日本平和学会2015年度春季研究大会
報告レジュメ
日本の原発輸出
― ベトナム・立地地元先住民族への人権侵害に関する一考察―
沖縄大学
人文学部
吉井 美知子
キーワード:原発輸出、ベトナム、ニントゥアン省、チャム人、人権侵害
1.はじめに
ベトナムでは初の原発建設計画が進められている。第一原発をロシアが受注、日本が受注したニントゥアン第二原発は、当初予定で2015年着工となっている。2ヶ所の原発の立地地元は18世紀に滅亡したチャンパ王国の最期の中心地に当たり、先住民族であるチャム人の聖地である。
本研究では3.11のフクシマ事故を経てもなお日本が輸出を続けようとする原発について、立地地元に近親者を持つ多数民族のキン人とチャム人、それぞれの建設計画の受け止め方とその反応を明らかにする。またキン人がニントゥアンを初の原発立地場所として選定した理由を考察するとともに、その選定の背後にある差別構造が先住民族の人権侵害につながっていることを検証する。
研究の方法としては、両民族知識人による論述を参照した文献調査および聴き取り調査を行った。チャム人への聴き取り調査は2013年から2015年にかけて3回、ニントゥアン省およびホーチミン市で実施した。また地元出身のキン人への聴き取り調査を2014年6月より2015年3月にかけて行い、15名からデータを得た。
2.先行研究の検討
(1)先住民族
先住民族については、2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」が適用され、手厚い保護を行うべきことが国際社会で認められている。一般に先住民族の定義は、①非支配的地位にあり、②民族としてのアイデンティティーがあり、③先住性がある、という三点を満たすものとされている。
ベトナムのチャム人はこれらすべての条件を満たすと考えられるが、ベトナム政府はチャム人を国内54の少数民族の1つと定義し、先住民族とは認めていない。本研究では、チャム人自身も要求していることから、これを先住民族と呼んで論を進める。
(2)差別構造
差別の定義については、「社会のあるカテゴリーにあてはまる成員を、本人たちの生きている現実とは無関係にひとくくりにして、価値の低い特殊な者とみなすことによって、彼らを蔑視したり、虐待したりすることである」(山田1996:77)とする。特に原発にかかわる差別として、八木は「原発に内在する差別の連関構造」のなかで(1)ウラン採鉱に伴う原住民労働者の被曝と居住区の放射能汚染、(2)原発立地の「過疎」地差別の構造、(3)炉心下請労働者の被曝問題、(4)核燃料廃棄物に関わる「辺地」の犠牲、という4点を挙げている(八木1989:5-36)。ニントゥアンに原発を建設することによるチャム人差別に関してはこのうち(2)が、また稼動後にチャム人が労働者として原発に雇われれば(3)が、将来出た廃棄物がそのまま現地に放置されれば(4)が、すべてかかわってくることになる。
(3)人権侵害
上述の「先住民族の権利に関する国連宣言」では、先住民族に対して、土地、領土および資源に伝統的な方法での所有、占有、使用の権利(第26条)が認められている。また損害を与えられたものに対する原状復帰を含む賠償、救済を受ける権利(第28条)、環境保護(第29条)も明記されている(上村2008:63)。
フクシマで飛散した放射性セシウムが決して完全に除染できないことを見ても、また原発事故が絶対に起こらないと保障できない現実に照らしても、原発建設はチャム人の父祖伝来の土地や事跡を失う恐れを生じさせる。多数民族が一方的に決定した原発建設は、先住民族の人権を侵害する計画であるといえる。
(4)チャンパ王国の歴史とチャム人の現状
チャンパ王国は紀元後2世紀に出現した林邑に端を発し、1982年に滅亡するまで現ベトナム中部で栄えた海洋国家である。インド系の文化を有し、チャム人は現在もチャム語を話し、独特の文字を使用している。15世紀以降、北からのキン人の南進にともないその版図は徐々に狭められ、最後に残ったのがパーンドゥランガと呼ばれる現ニントゥアン・ビントゥアン両省の地である。
チャム寺院のうちで最も有名な世界遺産のミーソン聖域はチャンパ最盛期に都があったクアンナム省にあるが、滅亡直前のチャンパ王国の中心地は現ニントゥアン省であった。省内にはポークロンガライ、ホアライ等、有名寺院が散在し、その周辺には主としてチャム人だけが住む農村が点在している。そしてその多くが、原発から30キロ圏内に入る。
(5)ベトナムへの原発輸出
日本からベトナムへの原発輸出については(伊藤ほか2015)で9人の専門家が詳述しているが、ニントゥアン省在住のキン人やチャム人の意見としては、自身がホーチミン市とニントゥアン省チャクリン村を半々で生活しているチャム詩人のインラサラによるコラム以外が唯一の文献である。
特に現地在住のキン人については、原発計画についての情報が行き渡っていないようだという簡単な言及があるだけで、詳細な調査など皆無である。これは外国人による現地調査に許可が出ないからである。
そのため本研究ではニントゥアン現地ではなく、ニントゥアンに近親者を置いて他の大都市や海外へ来ているキン人より話を聞いた。
3.原発立地地元出身でニントゥアンに家族を置いているキン人の態度
2014年6月より2015年3月にかけて、15人の地元出身のキン人より意見を聴き取った。原発は政治的に微妙な問題であるため、率直な意見を聴き取るには話し手の保護が必要となる。このため聴き取りの日時、場所、話し手の氏名、出身地住所、現住所や職業については秘すものとする。
聴き取りは筆者単独、もしくは紹介者のニントゥアン出身キン人の同席のもとで実施し、ひとりにつき20分から1時間をかけた。主な質問事項は、氏名、生年月日、出身地住所、教育レベル、生い立ち、家族がニントゥアン周辺に住んで何代目か、どこから移住してきたか、現住所、現職、肩書き、連絡先、現住所での滞在期間、ニントゥアン周辺への帰省の頻度、最近の帰省時期、今後の帰省予定、3.11 についての知識、経験、感想、ベトナムの原発建設計画についての知識、意見、ニントゥアン周辺在住の家族や知人の知識と意見、今後の見通し、日本側への助言・提言などである。
聴き取り相手は、どちらか近いほうの原発から20~80キロ圏内に実家があり近親者が住んでいること、普段から実家と連絡を取り合っていること、少なくとも2年に1回の頻度で帰省していること、キン人であることを条件として選んだ。15名の性別は男6、女9、年齢は20代1、30代10、40代3、70代1であった。また教育レベルは、小学校中退2、小卒2、中卒1、高卒2、短大卒1、大学中退1、大卒2、修士4であった。近いほうの原発から15名の実家までの距離は、平均26.5キロメートルである。
原発計画の知識については、教育レベルで大きく差が見られた。中卒以下では、計画を知らない、そもそも「原発」という言葉が分からないという状況で、フクシマ事故についても知らなかった。実家の家族ともそんな話はしないという。辛うじて3.11の津波については、テレビで見て知っている程度である。
高卒以上では、原発計画までは知っていても実家に近い1ヶ所の情報だけを知っていて、もう1ヶ所のことはまったく知らない例が散見された。計画を知っていても、いつできるのか、どの外国の支援なのかも知らない。
修士レベルの4名からは、「日本の援助はありがたいが、支援するなら原発ではなく再生可能エネルギーにしてほしい。」「教育レベルが低いので、現場の安全管理が無理だ。」「実家の近所の複数の友人が(危険なので)子連れで引越しの準備をしている。工事が始まれば移るだろう。」「ニントゥアンは周辺の省に比べて貧乏だから立地場所に選ばれたのだろう。」「日本なら事故が起これば政府が住民を助けるが、ベトナムでは放置されるだろう。」等の意見を聴き取ることができた。
学歴にかかわらず、15名中8名が祖父母や父母の代に、北部や中部から移って来た家族の子孫であった。特にクアンナム、クアンガイ、ビンディンの中部各省より、インドシナ戦争やベトナム戦争時に逃げて移住してきた家族が多かった。また実家の職業はほとんどが農業であった。
調査からは、学歴により把握している情報に格差が大きいこと、低学歴者の間に原発計画のことがほとんど知られていないこと、高学歴者からは計画に批判的な意見が多いことが分かった。また、半数以上のキン人が近い過去に祖父母や両親が中部や北部から移住してきており、金銭的に余裕のある家族は原発からさらに逃げる移住が具体的に計画されていることも分かった。
学歴にかかわらず、おおむねすべてのキン人が、「政府のやることには反対できない」と計画推進の現状をあきらめている一方、高学歴者からは「日本からは原発ではなく再生可能エネルギーの支援」を求める声が多かった。
全体に、意見があっても何らかの行動を取る(たとえばインターネットで意見を発信するなど)様子は見られず、政府の行動を外から眺めて嘆息しているという姿勢が見られた。これは、インタビューされた本人がすでに現場に住んでいないということも影響しているのだろうか。それとも、地元に根付いて日が浅い家族の一員であるためか。
もちろんキン人で原発計画に反対し、ネット上で意見をどんどん発表している人物もいる。しかしそれらは主としてハノイやホーチミン市に住む知識人であり、ニントゥアン周辺在住で行動を取っているキン人は皆無である。2012年6月に日本の野田首相宛の抗議状の署名運動が行われたが、署名した621名のうちニントゥアン省内のキン人はわずか6名であった(インラサラ 2015:78)。
4.チャム知識人の意見と行動
それに反して、地元を民族の最期の地として、先祖代々の土地や寺院、歴史的事蹟を守ろうという意識の強いチャム族は、たとえ高学歴で原発の危険性を認識していても、最後まで地元に残ることを前提に建設反対のために闘う意志を表明している。
ホーチミン市在住のチャム詩人のインラサラ(1957-)は、反対者の代表的存在である。ロシアの第一原発より11キロメートルのチャクリン村(ベトナム名:ミーギエップ村)の出身で、実家近くに個人で「チャム文化陳列館」を開設、観光客を受け入れてチャム文化の広報に当たっている。また独自に運営するウェブサイト「inrasara.com」を通して、ベトナム語とチャム語の両方で情報や意見の発信を行っている。
ベトナムでは通常このような政府の政策に反対する意見を発表すると公安から圧力がかかったり、あるいは逮捕されることもある。インラサラの場合は「国際的に有名で、逮捕されたらすぐに海外から支援がある」「政府高官とも個人的に仲良くしている」という理由で、「自分には逮捕の危険がないので自由に意見が発表できる」と断言する(2013年の聴き取り調査)。
チャム人が計画に反対する理由は、事故が起こった場合の健康被害の恐れだけではない。フクシマで広大な土地から人々が避難している状況を知り、自分たちの身に置き換えたからである。最盛期のチャンパ王国の南端を占めた地で、2000年に渡り先祖が守ってきた信仰のよりどころである寺院や事跡を放置して、逃げる先がないという恐れからである。またたとえ事故が起こらなくても、その不安とともに毎日を過ごすことの苦痛も、「毎朝原発から陽が昇るのを見るのはイヤだ」というふうに表現されている。
3.で前述した2012年の抗議書には、ニントゥアン省のチャム人69,000人のうち68人が署名した。これは1,015人にひとりに当たり、決して多くないが、それは社会主義国で署名をする危険の故である。同じニントゥアン省のキン人は574,000名中の6名の署名であり、95,667人にひとりと桁違いに少ない。そしてインラサラ以外のチャム人署名者は全員が、その後に公安警察に呼び出されたという(2013年インラサラへのインタビュー)。
ドンチュオントゥー(1980-)もまた、原発反対の意見を発信するチャム人である。ニントゥアン省の南隣りのビントゥアン省出身で、ホーチミン市で大学を中退した後、故郷で農業を営む傍らフリーライターとして活躍している。
インラサラのように国際的に有名ではないため、公安警察から頻繁に呼び出され、「国会で決定された政策に反対するなら逮捕する」と脅されている。原発に反対する理由は、利益が上層部で賄賂として吸い上げられ、住民には害ばかりが及ぶから。先進のロシアや日本でさえ大事故が起こっている原状で、ベトナムの技術では安全運転は無理だと考える。
トゥーによると、最初の原発立地にニントゥアンが選ばれたのは、周辺省に比して貧乏であるからと、2004年から2005年にかけて政府の土地収用に反対した現地チャム人の動乱への仕返しではないかという。そして、党幹部の実際にあった暴言の例として、「チャム人はまだ人口が多いから、原発事故で少々死んでも大丈夫。」などというものを挙げている。
5.先住民族としての権利
調査からはもともと北部から移住してきて、地元に居ついて最長でも200年くらいのキン人と、2000年の歴史を持ち土地に根を下ろしたチャム人の違いが鮮明になった。キン人にとって思い入れの少ないニントゥアンという土地が、キン人が決める初の原発立地に選ばれている。
この立地選定の背後には先住民族差別が隠されていて、これは同じヤマト民族間ではあるが東京対福島の差別につながるものがある。また原発ではないが、米軍基地が集中立地させられている沖縄差別の構造そのものである。
ドンチュオントゥー氏によると、チャム人はまったく独立を要求していない。要求しているのは、①チャム人をベトナムの先住民族だと認めること、②原発を作らないこと、の2点である。先住民族として認められれば、「先住民族の権利に関する国連宣言」が適用され、政府による原発用地の収用などに歯止めがかかることが期待できる。歴史や現状をたどると、チャム人が①非支配的地位にあり、②民族としてのアイデンティティーがあり、③先住性がある、という先住民族の3つの条件を満たしていることは明らかである。しかし、政府からはチャム人はあくまで「少数民族」という位置づけで、先住民族とは認められていない。このことは同じ理由で、沖縄の琉球民族を「日本人だ」と主張する日本政府と類似している。
ロシアの建設するニントゥアン第一原発の敷地内には、ポーリャドと呼ばれる、チャム人が波の神を祀った祠がある。毎年5月前後の祭礼の日だけ、周辺のチャム人たちが許可を得て原発敷地内に入り、祭礼を行っている。工事が進むにつれ、祠の周辺の土地が侵食されて、年々狭くなっているという。こうなると単なる寺院や事跡の破壊ではなく、信仰そのものへの冒涜と言えないだろうか。なぜわざわざそんな場所に、という疑問が沸くと同時に、津波が来ないことを祈らざるをえない。
6.おわりに
本研究からは、原発建設計画に対して地元キン人低学歴者にはまったく情報が行き渡っていない現状と、余裕のあるキンの人々はさらなる移住を考えていることが分かった。これに対してチャム人は、先祖伝来の寺院や事跡を守り、逃げる先がないと主張する。そして地元チャム知識人のなかには、危険を承知で反対意見を発表する者もいる。地元キン人知識人が批判を感じていても表明しないのと対照的である。
初の原発建設地としてニントゥアンが選ばれた理由は、同省が周辺省に比して産業に乏しく貧しいということ以外に、その土地に執着を感じるのが弱者である少数民族だという要因が考えられる。これはベトナム国内での多数民族による先住民族差別であり、国連のいう先住民族の権利侵害に当たる。
日本政府が「ベトナムが欲しがっているから売る」とする原発が輸出先でこのような人権侵害を起こしていることを、日本の我々は輸出元国民としてしっかり認識する必要があろう。
参考文献
インラサラ(2015)「チャム人と原発建設計画」コラム2、伊藤正子&吉井美知子編『原発輸出の欺瞞―日本とベトナム、「友好」関係の舞台裏』明石書店、pp.74-84
伊藤正子&吉井美知子編著 (2015) 「原発輸出の欺瞞―日本とベトナム、『友好』関係の舞台裏」明石書店
メンミ、アルベール(1996)「人種差別」法政大学出版
小口彦太ほか編 (2012)「3.11後の日本とアジア―震災から見えてきたもの」めこん
高橋哲哉(2012) 「犠牲のシステム 福島・沖縄」集英社新書
上村英明(2008)「『先住民族の権利に関する国連宣言』獲得への長い道のり」『PRIME』Vol.27, 明治学院大学国際平和研究所、pp.53-68
八木 正(1989)「原発は差別で動く―反原発のもうひとつの視角」明石書店
山田富秋 (1996)「アイデンティティ管理のエスノメソドロジー」『差別の社会理論』栗原彬編、弘文堂
吉井美知子(2013) 「日本の原発輸出―ベトナムの視点から―」『三重大学国際交流センター紀要』 Vol.8, pp.39-53
吉本康子(2012)「波の神を祀る人々」『月刊みんぱく』2012年5月号、国立民族学博物館、pp.22-23
UNESCO (1960) « Convention against discrimination in education » http://www.unesco.org/education/pdf/DISCRI_E.PDF (25/06/2014)
謝 辞
本研究は日本学術振興会科学研究費、基盤研究 (C) (26510007)「原発震災と市民社会研究」の成果をもとに記述した。ここに記してお礼申し上げる。