「平和への権利」に関する国連の作業部会について --- 第2会期での審議状況を中心に ---

「平和への権利」に関する国連の作業部会について

--- 第2会期での審議状況を中心に ---

 

関東学院大学法学部准教授 武藤 達夫

はじめに

 国連人権理事会の下に設置された平和への権利に関する作業部会は、本年6月末より第2会期を開催した。本稿は、この作業部会における審議の状況を紹介するとともに、若干の考察を加えるものである。第2会期については、作業部会の議長兼報告者(以下、議長と呼ぶ)が作成した公式の報告書[]と、筆者の傍聴記録 []に基づいてまとめる。

 

1.作業部会の設置に至る国連での議論

 国連総会はこれまでに、平和への権利に関して2つの宣言、すなわち「平和的生存のための社会的準備に関する宣言」(1978) []及び「人民の平和への権利に関する宣言」(1984) []を採択している。ただし、両宣言とも国連総会で提案・審議・採択が完結したもので、入念な起草作業を経て採択されたものではない。一方、(当時の)人権委員会でも、1976年以降に平和への権利に関する審議は若干見られたが、それが国連総会まで持ち上がっていった訳ではない[]

 これに対して、平和への権利に関する今回の議論は、NGOによって開始された平和への権利の法典化を求める運動に端を発し[]2008年から国連人権理事会での議論が本格化したものである。その後、人権理事会は、平和への権利に関する宣言案の起草を同理事会の諮問委員会に委託し[]、さらに2012年には、宣言の採択に向けて諮問委員会の作成した草案[]を精査するために、作業部会の設置を決定[]したのである。

 

2.作業部会における審議状況

 第1会期では、諮問委員会案を基に審議が行われたが、これは、多様なNGOの意見を取り入れた14の条文から構成される意欲的なもので[10]、審議も多岐に及んだ。第1会期の終了時には、議長が非公式折衝を行うとともに、新しい草案を作成することが合意されたが、その折衝では国家代表とNGOとが分離され、それまでの議論を牽引してきた市民社会は、この時点から、国家間交渉及び新草案の作成作業から外されることとなった。

 議長の新草案 [11]は、第2会期の1週間前に公開されたが、これは4つの条文から構成される簡素な文書で、平和への権利を規定する条文を持たないものであった。第1条では、「すべての人権、平和及び発展が完全に実現されるコンテクストにおける生命に対する権利」が謳われているに過ぎない。諮問委員会案との接点は、宣言のタイトルだけであると言ってよい。

第2会期は、議長による新草案の趣旨及び審議の方針に関する説明から開始され、新草案は「人権と発展と平和との相互関係」を確認することに主眼を置いていること、また、草案の審議及び採択に当たってはコンセンサス方式を貫く決意であること、が強調された。

 その後、第2会期は極めて低調な審議を開始した。新草案に関する各国の検討が終了していなかったためである。本国からの指示待ちである、と発言する国が相次いだ。1日目のハイライトとなったのは、新草案に対する米国の強い支持表明であった。米国は、平和への権利の存在は認めないが、人権と平和との関係について確認する新草案を支持するとし、今後、この新草案に一つでも余計な物を加えることは許容しない、と述べた。韓国やオーストラリア等も同様に、新草案への賛意を明確にした。

 議論の流れが変わったのは、会期後半(3日目)に入ってからであった。インドネシア、ウルグアイ、ベネズエラ、キューバ等が、1984年の国連宣言より後退することは許されないとの立場から、第1条で平和への権利を規定すべき、と述べた。NGOも、平和への権利(または平和的生存権)を宣言に明記すべきであると主張し、独立専門家[12]からも、平和への権利は市民社会において十分に成熟した権利であるとの意見が示された。これに対し、ロシアは、今回の宣言が、人権、発展、平和の相互関係を確認する枠組みをとることについては既に合意済みのはずだ、と述べて、非公式折衝で国家間合意が作られていたことを示唆した。

 最終日(5日目)には、同作業部会の報告書案について協議した。この日は、本国からの伝令を受けて閉会ぎりぎりまで修正案を申し入れようとする国や、報告書の作成方針をめぐって混乱した議論となった。最終的には、簡潔な報告書とは別に、各国の意見及びNGOの意見を個別にまとめたコンフェレンス・ペーパーを作成することが合意された[13]

 

おわりに

 第2会期における審議の主たる問題点は、これまでの国連内外における議論の積み重ねを継承していない点にある。平和への権利に関連する上記二つの国連宣言とは対照的に、今回の宣言作成過程は、多様なNGO、人権理事会及び諮問委員会での議論を重ねた上で、作業部会における草案の審議までこぎ着けたものである。第2会期では、その積み重ねが、会期前の非公開・非公式の国家間折衝によって合意されたと考えられる著しく性質の異なる枠組みに置き換えられ、しかも、当該枠組みに対する(国家代表による)修正の議論は極めて貧弱なものであった。

平和への権利を「人権、発展、平和の相互関係」に置き換えることは、平和への権利を固有な人権として承認するという、NGOの始めた今回の運動・議論を白紙に戻すことを意味する。平和への権利については、もとより反対国が存在するが、今回の議論は、コンセンサスの形成に拘泥するあまり、すべての国が完全に賛成できる最下限のラインまで後退し、強固な反対国の主張にほぼ完全に同調する形となった。

また、今回の作業部会では、米国やEUなどの反対国は入念な準備をしていたが、賛成国の側には準備不足が目立ち、市民社会が唱道してきた平和への権利の人権としての意義が、賛成国側に十分理解されておらず、反対国と賛成国との間に理解と意欲の不均衡がある点も浮き彫りとなった。平和への権利は、多くの賛成国にとって特に優先度の高いアジェンダではないのに対して、反対国には国家の重大な利益にかかわるとの認識があり、これも不均衡を生んだ要因であると考えられる。(以上)                                

 

[] UN doc. A/HRC/27/63, 8 August 2014.

[] 公式の報告書は簡潔なもので審議の実態を伝えていないため、本稿は、この記録によるところが多い。

[] UN doc. A/RES/33/73, 15 December 1978. 同名の決議は、その後、毎年採択されている。

[] UN doc. A/RES/39/11, 12 December 1984.

[] 詳しくは拙稿「国際法における「平和への権利」」『法学新報』第10156号合併号、1995年、317頁以下、参照。

[] この運動は、2005年頃よりカルロス・ビヤン・デュラン氏を中心とするスペイン国際人権法協会によって開始された。詳しい経緯については、前田朗「人民の平和への権利国連宣言のために」反差別国際運動日本委員会(編)『平和は人権:普遍的実現を求めて』(解放出版社、2011年)、参照。

[] UN doc. A/HRC/RES/14/3, 17 June 2010.

[] UN doc. A/HRC/20/31 Annex, 16 April 2012.

[] UN doc. A/HRC/20/15, 17 July 2012.

[10] 前掲注10;なお、第1会期の審議状況については、拙稿「国連人権理事会の「平和への権利」に関する作業部会第1会期について」『法と民主主義』No.4762013年、79頁以下、参照。

[11] UN doc. A/HRC/27/63 Annex II, 8 August 2014.

[12] Mr. Alfred de Zayas, Independent Expert on the Promotion of a Democratic and Equitable International Order.

 

[13] ただし、本稿の脱稿時点では、公式なコンフェレンス・ペーパーは入手できていない。