4. 戦後日本の「専守防衛」政策はどのようなものだったのでしょうか。

 戦後日本の「専守防衛」政策は、日本国憲法の制約のもとで、自衛のために必要な限度で、防衛力の整備を進めるというものでした。それは憲法第9条の規定と自衛隊の存在に整合性をもたせ、憲法第9条の制約のもとに置かれた自衛隊のあり方を示すものにほかなりません。1950年(昭和25年)の警察予備隊の創設から保安隊を経て、1954年(昭和29年)には自衛隊となり、自衛のための実力組織としての性格が明確になりました。その後、防衛力の整備は着実に進められていき、それにともなって、自衛隊と憲法第9条の整合性を図ることが課題となってきました。

 はじめて「専守防衛」の考え方が示されたのは、1970年(昭和45年)に、佐藤内閣で中曽根防衛庁長官のもとに刊行された、最初の防衛白書『日本の防衛』でした。そこでは「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と明記し、それに続けて「専守防衛の防衛力は、わが国に侵略があった場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである」と指摘したうえで、「専守防衛は、憲法を守り、国土防衛に徹するという考え方である」と述べています。これ以後、この「専守防衛」の考え方は、わが国の防衛政策の基本になっていきます。

 戦後日本の防衛政策の基本的枠組みは、限定的で小規模な侵攻に対しては自力で、それをこえる大規模な侵攻に対してはアメリカと共同で対処し、核攻撃がなされた場合はアメリカの核戦力に期待するというものでした。自衛隊はあくまで自衛の措置としてのみ対処し、自衛の範囲をこえた行動はしないということです。「核抑止力の対米依存」という枠組みのもとで、限定的で小規模な侵攻に備える防衛力を整備することが、戦後日本の「専守防衛」政策の基本であり、それにもとづく防衛力整備のあり方を示したものが、1976年(昭和51年)に採用された「基盤的防衛力構想」にほかなりません。

 戦後日本の「専守防衛」政策は、冷戦期の国際政治の枠組みが、相互抑止の構造として安定化するなかで、この「基盤的防衛力構想」にもとづいて進められてきました。(内藤 酬)

 

参考文献

・昭和45年度版防衛白書、防衛庁編『日本の防衛』(1970年)

・昭和51年度版防衛白書、防衛庁編『日本の防衛』(1976年)

・昭和52年度版防衛白書、防衛庁編『日本の防衛』(1977年)

 防衛白書は防衛省のホームページhttp://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_web/から自由に閲覧できます。

・防衛学会編『国防用語辞典』(朝雲新聞社、1980年)