2014年7月閣議決定では、集団的自衛権行使の前提条件として新3要件が示されました。「存立危機事態」とはこのうちのひとつで、「密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」ことを意味します。これをうけて安保法案は、明白な危険がある「存立危機事態」に集団的自衛権を行使できると定めています。
政府は長らく個別的自衛権の行使に限り合憲としてきました。1972年政府見解では、日本の存立を全うするために必要な自衛の措置は禁じられないという観点から、存立危機事態での必要最小限度の武力行使を合憲としています。「我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合」、すなわち、あくまで日本が武力攻撃を受けた場合に対応するための個別的自衛権行使、という文脈に限定されていたわけです。
「法の支配」とは、専断的な国家権力の行使を排斥し、権力を法(憲法)で拘束することにより、国民の権利・自由を擁護すべきとする概念です。憲法規範により拘束される国家権力は、憲法規範と整合する法律を制定して権力行使に及ぶべきこととなり、「法律の明確性」が要請されることになります。内容が不明確な法律には、国家権力に恣意的な運用を許してしまう危険性があるからです。それでは、安保法案はどうでしょうか。
安倍首相は2015年7月3日の安全保障関連法案に関する衆院特別委員会において、存立危機事態につき、他国を武力で守る集団的自衛権に関し、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や権利が根底から覆される明白な危険」が「ない」と判断できない場合に、行使に踏み切る可能性に言及しました。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が公海上の米艦を攻撃した事例を挙げ、「日本を攻撃しないと言いながら、意図を隠して攻撃の用意をしていることは当然あり得る」とし、集団的自衛権の行使が可能となる存立危機事態の認定に関し「明白な危険が『ない』をどう判断するかだ」という答弁は、存立危機事態の認定が政府の裁量次第であることを鮮明にしたものです。明白な危険が「ない」と確認できないなら、集団的自衛権に基づき自衛隊が反撃することもあり得るとし、日本が武力攻撃を受けていなくても、政府が 「総合的」に判断して存立危機事態を認定できるかのような答弁もなされています。
現行法では、我が国が武力攻撃を実際に受けた場合にのみ、必要最小限の武力行使が可能とされており、武力攻撃を受ける可能性が高い「武力攻撃切迫事態」では、防衛出動はできるものの実際の武力行使は認められていません。(麻生多聞)
参考URL
沖縄タイムスプラス「木村草太の憲法の新手(12)存立危機事態 不明確な法律 政府が判断 恣意的運用の危険」