(日本平和学会2016年度春季研究大会報告レジュメ)
2016年6月 日
「植民地主義と平和」分科会報告
日本の外交において継続する「植民地主義」
―対アフリカ外交を中心に―
西サハラ問題研究室主宰、早稲田大学非常勤講師
高林敏之
キーワード:日本外交、植民地主義、アフリカ
はじめに
日本の植民地支配をめぐる議論は、直接的に植民地支配あるいは軍事占領を行った東アジア諸国やミクロネシア、東南アジア諸国などを概ね対象とする。さらには先住民問題の観点を交えて、沖縄(琉球)や北海道を射程に加えた議論も増えている。
しかしながら、ここに異なる視角を加えることができるのではあるまいか。つまり、日本が直接的に植民地支配を及ぼさなかった地域においても、その外交実践において植民地主義の色濃い影響を見ることができるのではないかということである。2015年のいわゆる「解釈改憲」および新安保法制の成立によって本格的な海外軍事展開の道が開かれた今こそ、日本外交に深く根を張る植民地主義を検証し、対峙する必要があるだろう。
本報告では、日本の対アフリカ関係をこの視角から検証する。
1、アパルトヘイト体制との友好関係
日本は、「南アフリカ連邦」が成立した1910年から、アパルトヘイト体制が正式に終結する1994年まで、南アフリカの白人入植者少数支配体制と長い歴史的関係を有してきた。1910年にケープタウンに名誉領事を任命、1918 年には正式な領事館をケープタウンに開設し、1937年には大使級外交関係を樹立した。経済関係も活発化し、第1次世界大戦で主要戦勝5大国のひとつとなり国際連盟の常任理事国にもなると、その威信を背景にして1930年に、アジア人移民を排斥する「移民法」の例外として日本人を処遇する「名誉白人」待遇を認めさせた。白人入植者支配体制から「白人並み」の「植民地帝国」として認められたのである(森川1988)。
日本は南アとの間に、第2次大戦前には「羊毛輸入・繊維製品輸出」を、戦後は「鉱物資源輸入・重工業製品輸出」を軸として、「原料輸入・製品輸出」という植民地的貿易関係を発展させた。1948年に成立した国民党政権によるアパルトヘイト政策に対して、アフリカなど旧植民地諸国を中心に国際的非難が高まる中でも、日本は南アとの経済関係を拡大し続け、アパルトヘイト体制に対する国際的な制裁の動きにも実効性の乏しい対応に終始した(林1992)。そして、1987~88年には日本の対南ア貿易額が世界第1位に達し、1988年の国連総会決議における日本への名指し非難など、厳しい国際的批判を受けるに至る。
アパルトヘイト根幹法である「人口登録法」が1991年に廃止されるとともに「名誉白人」待遇も自動的に消滅し、日本人は自らこの不名誉な称号を返上する機会を永遠に失った。それは日本が対アフリカ関係において、植民地主義的な関係性と「植民地帝国」としての精神性を清算する機会を逸したことを意味するものであった。
日本と南アフリカの関係は朝鮮半島情勢にも関係する。朝鮮戦争に「国連軍」の一員として参戦し朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)を空爆した南ア白人空軍部隊の拠点として、日本が使われたのである。現在も停戦体制下で存続する「国連軍後方司令部」の存在根拠となっている日本と「国連軍」との地位協定には南アも調印していた。在日米軍と航空自衛隊さらに朝鮮「国連軍」の機能一体化が進められ、また対DPRK制裁の名のもとに「朝鮮籍」者へのアパルトヘイト的施策(「朝鮮籍」の分離集計・公表、朝鮮学校への補助金見直し要請通知、「朝鮮籍」者へのDPRKに渡航しない旨の「誓約書」要求)が矢継ぎ早に打ち出されている現状において、この歴史は改めて顧みられるべきであろう。
2、旧ドイツ植民地再分割での対南ア協力とナミビア・ウラン問題
日本と南ア白人政権は、第1次大戦後の旧ドイツ植民地再分配においても協力した。主要戦勝国としてヴェルサイユ講和会議の最高会議を構成した日本は、旧オスマン帝国領および旧ドイツ植民地の委任統治領としての再分配にあたって南洋群島の実質的併合を画策し、やはり隣接する南西アフリカ(ナミビア)の実質的併合を企てる南アと連携して、両地域を「受任国の構成分子として同国の法律により」統治されるC式委任統治領とすることを認めさせた(森川1988)。
南アは第2次大戦後も南西アフリカの国際連合信託統治領への移行を認めず、1966~69年の国連総会および安保理決議によって南ア統治の違法・無効および国連南西アフリカ理事会(68年よりナミビア理事会)による直接統治が宣言されたにもかかわらず、ナミビアに1990年の独立まで居座り続けた。ナミビア理事会は1974年の「ナミビアの天然資源保護に関する布告第1号」により、南ア行政当局の「許可」によって行われる天然資源の開発・採取・輸出等を一切禁止すると宣言したが、日本はこの布告を無視してナミビア産資源の「輸入」を続けた。とりわけウランが英国および米国での転換・濃縮加工処理を経て「密輸」され、原子力発電の開発に大規模に注ぎ込まれた(日本反アパルトヘイト委員会1989)。日本の原発は―1970年代に軍事独裁のもと日本の自主開発ウラン鉱が開発されたニジェールとともに―占領ないし抑圧体制下における資源の植民地的収奪、アフリカ人の人権と環境に対する侵害の上に開発されたのである。
3、自決権に否定的な植民地主義的国際法認識
日本外交の植民地主義的性格は、自決権よりも宗主国・占領国による支配を優先し、植民地解放運動に否定的な国際法認識と外交姿勢にも表れている。
例えば、1973年9月に独立運動組織ギニア・カーボ=ベルデ独立アフリカ人党(PAIGC)により独立が宣言されたギニア・ビサウ共和国の国家承認に関して、外務省は「PAIGCは国際法上『叛乱軍』とみなされる」「現在国際法上、当該地域を代表しているのはポルトガルでしかない」として否定的な見解を示すとともに、ギニア・ビサウがアフリカ統一機構(OAU)への正式加盟を認められ国連のオブザーヴァーになった事実よりも「国連加盟国の半数以上が『ギニア・ビサウ』を承認していない」事実を優先させる姿勢をとった(アフリカ行動委員会1974)。これは脱植民地化の進展とともに確立された、自決権を重視し植民地を施政国と別個の地位を有するものとして扱う現代国際法の考え方(自由権規約、社会権規約、「植民地独立付与宣言」、「友好関係原則宣言」など)に反し、かつアフリカなど旧植民地諸国の意志を軽んじるものであった。さらに、ポルトガル植民地や南アとの経済関係を肯定さえしたのである。日本は米国や西欧諸国に先駆けて、かつポルトガルとPAIGCによる1974年8月26日の独立協定締結に先立ち8月1日にギニア・ビサウを承認したが、これは既成事実をほんの一歩早く容認したものにすぎなかった。
かかる国際法認識と外交政策は、今も未解決の西サハラ問題に対してはさらに顕著である。日本はモロッコが西サハラを占領した1975年以降、国連総会において投票採択された西サハラ自決支持決議に対しほぼ一貫して棄権してきた。これはモロッコ最大の支援国であるフランスや、冷戦下で「アラブ穏健派」モロッコを重視してきた米国とほぼ同一の投票行動である。また、独立運動組織ポリサリオ戦線が1976年2月27日に建国を宣言した亡命政府「サハラ・アラブ民主共和国(RASD)」が1982年以来のOAU、現アフリカ連合(AU)正式加盟国であるという事実にもかかわらず、アフリカ開発会議(TICAD)プロセスからRASDを排除し続けている。
他方で日本政府はモロッコを無条件にTICADへ招聘し続けているばかりか、「緑の行進」30周年にあたる2005年11月にモロッコ国王ムハンマド6世を国賓として招聘しパートナーシップを強化するという、西サハラ人民に対し極めて挑発的な行為に及んだ(高林2005)。国王来日直前の2005年10月付で外務省中東第1課により公表された「モロッコ概況」という文書では、西サハラ帰属問題をモロッコの「内政」問題として扱い、占領地域を「占有」された「領土」として扱っていた。さらにRASDを「欧米諸国を含む多数の国が未承認」であると強調しつつ、約60ヵ国により承認されAUの正式加盟国である事実に触れず、西サハラが1963年以来国連脱植民地化委員会の「非自治地域」リストに登録されている事実にも、西サハラとモロッコとの主権的紐帯を否定した1975年10月16日の国際司法裁判所勧告意見にも言及しないのである(外務省中東第1課2005、2008)。
このように、占領国による実効支配を自決権に優先させる国際法認識は1970年代とまったく変わっておらず、外務省のホームページには西サハラを「地域」として紹介するページすら設けられていない。かかる認識に立脚して、日本は西サハラの資源(主にリン鉱石とタコ)収奪を積極的に容認してきた。財務省貿易統計により確認できるだけでも、2000年から2015年まで累積して16億4446万5000円相当の西サハラ産品(ほぼ全てがタコ)を「輸入」しており、加えて、「モロッコ産」として西サハラのリン鉱石が「輸入」されていることも確認されている。ナミビアの事例と同じ構図であり、かかる資源収奪行為は国連やAUの法務部門からも違法宣告されている(Corell 2002, The Office of the Legal Counsel and Directorate for Legal Affairs of the African Union Commission 2015)。
4、ジブチの自衛隊基地設置と「地位協定」の植民地主義的性格
第2次大戦後も「平和憲法」の陰で演じられてきた植民地主義的対外政策は、2009年にその頂点に達した。日本は2009年にソマリア「海賊対処」のため派遣した海上保安庁および海上自衛隊の拠点となるジブチと同年4月に極めて不平等な「地位協定」を締結、2011年6月には自衛隊史上初の海外常設基地を設置したのである。
2009年に成立した「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」(海賊対処法)によって、日本は地理的制限なしに海外で治安活動を展開し、秩序の崩壊に乗じた水産資源の違法収奪や海洋環境の破壊により追い詰められ「海賊」になることを余儀なくされた民を、日本の法により拘束し処罰できる国家となった(高林2010)。
この「海賊」対処活動に伴い締結されたジブチとの「地位協定」は、国会の批准を必要としない外務大臣間の「交換公文」という行政取極めとして締結され、ジブチに駐留する自衛隊、海上保安庁、現地連絡事務所の要員・財産・資産に対する全面的な治外法権を認めさせたものであった。19世紀末期から20世紀初期にかけて展開されたソマリ民族植民地分割により、フランスの戦略・交易拠点として人為的に形成された砂漠気候の小国ジブチは、ジブチ港の中継貿易および軍事基地関係の収入に経済を全面依存している。その足許を見て日本は、幕末に欧米列強との間に締結させられた不平等条約に類するものを、明治維新後に朝鮮に押し付けた行為を再現するが如くに振る舞ったのである。それも1977年の独立以来、叔父から甥へと世襲された独裁政権と結託してである。
「海賊」問題のみならず、ソマリア紛争やエリトリアとの国境紛争に取り巻かれたこのジブチの基地を、日本政府は「国際平和協力活動」の拠点として機能強化する方針を打ち出している。「解釈改憲」と新安保法制によって、ジブチを拠点に日本が集団的自衛権を行使し紛争に参入する道も開かれた。まさしく「帝国」の再現である。
むすび
以上に概観してきた通り、「平和憲法」のもとにあっても、日本の対アフリカ政策は植民地主義的な性格を受け継いできたが、一部の研究者を除いて充分な検証がなされることはなく、一般の関心も低かった。日本がアフリカの地を舞台に「帝国」を再現する事態を許してしまった今こそ、私たちは日本のアフリカ外交を、我々自身とアフリカの平和に直接関わる重大事として、かつ日本の植民地責任清算の問題として、正面から見据えなければならない。
【参考文献】
・高林敏之(2005)「ついに顕わになった日本の西サハラ占領支持―『皇室外交』政治的悪用の極点」『西サハラ問題研究室ホームページ』2005年12月アップロード【http://www.geocities.jp/viva_saharawi_tt/nihonnoseisaku_2.html】
・高林敏之(2010)「『ソマリア海賊問題』を生み出したもの―あるいはアフリカで奏でられる『帝国復活』のファンファーレ」『歴史学研究』第862号、37―44頁および63頁
・日本反アパルトヘイト委員会(1989)『ナミビアの独立―ウランの密輸と日本』(ブックレット)
・林陽子(1992)「国際社会とアパルトヘイト」、マンデラ歓迎日本委員会編『ポスト・アパルトヘイト』日本評論社、82―96頁
・森川純(1988)『南アフリカと日本―関係の歴史・構造・課題』同文舘
・アフリカ行動委員会(1974)『アフリカ行動委員会ニュース』第17号
・外務省中東第1課(2005、2008)「モロッコ概況」
・Yearbook of the United Nations各年号および国連公式ウェブサイト(国連総会・安保理決議)
・Hans Corell (2002), Letter dated 29 January 2002 from the Under-Secretary-General for Legal Affairs, the Legal Counsel, addressed to the President of the Security Council (S/2002/161), February 12, 2002.【http://www.arso.org/Olaeng.pdf】
・The Office of the Legal Counsel and Directorate for Legal Affairs of the African Union Commission(2015), Legal Opinion on the Legality in the Context of International Law, including the Relevant United Nations Resolutions and OAU/AU Decisions, of Actions Allegedly taken by the Moroccan Authorities or Any Other State, Group of States, Foreign Companies or Any Other Entity in the Exploration and/or Exploitation of Renewable and Non-Renewable Natural Resources or Any Other Economic Activity in Western Sahara, October 7, 2015.【http://www.sadr-emb-au.net/wp-content/uploads/2015/10/legal_opinionof-the-AUC-Legal-Counsel-on-the-legality-of-the-exploitation-and-exploration-by-foreign-entities-of-the-natural-resources-of-Western-Sahara.pdf】