも線量に応じた頻度で健康影響が出る可能性があり、また、がん・白血病だけでなくがん以外の疾患も起こる可能性があるということは、原爆被爆者や世界の核施設労働者など、他の核被害者の調査からもすでに明らかになっている。このように現実に起こりうる被ばくの健康影響に対し、チェルノブイリとフクシマの被害者は、自らの健康への不安を抱え、自分だけでなく子や孫たちの健康も心配し、その心配・不安は一生涯続く。健康と命を守ることは、チェルノブイリとフクシマを結ぶ重要な課題である。
④ 生活全体の問題
事故による影響は、健康の問題に留まらない。放射能汚染によって多くの人々が、事故前の生活や故郷を奪われた。社会・経済・文化、等々、人々の生活全体への深刻な被害がもたらされている。その被害の多くは、完全には「元に戻せない」、「金銭的補償」では、とうてい償いきれないものである。
⑤ 人権侵害
事故が引き起こした様々な問題によって、生命権、健康権をはじめ、様々な形で被害者の「人権」が侵害されている。
⑥ 差別と分断
被害をもたらした人々(国と電力・原子力産業等)が責任を取らず、被害者に対する適切な支援・補償が実行されない下で、被害者どうし、あるいは被害者と被害者以外の人々の間に差別と分断がもたらされている。
⑦ 被害者の人権の回復と確立のための努力
チェルノブイリでは、放射能と被ばくの影響を懸念する専門家などの働きかけや、被害者自身の運動を背景に、1991年に「チェルノブイリ法」 が制定された。この法律は、当時の社会主義ソ連の憲法と社会保障、医療(無料の医療・健診、予防医学)、教育等の制度を基礎に、事故被害者の「生命と健康の保護」を、国家が責任を持って行うことを定めたものである。社会制度の違いや事故後の歴史的経緯などの背景を理解した上で「チェルノブイリ法」に学び、フクシマ事故被害者の「生命と健康の保護」を国の責任で具体的に行わせていくために活かしていくことが重要である 。
また日本では、核の軍事利用の被害者である、ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆者が長年にわたって権利としての援護、「国家補償に基づく被爆者援護法」を求めて闘ってきた運動と成果に学ぶことも重要である。浪江町などの被災自治体は、市町村として住民に「健康手帳」を配布している。
フクシマの被害者の人格権、生命権、健康権、環境権などを求め、裁判、署名、政府交渉など多様な形態と具体的要求を掲げ、様々な運動が取り組まれている。チェルノブイリでもフクシマでも、原発を推進して事故を招いた加害者の責任を厳しく問い、その謝罪と反省の上に、被害者への具体的な支援・補償がなされなければならない。
⑧ 「繰り返させない」思い
「原発事故の被害を繰り返してはならない」「このような苦しみは自分たちで最後にしてほしい」との思いは、チェルノブイリもフクシマも共通した被害者の強い願い、訴えである。
⑨ 世界の核被害者とも共有:
これら被害の体験と思いは、それぞれに被ばくの状況や歴史的・社会的背景は違うが、ヒロシマ・ナガサキをはじめ、世界の他の「核被害者」とも共有できるものであり、被害者どうしの連帯の基礎でもある。
4.「フクシマを核時代の終わりの始まりに」
「ヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリを繰り返してはならない」「核被害による苦しみを二度と繰り返してはならない」と長年、訴えてきたにもかかわらず、フクシマ事故が起こる前に日本の原発を止められなかったことは、痛恨の極みである。
核兵器は、削減から、さらに「非人道性」を基礎に核使用の非合法化を求める国際的な取り組みが進んでいる。原発・核燃料サイクルに対しても、フクシマ事故後、世界は脱原発へとシフトしている。日本でも、脱原発、再生可能エネルギー拡大、省エネルギーを進め、エネルギー政策の「大転換」を進めなければならない。
ヒロシマ・ナガサキで始まった「核時代」を、チェルノブイリを経て、さらにフクシマと向き合う今、これ以上の核被害を許さず、「フクシマを核時代 の終わりの始まりに」することをめざして進んでいかなければならない。