日本平和学会2015年度春季研究大会 2015年7月18日(土)
自由論題部会 単独報告
於・広島市アステールプラザ
「保護する責任」概念に基づく介入交渉の課題 ─対シリア介入交渉を事例として─
東京大学 大学院総合文化研究科 博士課程 志村 真弓
キーワード:国際規範、人道的介入、保護する責任、体制転換、化学兵器禁止条約、シリア
要旨
国内で発生する残虐行為に対して、国際社会はいかに対応することが適切か。諸国家は、内政不 干渉規範に基づき介入を否定する側と、人権保障規範に基づき介入を要求する側に分かれて対立し、 明確な行動基準を共有するにいたっていない。2011年以降のシリア情勢に際しては、「保護する責 任(Responsibility to Protect、以下R2P)」概念によって国際社会の介入が安保理において議論さ れたが、介入が最終的に体制転換を含むかどうかという点をめぐって2年間にわたり議論が紛糾し た。英仏米側がR2P概念に基づく介入の正当化を控えた後も、中露はシリアの体制転換の実現を警 戒して拒否権行使を繰り返した。しかし、シリアはこの間に破綻国家化し、同国における人道危機 は周辺諸国を巻き込んで深刻化した。安保理は、介入による体制転換を回避する方向で交渉を進め たが、介入があるなしにかかわらず、内乱から体制転換が起こりうる可能性については過小評価し ていたと言える。安保理はその後、米露が化学兵器禁止規範に基づく介入枠組みに合意したことか ら決議成立を果たしたものの、国際規範の解釈論争に常に拘泥され、人道危機の深刻化に対処しえ なかったことは否定しえない。
このように、シリアの事例は、国際規範が諸国の合意のうえに成り立つとはいえ、原則的合意は 直ちに国家の適切な行動範囲を示すものではないことを浮き彫りにした。これは、規範原則の解釈 段階における調整について柔軟性を必要とする、今日の国際社会の多元性に由来する根源的問題を あらためて提起した。しかし、だからといって規範が無視されたという評価も妥当しない。諸国が 化学兵器禁止規範を持ち出して、R2P概念で問題化した体制転換をめぐる議論を先延ばしするかた ちで介入枠組みの合意達成を図ったように、諸国は相互に行動の意図を確認するうえで、あくまで 規範的議論に依拠していたと言える。ゆえに、もはや介入による体制転換が問題ではなくなるとい ったような、新たな事態の展開によっては、R2Pが再び介入交渉の場で主張されることもある。
R2P概念が適切な人道的介入をめぐる諸国の対立を解決しなかったとはいえ、R2P概念に基づく 介入交渉は、人道危機の拡大と破綻国家化への危惧に先んじて体制転換型武力介入への懸念を争点 化する効果をもたらした。国内の残虐行為に対する国際社会の適切な対応を追求していくうえで、 規範概念がもたらす影響は決して無視しえないものがある。
■ R2P 概念を通じた規範調整の試み――<適切な人道的介入>の範囲をめぐって
R2P〔UN Doc. A/RES/60/1; A/63/677〕 所定の残虐行為(ジェノサイド、戦争犯罪、エスニック・クレンジング、人道に対する犯罪)か
ら住民を保護する能力や意思に欠ける国に対しては、国際社会が支援や介入を行い、当該住民の保 護を果たすべきである。
国際的な措置は、これまで通り集団安全保障体制の枠内で検討され実行されるべきものとする。
規範調整を果たすために持ち込まれた上位原則〔志村 2014〕
1 残虐行為の放置をめぐる論争(人権保障規範 vs. 内政不干渉規範)――「補完性原則」
⇒ 残虐行為発生国の「能力や意思の欠如」は、どのように確認されるか?
1
2 適切な武力行使をめぐる論争(武力不行使規範 vs. 残虐行為の強制停止)――「必要性原則」 ⇒ 事態の悪化を防ぐうえでの「非軍事的措置の非有効性」は、どのように確認されるか?
また、「軍事的措置の有効性」は、どのように判断されるか?
■ シリア人道危機の経緯――人道的介入について、だれが、何をめぐって争ったのか
年 |
月日 |
場所 |
事項 |
2011 |
3. |
シリア |
体制批判を落書きした学童の逮捕をきっかけに、反体制デモ発生。 治安部隊の鎮圧行為によって市民側に死傷者続出。デモが各地に拡大。 |
4. 末 |
国連 |
安保理や人権理事会において、シリア情勢を公式に協議。R2P論展開。 |
|
10. 4 |
国連 |
安保理決議否決【1】 (R2Pへの言及を含む英仏独葡の決議案に対して、 中露が拒否権を発動) |
|
2012 |
2. 4 |
国連 |
安保理決議否決【2】(R2Pへの言及を避けた英米仏及びアラブ連盟諸 国らの決議案に対して、中露が拒否権を発動。「体制転換」を警戒) |
3. |
国連 |
総会決議66/253A(2月16日)に基づき、国連・アラブ連盟共同特使が シリア政府との間で停戦をめぐる交渉にあたる(「6項目プラン」合意)。 |
|
4. 14 |
国連 |
安保理決議2042(2012)可決。シリア政府に対し、停戦監視団(UNSMIS) の受け入れについて国連と協議するよう要求。その後、停戦続かず。 |
|
6. 30 |
ジュネーブ |
ジュネーブ国際会議の開催(ジュネーブ合意)。暫定政権樹立を提唱。 |
|
7. 6 |
パリ |
シリア・フレンズ会合(第3回)開催。アサド大統領退陣の必要性を強調。 |
|
7. 19 |
国連 |
安保理決議否決【3】 (英米仏独葡の決議案に対して中露が拒否権発動) |
|
12. 12 |
マラケシュ |
シリア・フレンズ会合(第4回)開催。「シリア国民連合」を、反体制諸 派を束ねる、「シリアの人びとの正当な代表」として承認。 |
|
2013 |
1. 30 |
クウェート |
シリア人道支援会合(第1回)開催。 |
3. |
シリア |
化学兵器使用の疑いが浮上。シリア政府、国連調査団の受け入れに同意。 |
|
8. 29 |
英国 |
化学兵器使用停止・防止(「人道的対応」)を目的とする対シリア軍事 行動について、これを支持する法案が下院議会で否決される。 |
|
9. 14 |
ジュネーブ |
シリア、化学兵器禁止条約への加盟議定書を提出。 米露、「シリア化学兵器廃棄枠組み」に合意。 |
|
9. 27 |
国連 |
安保理決議2118(2013)可決。シリアにおける化学兵器使用は国際の平和 と安全を脅かすと認定し、化学兵器の迅速かつ検証可能な廃棄を要求。 |
|
2014 |
1. 22 |
モントルー |
シリアに関するジュネーブII国際会議の開催。 |
2. 22 |
国連 |
安保理決議2139(2014)可決。シリア政府のR2Pを確認。テロリズムにつ いて脅威認定を行い、即時停戦、人道的救援活動の受入拡大等を要求。 |
|
7. 14 |
国連 |
安保理決議2165(2014)可決。シリア政府のR2Pを確認。シリアの人道状 況の悪化について脅威認定を行い、救援物資配送に必要な越境を容認。 |
|
8. 15 |
国連 |
安保理決議2170(2014)可決。IS[ISIS; ISIL]とヌスラ戦線のテロ活動 拡大の動きを警戒。指導者らを制裁リストに追加。 |
|
9. |
シリア |
米軍率いる多国籍軍、イラクにおけるIS掃討作戦(8月)に続き、シリ アにおけるIS掃討作戦を開始。 |
|
2015 |
3. 6 |
国連 |
安保理決議2209(2015)可決。決議2118及び化学兵器禁止条約への違反を 懸念。更なる不履行に対して憲章第7章下の措置を取りうることを想起。 |
関連文献
志村真弓(2014)「『保護する責任』をめぐる行動基準論争――補完性原則と必要性原則の政治 学的分析」『国際政治』第176号、57-69頁。
2