日本平和学会分科会グローバル・ヒバクシャ 2015年7月18日
被爆の実相とことばの壁
~NET-GTASの活動を通して~
京都外国語大学国際言語平和研究所客員研究員
長谷 邦彦
キーワード: 原爆被爆者 証言 ことばの壁 多言語化 母語 記憶
1.はじめに
広島、長崎に原爆が投下された1945年。地獄を目撃した被爆者の恐怖と悲しみは、20世紀前半、2つの世界大戦を通じて人類が戦争技術の開発に狂奔した結末を示すはずのものだった。この70年、被爆者は体験記やビデオ映像などの形で、原爆の非人道性を告発する膨大な数の証言を残してきている。だが、それが日本語で書かれ語られるだけでは、世界は体験を共有することができなかった。「被爆体験の世界化」のためには、証言を外国人が自分の母語で情報に触れることができるよう、多言語に翻訳する努力が必要だったのである。
本研究では、従来の「核のない世界を求める」運動が、「ことばの壁」を乗り越えるという点で十分な対応ができたと言えるのかどうか、市民ボランティアによる翻訳者ネットワーク事業の実践を通じて検証する。
2.被爆者による証言行動
被爆者の証言行動を目的別に分類してみると、①被爆当日の行政機関への被害の申告②軍や大学・メディア、そして占領当局の調査に対する応答③日記・手記など直接的な表出④芸術・芸能への昇華―などに大別できる。
通常、「当事者の証言」として重視されるのは③の行動である。ただし、「被爆者差別」や「原爆症の不安」にとらわれた多くの被爆者が「証言」を公表することに抵抗感を抱いたことを考えると、「沈黙」も一つの表現方法であった。
3.進まなかった証言の世界化
広島、長崎両市では戦後早い時期から、原爆の悲惨な結果は人類が共有すべき負の遺産である、との認識が広がった。両市の毎夏の平和宣言でも「広島は暗黒の死の都と化した・・・世界人類に記憶されなければならない。」(1947年・広島)など、「世界化」への意思が繰り返し表明されている。この決意は、どのような形で実行されたのか、効果はあったのか――。
この分野の研究者は極めて少ないが、中村朋子の英語文献調査と宇吹暁の「原爆手記掲載図書・雑誌総目録」(1995年)などをつないで考えると、現在までに少なくとも14万数千件の手記が書かれているのに対して、英語で読める手記はたったの100件余り。英語以外の言語は一層少なく、外国人が被害の実相を母語で知るすべはほとんどなかったと言える。
4.証言の多言語化のために~NET-GTASの活動
体験記やビデオなど被爆者の証言記録の大半は、日本語で書かれ語られてきた。日本語の
特殊性もあって、そのままでは外国人にはほとんど理解不能の世界である。このため、ほか
の言語世界には原爆放射線の非人道的な実相がほとんど浸透してこなかった。
ことばの壁を乗り越え「被爆体験の世界化」を実現するためには、体験者の証言を多くの 言語に翻訳する地道な努力が欠かせない。
報告者らが取り組む「被爆者証言の世界化ネットワーク(Network of Translators for the Globalization of the Testimonies of Atomic Bomb Survivor略称・NET-GTAS)」は、外国語の堪能な日本人と日本語が巧みな外国人が、国境や組織を越えてネットワークを組み、ボランティア精神で継続的に翻訳作業を進め、インターネットなどを通じて世界に広めることを目的にしている。
京都外大と横浜国立大学、筑波大学の教員約10人が呼びかけ人となって、2014年1月、「NET-GTAS」を設立した。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館と提携し、同祈念館所蔵の証言ビデオの字幕翻訳事業を進めている。2014年度は5人の被爆者のビデオに英語、中国語、韓国朝鮮語、フランス語、ドイツ語の字幕を作成する作業を基本に、計26本の作品を「平和情報ネットワーク」(http://www.global-peace.go.jp)にアップした。ネットワークの参加者は学生サポーターを含めて約110人。ボン大学(ドイツ)、ウイーン大学(オーストリア)、横浜国立大学(日本)などでは証言を翻訳する授業を行っている。
5.記憶とことばと歴史と
20世紀前半の2つの世界戦争に人間は、より多くの敵の生命を、より効率的に殺害する技術の開発に狂奔した。戦争災害は飛躍的に残酷さを増した。広島、長崎の経験が「核兵器の非人道的性格」を物語っているのは明白だ。
歴史の記憶を形成する証言者は何と言っても、「当事者」である。70年という歳月の間に、当事者が語り、書いた証言を次の世代集団は正面から受け止めただろうか。いわんや、彼ら/彼女らのことばを海外に輸出する努力は、日本社会には明らかに不十分だった。
私たちNET-GTASは、若い世代が翻訳に携わってくれることを期待している。証言翻訳に
取り組む大学などでは、留学生と日本人学生が協働学習する場を用意できる。授業の中で
互いの戦争の歴史についての意見交換をすれば、学生間の和解の場になりうる。ドイツと日
本の大学でテレビ会議システムを使った合同授業も始まっており、こうした国境を越えた
授業は真の国際平和教育の手法を開発できる可能性を秘めている。
<参考文献>
*「広島・長崎の原爆災害」広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会、岩波書店、79年
*「広島原爆戦災誌」(第1~5巻)広島市、71年
*「長崎原爆戦災誌」(第1巻)長崎市、77年
*「広島新史」資料編Ⅰ、Ⅱ、広島市、82年
*「日本原爆論体系」第1~7巻、日本図書センター、99年
*「米軍占領下の原爆調査」笹本征男、新幹社、95年
*「原爆被害者調査 ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言」日本被団協、新日本出 版社、94年
*「原爆の子-広島の少年少女の訴え」長田新・編、岩波書店、51年
*「『はだしのゲン』を英語で読む」毎日文化センター広島編、毎日新聞社、2013年
*「原爆手記掲載書・誌一覧」宇吹暁、『IPSHU研究報告シリーズ』No,24、96年
*「ヒロシマ戦後史」宇吹暁、岩波書店、2014年
*「英語で読む広島・長崎文献」中村朋子、中国新聞社事業出版センター、2003年
*「異文化コミュニケーション学への招待」鳥飼玖美子ほか、みすず書房、2011年