30.国際政治学の立場から安保法制をどのように評価しますか。

 政府は、国内向けには憲法の平和主義を誤って連想しかねない「積極的平和主義」という概念によって今回の安保法制を正当化していますが、 対外的に使われている“proactive contribution to peace”という同概念の英訳に、その内実が率直に表現されてと思います。今回の安保法制の核心は、集団的自衛権の行使にせよ、国連の集団安全保障体制への寄与にせよ、集団的武力行使の体制に対する負担分担論で、軍事的な国際貢献論であると考えます。

 国際政治学の観点からすれば、今回の安保法制の問題は、国際政治学の学問的蓄積について都合の良いところだけを恣意的に利用していることにあります。

 諸国家が武装して対峙する国際政治の世界において、何らかの利害対立が武力紛争へとエスカレートして不合理な戦争が勃発する理由は二つあるとするのが、国際政治学の基本です。すなわち、一つは、関係国の同意によることなく、国家間の価値配分の現状を一方的に変更する行為(たとえば武力攻撃)を自制するという約束に説得力がない場合であり、もう一つは、そのような現状変更行為を断固排除するという威嚇に説得力がない場合です。

 一般に、価値配分の現状に対する脅威を削減する政策を安全保障政策と言いますが、この安全保障が容易ではないのは、軍備や同盟といった現状維持の手段が、現状変更の手段ともなりうるため、武力攻撃には断固反撃するという《威嚇の説得力》と、いかなる意味においても政策の手段としての武力の行使や武力による威嚇――今日の文脈では、この威嚇には、国連安保理の特定の決議を対象国が履行しなければ武力の行使も辞さないとする威嚇も含まれます――を慎むという《約束の説得力》との間に二律背反の関係が生じるからです。それゆえに、威嚇と約束のいずれか一方を偏重しては、安全を確保できるものではありません。

この観点からすれば、今回の安保法制は、威嚇を偏重する一方で約束への配慮が足りないので、周辺国の不安を掻き立てることになり、日本の安全保障をかえって危うくするおそれがあると言えるでしょう。(石田 淳)

 

参考文献

石田淳「安全保障の政治的基盤」遠藤誠治・遠藤乾編『シリーズ日本の安全保障第一章 安全保障とは何か』岩波書店、2014年