平和(優先)主義の再定義 ─絶対平和主義および正戦論との関係から─  

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日本平和学会2015年度春季研究大会

報告レジュメ

 

平和(優先)主義の再定義

─絶対平和主義および正戦論との関係から─

 

関西大学

政策創造学部

松元 雅和

 

キーワード:絶対平和主義、平和優先主義、正戦論、戦争倫理学

 

はじめに

 平和主義は多面的な淵源をもつ多面的な思想である。そのなかには、宗教的な信条や教義に支えられたものもあれば、世俗的な幸福や安寧に支えられたものもある。商業や経済の発展を目指すものもあれば、労働者の生活や経験に根差すものもある。その最大公約数を取り上げれば、「非暴力」という蓋然的標語に収めるほかないであろう。逆に、その本質を非暴力という否定形で表さざるをえないこと自体、平和主義の内実の掴みにくさを反映しているかもしれない。それは暴力・戦争ではない「何か」を指し示しているのだが、それを間接的にしか指し示していないからである(Kurlansky 2008: ch. 1)。

 本報告では、このように多種多様な姿かたちを取りうる平和主義を、戦争倫理学の観点から整理・分類する。「戦争倫理学」とは、義務論/帰結主義といった倫理学理論の知見を参照しながら、戦争と平和をめぐる実践的諸問題に対して特定の判断や評価を導こうとする、応用倫理学の一部門である。倫理学は従来、人文学において「べき」に関する規範的研究を担ってきた。その理論枠組みを踏まえることで、私たちは戦争と平和の問題についても、より堅固な価値判断を導くことができるようになる。

 議論を先取りしておくと、本報告が中心的に取り上げる平和主義筆者はそれを、「絶対平和主義」と区別して「平和優先主義」と呼んでいるは、その主張においては絶対平和主義と、その論理においては正戦論との連続性が大きい。すなわち、平和優先主義と正戦論は、論証における結論ではなく前提の部分で、幾つかの基本的発想を共有していると分析できるのだ。これは決して、絶対平和主義の価値を貶めたり、排除したりするものではない。むしろ、絶対平和主義と平和優先主義という異なった形式的ルートから、非暴力という同一の実質的結論に至るならば、その結論の説得力はそれだけ高まるであろう。

 本報告の構成は以下のとおりである。はじめに、平和主義の思想動向を絶対平和主義と平和優先主義の二種類に大別したうえで(第一節)、次に、本報告の議論の焦点を後者に絞り、戦争倫理学の観点からその内実を義務論的/権利論的/帰結主義的/認識論的平和主義の四つにさらに分類する(第二節)。最後に、平和主義の主張を正戦論と同じ共通の土俵に載せることの適否について振り返る(第三節)。

 

 

1.絶対平和主義と平和優先主義

 筆者は絶対平和主義(パシフィズム)を、非暴力という選択肢を絶対的価値として尊重する立場として定義する。すなわちそれは、いついかなる場合であれ、例外なしに非暴力を貫徹するということである。不正な暴力に直面したときでさえ、紛争解決手段として戦争を含む暴力に訴えることは間違っている。たとえそれが破滅をもたらすものであろうとも、平和主義者には非暴力を貫徹する以外に選択肢がないというのだ。

 筆者は平和優先主義(パシフィシズム)を、絶対平和主義とは異なり、非暴力という選択肢を相対的あるいは道具的価値として尊重する立場として定義する。この立場は、非暴力を貫徹することの帰結がいかなるものであろうとも、それを絶対的に遵守せよという無条件の教えではない。非暴力は原則であって、原則には例外が付きものである。逆に言えば、平和優先主義者は暴力を、私たちが限界的状況によっては選択しうる、政治的選択のありうる対象として捉えている。

 平和主義のなかには、非暴力を是が非でも絶対的に尊重する絶対平和主義とは区別される、それを相対的あるいは道具的にのみ尊重する平和優先主義の系譜がある(松元二〇一三:第一章)。逆に言えば、それは暴力という選択肢が用いられうる可能性を、原理的には開いたままにしておくということである(Norman 1988; 1995: ch. 6)。今日の平和主義者の多くは、絶対平和主義よりも平和優先主義の方を明示的に採用している。

 

2.平和優先主義のバラエティ

 前節では、暴力の可能性を絶対的に認めない「絶対平和主義」と、暴力の可能性を相対的には認めるが、諸々の条件から実践的に認めない「平和優先主義」を区別した。本節では、倫理学理論の区別に訴えながら、その主張と論理をより詳細に分類してみたい。具体的には、後者の平和優先主義のうち、戦争の道徳的正否の判断が明瞭でないことに注目する「認識論的平和主義」、今日の戦争が開戦法規上における〈正当原因〉を満たしがたいことに注目する「権利論的平和主義」、それが開戦法規上の〈比例性〉を満たしがたいことに注目する「帰結主義的平和主義」、それが交戦法規上の〈非戦闘員保護(区別)〉を満たしがたいことに注目する「義務論的平和主義」が区別できる。

 

3.正戦論との距離

 前節まででは、絶対平和主義と平和優先主義の区分、および後者に関する四つの下位分類に基づきながら、平和主義のバラエティを戦争倫理学の一般理論のもとに位置づけてきた。以上の区分を踏まえて、本節では平和主義と正戦論の距離を確認してみたい。正戦論とは、戦争においても正不正の道徳判断を行うことができるという前提のもと、現実の戦争をより正しいものとより不正なものとに選り分ける一連の基準を示すことで、戦争そのものの強度と範囲に制約を設けようとする理論である。正戦論者は、忌むべき戦争のあいだにも道徳的な優劣があると主張する。戦争の全肯定でも全否定でもない中間地点を探そうという理論的努力が、千六百年以上に及ぶ正戦論の伝統を形作っている。

 一般に、正戦論には「許可の形式と制約の形式の両方という二重の機能」があると言われる(Clark 1988: 35)。本報告で示したいことは、正戦論が伝統的に参照してきた正戦の一連の基準においては、戦争を許可するよりも制約する機能が強いということである。正戦論とは正しい戦争と不正な戦争の間に一線を引く教義である。その一線を引くならば、結果的に、大多数の戦争は正戦論者自身が設定する基準を満たすことはないであろう。この結論は、実践的に正戦論を平和主義に接近させる。戦争倫理学という共通の土俵のもとで、正戦論と平和主義のあいだには幾つもの結節点がありうるのだ。

 戦争倫理学の語彙を駆使して戦争の道徳的正否を問おうとする点で、平和優先主義と正戦論のあいだには論理的な連続性が見出される(Clough 2007: 374; Cortright 2008: 11, 14-6; Dower 2009: 155-6)。それゆえ筆者は、両者を根本的に断絶したものとして捉えるよりも、それぞれ戦争倫理学というより一般的な理論体系の一部をなすものとして捉えることを提案する。義務論/帰結主義といった倫理学理論の知見は、平和主義者と非平和主義者が有意義な対話をする際の蝶番の役割を果たしうる。戦争の行為とその帰結を深刻に受け止めるからこそ、まずは戦争倫理学の知見に耳を傾けてみてはどうであろうか。

 

参考文献

Clark, Ian (1988). Waging War: A Philosophical Introduction. Oxford: Clarendon Press.

Clough, David (2007). “Understanding Pacifism: A Typology.” In Political Practices and International Order, eds. Hans G. Ulrich and Stefan Heuser. Munich: Lit: 370–81.

Cortright, David (2008). Peace: A History of Movements and Ideas. Cambridge: Cambridge University Press.

Dower, Nigel (2009). The Ethics of War and Peace. Cambridge: Polity Press.

Kurlansky, Mark (2008). Nonviolence: The History of a Dangerous Idea. New York: Random House.(小林朋則訳『非暴力武器を持たない闘士たち』ランダムハウス講談社、二〇〇七年)

Norman, Richard (1988). “The Case for Pacifism.” Journal of Applied Philosophy 5/2: 197-210.

Norman, Richard (1995). Ethics, Killing and War. Cambridge: Cambridge University Press.

松元雅和(二〇一三)『平和主義とは何か政治哲学で考える戦争と平和』中公新書。