ジェノサイドに至る段階(Genocide Timeline)
澤正輝(認定NPO法人ビッグイシュー基金)
1. 「予防の文化」の進展
国際連合(以下、国連)第七代事務総長コフィ・アナン(Kofi Annan)は、2001年6月に公表した事務総長報告書「武力紛争予防」の中で、国連を「対処の文化(culture of reaction)」から「予防の文化(culture of prevention)」に転換させると公約した[1]。予防の文化に転換するとは、「紛争予防を、平和と安全の維持という国連のマンデートの中心に置く」ことを意味していた[2]。
公約から約10年、予防分野では少なくとも四つの突出した進展があった。「責任としての予防」という発想であり、予防範囲の深まりであり、予防対象のひろがりであり、ジェノサイド予防特別顧問室(OSAPG)の設置である。予防の内実が伴っていなかった時期と比べれば、2001年からの進展は目覚ましい。
2. 指標型モデルの開発:意義と限界
目覚ましい進展を象徴した、現時点の到達点と言ってよいのが指標型モデルの開発である[3]。
指標型モデル開発の意義は大きい。開発された指標をもとに、いま住んでいる地域でジェノサイドが起こる可能性があるのかを点検できるからである。事実、日本では人種差別撤廃NGOネットワークが指標型モデルを活用し、日本は「ジェノサイドへの道を歩んでいる」と結論づけている[4]。彼らは人種差別撤廃委員会が2005年に公表した十五の指標をもとに日本の現状を点検し、上記の結論を引き出した[5]。
一方、指標型モデルには、以下に指摘する四つの問題点がある。一つ目に、公表した媒体ごとに指標の項目数・項目内容・項目順が異なっている。二つ目に、何を満たせばその指標に該当するのかが不明確なため、評価が安定しない。事実、先述した人種差別撤廃NGOネットワークの評価は揺れている。ある箇所では「ジェノサイドへの道を歩んでいる」と評しているが、別の箇所では「ジェノサイドへ向かっている危険な状態にある」と評している[6]。「道を歩んでいる」ことと「危険な状態にある」こととは明らかに程度が異なるが、彼らが作成した報告書では混在している。
さらに三つ目に、指標ごとに強弱をつけていないため、ジェノサイドが起こるリスクはどの程度なのか、その高低を正確に計ることができない。Analysis Frameworkでは「八つの指標の間に優先順位は存在しない」[7]と明記されている。だが、指標間に優先順位をつけない限り、リスクの高低を正確に計ることはできない。四つ目に、ジェノサイドが起こるまでのプロセスを反映できていない。事務総長報告書「保護する責任」(2013年)は「極悪罪(Atrocity Crime)は単一の出来事ではなくプロセス」[8]と記し、プロセスの重要性を指摘している。にもかかわらず自らが公表したモデルでは、その指摘を全く反映できていない。
四つの問題点のうち、最初の二つは指標型を改良すれば克服できるかもしれない。一つ目は統一の指標型モデルを開発すればよく、二つ目は指標ごとに下位項目を設定すればよいからである。
だが、三つ目と四つ目の問題点は克服しがたい。指標型モデルに内在する限界だからである。こうして、指標型モデルには二つの克服しがたい限界があり、ジェノサイド予防の構想としては不十分であると言わざるをえない。これらの限界を克服した、新しい構想の提示が求められていると言えよう。
3. 段階型モデル:意義と問題点
(1) スタントンの八段階モデル
ジェノサイド研究者は段階型モデルの開発を試みてきた。その代表例は、スタントン(Gregory H. Stanton)が開発した八段階モデルである[9]。彼はジェノサイドの開始から終了までを以下の八段階に分類した。
① 二分割する(Classification)
人間を「我々」と「彼ら」に二分割すること。
② 名づける(Symbolization)
「我々」と「彼ら」に名前を付与すること。例えば、「我々」をドイツ人、彼らを「ユダヤ人」など。
③ 非人間化する(Dehumanization)
「彼ら」を人間ではない存在と位置づけること。「人間ではない存在」と位置づけられた集団の構成員は、動物(animals)、害虫(vermin)、昆虫(insects)、病気(diseases)と同類と見なされる。
④ 組織する(Organization)
組織すること。例えば、民兵を動員すること。
⑤ 分離する(Polarization)
「我々」と「彼ら」の間の交わりを断つこと。例えば、異なる集団間の結婚を禁止すること。
⑥ 備える(preparation)
備えること。例えば、暗殺リストを作成したり、財産を没収したり、収容所に隔離したりすること。
⑦ 絶滅させる(Extermination)
「彼ら」に属する構成員を大量に殺害すること。
⑧ 否定する(Denial)
証拠を隠蔽すること。例えば、共同墓地を掘り返したり遺体を焼却したりすること。
(要点の抽出は筆者)
(2) 八段階モデルの問題点
八段階モデルは、ジェノサイドが起こるまでにどのような段階を踏むのか、各段階ではどのような対応をすればよいのかなどを考えたい読者にヒントを提供している。
着想は尊重すべきだが、このモデルには以下の二つの不明確性が残されている。第一に、分岐点の不明確性である。例えば、ジェノサイドの開始から終了までを八段階に分類しているが、なぜこの八つなのかが明確ではない。また、ジェノサイドが起こるまでに全ての段階を踏まなければいけないのか、(第一段階の後に第四段階を踏むといったように、)飛ばされる段階があってもよいのかが明確ではない。さらに、前の段階から次の段階に移行していくことを前提としているが、なぜこの順番なのかが明確ではない。第二に、原因の不明確性である。第一段階「二分割する」に対して「共通の土台を探ることが重要」と指摘しているように、スタントンは段階に応じた対応例を示してはいる。しかしより重要なのは、前の段階から次の段階への移行を防ぐことである。しかし、彼のモデルではなぜ移行するかが明確ではない。このように八段階モデルは項目の不明確性と原因の不明確性という二つの不明確性を残しており、改良が必要である。
なお、八段階モデル公表から約15年後の2013年、スタントンは新モデルを発表した[10]。旧モデル修正のためにスタントンが行ったのは、ジェノサイドの開始から終了までの段階を細分化することだった。旧モデルが「改良」されたように見えるが、先に筆者が指摘した旧モデルの二つの不明確性を全く克服しておらず、「修正」の域を出ていない。
(3) スタントン以降:フェイエルスタイン、モシュマン、ヒーバート
幸いなことに、段階モデルを示したのはスタントンだけではない。フェイエルスタイン、モシュマン、ヒーバートの三名が、スタントンとは別の段階モデルを提示した[11]。彼らが示した段階モデルは、スタントンの八段階モデルのある部分を修正している。フェイエルスタインはジェノサイドの開始から終了までをスタントンよりも広く設定したし、モシュマンはジェノサイドにおける「非人間化する」の位置づけを修正した。他の研究者が認識と行動を区別せずに論じていたのに対し、ヒーバートは加害者からみた被害者の位置づけの変化に焦点を当てた。彼らが示した段階モデルの長所は、今後も生かされるべきだろう。
(4) 段階モデルの限界
表1と表2は四人が示した段階モデルをまとめたものである。この二つの表から引き出せる考察は以下の二点である。
① 何を独立した段階として位置づけるかが論者によってまちまちである。まず二段階目「名づける」の位置づけである。スタントンとフェイエルスタインは「名づける」を段階として置いているが、スタントンは「二分割する」と「名づける」を区別しているのに対し、フェイエルスタインはこれらを一括りにしている。それだけでなく、「汚名を着せる」という名称から連想できるように、フェイエルスタインはどちらかと言えばネガティブに名づけることに力点を置いている。他方、モシュマンとヒーバートは「名づける」を独立した段階として置いていない。次に、三段階目から七段階目の位置づけである。スタントン(1996)は三つに、スタントン(2013)は五つに、フェイエルスタイン(2011)は一つに分類している。総じて、スタントンは細かく分類しているのに対し、フェイエルスタインは一括りしている。最後に、八段階目から九段階目の位置づけである。(名称の変更はあるが、)スタントンは一括りしているのに対し、フェイエルスタインは二つに分類している。
② 第一の考察から引き出せる、四人が示した段階モデルに共通した問題点は以下の二点である。第一に、分岐点の不明確性である。先行研究では分岐点、特に二段階目から九段階目、が明らかにされていない。いくつに分ければよいのか、なぜ他ではなくそこで分けなければならないのか、各々の名称は何にすればよいのか、などが明らかにされていない。第二に、原因の不明確性である。先行研究では分岐点から分岐点になぜ移行したのか、その原因が明らかにされていない。
既述したように、二つの不明確性はスタントン(1996)の時点から明白だった。段階モデルとして機能するにはこれらを克服しなければならないが、スタントンを含めた四人の研究者は克服しておらず、「修正」の域に留まっていると言わざるを得ない。
4. 第三の道:危機経路モデルの開発
ジェノサイドに至るまでを段階化しようという着想が誤っているわけではない。どのような段階を経てジェノサイドが起こるのかを可視化できれば、いまどの段階にいるのかを正確に把握できるだけでなく、段階に応じた適切な活動を展開できるからである。段階モデルの構築は大きな可能性を秘めていると言える。大きな可能性を秘めているからこそ、既存の段階モデルは改良されなければならない。
以上から本報告では、四人が示した段階モデルに共通した二つの不明確性(分岐点の不明確性、原因の不明確性)を克服した、新しいモデル(危機経路モデル)を提示したい。
表1:ジェノサイドの開始から終了まで
|
Stanton(1996) |
Stanton(2013) |
Feierstein(2011) |
Moshman(2011) |
1 |
二分割する Classification |
二分割する Classification |
汚名を着せる Stigmatization |
二分割する Dichotomization of identities |
2
|
名づける Symbolization |
名づける Symbolization |
|
|
3 |
|
差別する Discrimination |
嫌がらせをする Harassment |
|
4 |
非人間化する Dehumanization |
非人間化する Dehumanization |
非人間化する Dehumanization |
|
5 |
組織する Organization |
組織する Organization |
|
|
6 |
分離する Polarization |
分離する Polarization |
||
7 |
|
備える Preparation |
||
8 |
備える Preparation |
迫害する Persecution |
隔離する Isolation |
|
9 |
組織的に弱らせる Politics of systemic weakening |
|||
10 |
絶滅する Extermination |
絶滅する Extermination |
絶滅する Extermination |
抹殺する Destruction |
11 |
否定する Denial |
否定する Denial |
否定する Symbolic enactment |
否定する Denial to preserve moral identity |
※ Stanton(1996)「備える」とStanton (2013)「迫害する」はほぼ同じ意味であるため、列をそろえた。
表2:加害者からみた被害者の位置づけの変化
|
Hiebert(2013) |
1 |
他者化する Victim as an alien other |
2 |
非人間化する Victim as sub- or non-human |
3 |
敵化する Victim as a threatening “enemy within” |
[1] Prevention of Armed Conflict, A/55/985-S/2001/574, June 2001, para.4.
[2] Ibid., para.160.
[3] OSAPG Analysis Framework: http://www.un.org/en/preventgenocide/adviser/pdf/osapg_analysis_framework.pdf.; Responsibility to Protect: State responsibility and prevention, A/67/929-S/2013/99, July 2013.
[4] 人種差別撤廃NGOネットワーク「ジェノサイドに向かいつつある日本」、2014年6月、9頁。http://www.norikoenet.org/common/pdf/2014_CERD_NGO_Hate_Speech_Report.pdf.
[5] CERD/C/67/1.
[6] 同上、9頁、14頁。
[7] OSAPG Analysis Framework
[8]A/67/929-S/2013/99, para.15.
[9] The Eight Stages of Genocide: http://www.genocidewatch.org/genocide/8stagesofgenocide.html.
[10] Ten Stages of Genocide: http://www.genocidewatch.org/genocide/tenstagesofgenocide.html.
[11] Daniel Feierstein(2011), “The concept of `genocidal social practices`”, in Adam Jones(ed.), The New Directions in Genocide Research, Ch.2.; David Moshman(2011), “Identity, genocide, and group violence”, in Schwartz et al (eds.), Handbook of Identity Theory and Research.; Maureen S. Hiebert(2013), “Questioning Boundaries: what’s old and what’s new in comparative genocide theory”, in Joyce Apsel et al (eds.), Genocide Matters: Ongoing Issues and emerging perspectives, Ch.2.