17. イスラエル/パレスチナ問題の現状について教えてください。

 イスラエル/パレスチナ問題は、反ユダヤ主義と帝国主義という近代ヨーロッパで生まれた2つの問題に端を発しています。

 まず反ユダヤ主義についてですが、もともとヨーロッパのユダヤ人は、文化的自治や宗教的暮らしの維持を目指したり、キリスト教社会への同化を目指したりなど、実に様々な生き方をしていました。19世紀後半に高揚した反ユダヤ主義は、本来は多様であるユダヤ人を一枚岩の「ユダヤ人種」に仕立てあげ、かつその人種を「劣等」と見なす人種主義思想でした。この反ユダヤ主義が頂点に達したのが、1930年代のナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)でした。

 反ユダヤ主義をうけ、ヨーロッパの一部ユダヤ人の間からは、古代イスラエル王国のあった「シオンの丘」(パレスチナ)に移住してユダヤ人国家を作ろうとする運動が起こりました。これはシオニズム運動と呼ばれます。一般に、ホロコーストが起きたからイスラエルの建国が必要だったと説明されることは多いのですが、実はこの2つの出来事は直接には結びつきません。反ユダヤ主義に直面したユダヤ人にとってシオニズム運動は唯一の解決だったわけではなく、パレスチナ以外への移住(特にアメリカ)を望む人や、あくまでもヨーロッパ社会内での解放や自治を求めた人もいたのです。

 しかし、ここにユダヤ人問題は自国の外で解決してほしいという欧米各国の思惑が働き、ユダヤ移民の受け入れが制限されたり、国内でのユダヤ人の権利向上が阻まれました。この選択肢のない状況で避難を余儀なくされた多くのユダヤ人が、難民となってパレスチナにやって来たのです。他方、シオニズム運動の指導者たちは、アラブ系住民が多数であるパレスチナでユダヤ人口を増やすためにユダヤ難民たちを受け入れ、イスラエル国民になるよう動員していきました。

 パレスチナでのユダヤ人国家の建設はアラブ系住民の排除につながりました。そこでは「ユダヤ人」という人種が作りあげられたのと同様、先住者たちも「アラブ人」という人種にくくられ、かつ、「アラブ人」は「ユダヤ人」より劣るという論理から、その排除が正当化されたのです。1948年のイスラエル建国時には、アラブ系住民の半数以上(約75万人)が難民になりました。パレスチナ難民が故郷に戻る権利は国連総会決議でも認められていますが、その実現は見果てぬ夢のままです。

 この「ユダヤ人」・「アラブ人」という人種の創出と序列化は、当時の英仏列強の帝国主義政策と結びついていました。英仏列強は、帝国主義的関心から中東に侵出して人工的に境界線をひき、自分たちの息のかかった勢力に統治させており、ユダヤ人国家の建設もこうした列強の政策に沿うものでした。そしてイスラエルは長らく、欧米の人種主義・帝国主義的政策と歩調を合わせ、紛争の勝者となってきたのです。

 イスラエル建国以降、パレスチナのアラブ系住民たちは、自分たちは「パレスチナ人」という民族集団であるとして民族解放闘争を行ってきました。1967年の第3次中東戦争でイスラエルがパレスチナ全土・シナイ半島・ゴラン高原を占領したことでこの闘争はいっそう強まり、ヤーセル・アラファト率いる政党ファタハがPLO(パレスチナ解放機構)の主力になりました。

 パレスチナ人の政治状況は、イスラエル・PLO間で結ばれたオスロ和平合意(1993年)で激変します。オスロ合意は一般に、イスラエルの占領終結・パレスチナ独立国家樹立への第一歩とされますが、その実態はパレスチナ人を大いに落胆させるものでした。結局のところオスロ和平プロセスは、米国のお膳立てのもとでイスラエルの占領体制を再編成したに過ぎず、パレスチナ人には限定的自治に甘んじるよう迫るものでした。そしてPLOがこの問題含みの和平にパレスチナ人の代表としてサインしてしまったことが混乱の種になりました。

 和平合意以降、PLOとファタハ上層部には国際支援が集中する一方、占領が継続する地域は取り残されました。民衆の不満は膨らみ、2006年の立法評議会選挙では和平プロセス反対派のイスラーム主義組織ハマースが勝利します。ハマースは、その憲章ではイスラエルの生存権を否定していますが、指導部内にはパレスチナ国家独立が実現するならイスラエルを承認するという立場の者もいます。しかし、イスラエルと欧米諸国は、ハマースは「テロリスト集団」だと一方的に指定して支援を打ち切り、PLO主流派ファタハへの支援を行ったのです。

結果、2007年にはファタハ・ハマース間で衝突が起こり、政治構造はガザ地区のハマース内閣、ヨルダン川西岸地区のファタハ内閣に分裂しました。これは一部ではハマースによるガザ「制圧」だと説明されますが、パレスチナ民衆の選挙によって選ばれた与党ハマースに対するファタハのクーデタと見るべきでしょう。

 現在、ハマース「制圧下」とされるガザ地区は、イスラエルによって陸海空をほぼ完全に封鎖され、人道危機が起こっています。この人道危機に加え、近年イスラエルがたて続けに行っているガザ大規模侵攻は、多くの民間人犠牲者を生み出しました。昨年(2014年)7月〜8月のガザ侵攻では、パレスチナ人側で2251人が亡くなりました(国連報告書ではうち民間人は1462人)。イスラエル側の死者は73人ですが、その内訳はガザからのロケットで死亡した民間人6人、侵攻作戦に従事した軍人67人です。また、これらの侵攻ではパレスチナ人の住居・医療・教育・産業施設等も破壊され、復興のための多額の国際支援が約束されるも、その後もガザの封鎖は解かれていないため復興は進んでいません。

 しかし、イスラエルの勝者としての立場も近年変わりつつあると言われます。それはPLOおよびファタハの国際的地位が上昇したためです。1974年以来、PLOの国連総会での地位は「オブザーバー組織」でしたが、2012年に非加盟の「オブザーバー国家」に格上げされ、今年4月には国際刑事裁判所(ICC)への加盟が認められました。このように国連で「パレスチナ国家」が承認されたことで、PLOはイスラエルによるガザ侵攻のような暴力行為を戦争犯罪としてICCに提訴できるようになりました。この動きを、従来の和平プロセスから脱却してパレスチナ国家の主権を本当に回復しようとするPLOの努力と見るのか、あくまでも従来型の和平プロセスを再開するためのPLOの交渉カードに過ぎないと見るのかは、今後のPLOの動きにかかっています。ただし、PLOのこうした外交努力も、ハマースを抑えてパレスチナ人の代表の座を守ろうとする政治的振る舞いであることは見逃せません。状況打開を狙うハマースは、昨年(2014年)ファタハとの統一政権を発足させましたが実質的進展はないままです。(金城美幸)

 

参考文献

臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』講談社現代新書、2013年.

今野泰三・鶴見太郎・武田祥英編『オスロ合意から20年――パレスチナ/イスラエルの変容と課題』NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点中東パレスチナ研究班、2015年.

錦田愛子「パレスチナ:ハマース否定が導いた政治的混乱」青山弘之編『アラブの心臓に何が起きているのか』岩波書店、pp. 147-175、2014年.

Khalidi, Rashid. 2013. Brokers of Deceit: How the U.S. Has Undermined Peace in the Middle East. Boston: Beacon Press.