日本平和学会2015年度春季研究大会
報告レジュメ
相互不信と安全保障の強化
─OSCEにおける軍事的アプローチに着目して─
広島修道大学
佐渡 紀子
キーワード:欧州安全保障協力機構、協調的安全保障、信頼醸成、欧州通常戦力条約、北大西洋条約機構
1.はじめに
欧州安全保障協力機構(OSCE)による軍事的アプローチ(軍事力を用いた強制措置ではなく、ここでは軍事面にかかわる取り組みを指すものとして用いている。OSCEにおいて軍事的側面と呼ばれる領域、たとえば信頼醸成措置や軍備管理・軍縮など意図している)は、欧州の安全保障の強化に一定の役割を果たしてきた。しかし、近年、新冷戦ともいわれる米ロの対立に直面し、従来型の軍事的アプローチの機能の限界が予感される。本報告では、欧州の軍事的アプローチをもちいた安全保障強化に関する取り組みの検証を行う。具体的には、OSCEにおける軍事的側面の取り組みは、どのような成果を上げ、またどのような限界を内在していたのかを検討する。そして、欧州に平和をもたらした取り組みから、アジア地域への示唆を導出することを試みる。
2.相互不信と信頼醸成
(1)信頼醸成措置の発展
OSCEの起源は欧州安全保障協力会議(CSCE)の開催にさかのぼる。CSCEは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国、ワルシャワ条約機構(WTO)加盟国、そして欧州の非同盟中立諸国が参加する、全欧州諸国を包含する、安全保障対話のためのフォーラムであった。CSCEにおいて1975年に合意されたヘルシンキ最終議定書は、安全保障の不可分性を宣言し、国家主権の尊重、紛争の平和的解決、武力不行使、国境の不可侵、領土保全、人権の尊重などの尊重すべき諸原則を確認し、あわせて、経済協力や信頼醸成措置(CBM)を促進することへの合意が盛り込まれた。
ヘルシンキ最終議定書に盛り込まれたCBMは、その後、継続的な取り組みと交渉によって、漸進的な発展をみる。ヘルシンキ最終議定書で合意されたCBMとは、東西間の相互不信を前提とした取り組みであった。相互不信から軍事的な衝突が起きる可能性を想定し、そのうえで望まない戦争とそのエスカレーションを回避することを目指した制度として設計された。具体的には情報提供を通じて軍事活動の透明性を強化することにより、軍事活動の予測可能性を高め、また、その情報の正確さを確認するための検証措置を導入することで、国家間の信頼を強化するものであった(佐渡:1998)。
CBMは、その後ストックホルム文書、ウィーン文書1990、ウィーン文書1992、ウィーン文書1994、ウィーン文書1999、ウィーン文書2011の六つの文書が合意された。CSCEのCBMは、軍事活動の透明性の強化と、それへの検証措置に始まり、軍事能力に関する情報公開や軍事計画に関する情報公開、危機軽減措置と呼ばれる協議システムの導入、さらには軍事活動の制限措置を含むものへと発展した。このようなCBMは順調な履行がなされた。順調な履行によってCSCE加盟国間では軍事活動や軍事力に関する互いの不信感は緩和し、信頼強化につながった。
(2)軍備管理・軍縮を通じた安全保障の強化
CSCE参加国は、1990年に欧州通常戦力条約(CFE条約)に合意し、欧州に配備される通常戦力の大幅な削減を行った(条約は1992年に発効)。CFE条約は、NATO加盟国グループとWTO加盟国グループで通常戦力を削減したうえで均衡させること、また、削減に対する検証措置、そして削減後の定期的な情報提供と検証措置から構成される。CFE条約は軍事ブロック間の軍事力の均衡を通じて安全保障を強化するというアプローチを採用しており、勢力均衡や抑止の論理に基盤を置いているといえる。またCFE条約は、軍事力を削減する取り決めであると同時に、CBM取り決めと同様に情報提供と検証措置を取り入れており、信頼醸成のため要素を含んでいる。
CBMを通じてすでに軍事活動の計画性が確保されており、欧州では、奇襲攻撃の可能性は低下していた。しかし、CFE条約やその後のCFE条約適合合意を経て、欧州における軍事力の透明性が強化され、さらには通常戦力に関する軍事力はより低いレベルで均衡が図られたことで、欧州において国家間で大規模攻撃や奇襲攻撃が起きる可能性は、著しく低下した(金子:2008)。
3.安全保障共同体の構築とその限界
2000年代に入っての欧州は、新冷戦とも呼ばれる新たな対立に直面している。2008年のグルジア(ジョージア)紛争や2014年のウクライナ紛争は、武力の不行使や国境の不可侵といったヘルシンキ最終議定書によってOSCE加盟国で共有された規範を危機に陥れ、ロシアと欧米諸国間の対立を激化させている。ヘルシンキ議定書によって再確認された諸原則や、CBMに代表されるその後の取り組みがありながら、なぜ今日の対立は回避できなかったのであろうか。ここでは二つの要因を指摘したい。
一つ目は冷戦期を通じて作り上げたCBMやCFE条約に内在する限界である。CBMやCFE条約は、国家間武力行使を想定して作り上げられた枠組みであることから、軍事活動を規制したり情報公開を求めるための基準値は、ごく小規模の軍事活動を想定していない。そのため、グルジア紛争やウクライナ紛争に伴う軍事力の移動や軍事活動は、これらの枠組みで規制することは困難であった。さらには、CBMはそもそも意図しない戦争の回避を目指した枠組みであり、武力行使を行うことの意思を固めた場合には、それを防止する機能は期待できない。
二つ目は、安全保障環境の変化が欧州の地域機構にもたらした動きである。第一は、欧州を民主主義の共同体とすることの必要性が共有されたことをうけて、民主化を求める干渉が正当化される動きである(吉川:2012)。NATOやEUへの加盟をてこに、民主化を求める干渉が積極的に行われるようになった。第二は、NATOの東方拡大や役割の拡大である。NATOは冷戦終結を受けてその役割を再定義する必要に迫られていた(吉崎:2012)。NATOは域外諸国の安定化やグローバルなテロへの対応を、集団防衛に加えてその役割に設定し、また、その過程で三次にわたる東方拡大を実現する。
OSCEの構築した安全保障共同体は、安全保障のジレンマを脱却するために、パラダイムの転換を行うものであった。すなわち、欧州諸国は共通の安全保障概念を練り上げ、相互の安全の不可分性を受け入れたのだ(吉川:1994)。このことが、欧州において協調的安全保障アプローチを可能とした。しかし、このような共通の安全保障概念が有効であったのは、NATOとWTOという顕在的な対立関係があった時期において、望まない戦争の発生とそのような戦争が核戦争へとエスカレートすることを避けたいという、共通の脅威認識が、関係諸国に存在していたためである。
冷戦後に欧州で起きた事態は、一方で核戦争へのエスカレーションの危険性は低下し、他方でそれに代わる全欧州に共有される安全保障上の脅威認識は成熟しきらなかったことである。もちろん域内外の不安定化やテロ対策はNATO諸国にとってもロシアにとっても課題であるが、これらはすべての国家に共通する、また、その対処方法についても合意しやすい脅威とは言えない。NATOにおいて進む安全保障強化のメカニズム構築は、NATOとロシアの協議枠組みの効果を超えて、域内に分断を生んだ。
4.おわりに――アジア地域への含意
欧州の取り組みは、アジアへと応用できるのかは、欧州での取り組みが注目されて以来、常に問われてきた問いである。欧州では、共通の脅威が確立した時期に信頼醸成や軍備管理の取り組みが進展し、緊張が緩和し、共通の脅威が揺らいだ時期に、信頼醸成や軍備管理の取り組みが危機に直面し、相互不信の悪循環が起きている。欧州の経験からアジア地域への含意を導くとすると、この点に注目する必要がある。
参考文献
吉崎知典「軍事的変革」広瀬佳一、吉崎知典編著『冷戦後のNATO――“ハイブリット同盟”への挑戦』ミネルヴァ書房.
金子譲(2008)『NATO北大西洋条約機構の研究――米欧安全保障関係の軌跡』彩流社.
吉川元(2007)『国際安全保障論――戦争と平和、そして人間の安全保障の軌跡』有斐閣.
佐渡紀子(1998)「OSCEにおける信頼安全醸成措置――メカニズムの発展と評価」『国際公共政策』2巻1号.
吉川元(1994)『ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)――人権の国際化から民主化支援への発展過程の考察』三嶺書房.