自然要因による避難民に対するUNHCRの取組み
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程
佐藤滋之
キーワード:UNHCR、難民、国内避難民、国際法、自然災害、人道救援
1.はじめに
近年、世界的に自然災害の発生頻度が増加し、またそれによって発生する避難民も増加している。統計によれば2008年から2012年の間に自然災害に よって避難民となった人の数は全世界で144万人に上る(Nansen Initiative 2014)。そして自然災害の被災地の光景はたちまち世界に伝えられ、国際NGOによる救援オペレーションが国際メディアをにぎわす。しかし、国連システ
ムの中には自然災害によって発生した避難民救援や保護を専門とする機関はない。この機構的なギャップを埋めるため、国連は自然災害救援機関を新設すること や、既存の機関のうち特定の一機関に自然災害救援のすべての責任を負わせることは選ばなかった。
代わりに、例えば避難民が災害発生国内に留まる場合、既存の機関がそれぞれの専門性を持ちよって対応する「クラスター・システム」は国連の自然災害対応 のひとつの手段である。UNHCRはこのクラスター・システムの中で「保護クラスター」のグローバル・レベルでの責任機関であるものの、従来は紛争起因の
国内避難民に活動上の重点を置き、自然災害によって発生した国内避難民を対象としたオペレーションには従来消極的であった。一方で、これまで自然要因に よって移動を強制される人々は国内に留まる場合が多かったが、グローバルレベルでの環境変動やその他の要因によって、今後国境を越えて移動を強制される人 たちは決して少なくないと予想されている(UNHCR
2008)。このような自然要因により移動を強制され故郷を越えていく人たちを誰がどのような仕組みによって守るのか、これに関してもUNHCRの果たす 役割はたびたび議論されながら、組織としての関与には消極的な態度を長くとってきた。
UNHCRは国際法によって定められた「難民」という特殊な状況にある人々を保護する機関として、極めて責任範囲の限られた国連機関である。にもかかわ らず、UNHCRがそのオペレーションの歴史の中で獲得した「移動を強制された人々の命を救い保護する」ための様々な専門的スキルやレスポンス能力は、難
民の定義にはあたらないものの、その他の様々な理由で移動を強制される人たちを助けるにおいても、極めて汎用性の高いものであるといってよい。それゆえ、 この組織は自分たちの規範的正統性が極めて狭い範囲の国際問題にしか及ばない一方で、自分たちのオペレーション能力がその範囲外の様々な形で現れる避難民
の保護に役立てられることの期待に常にされているという、きわめてアンビバレントな悩みを抱えている。この発表では自然要因による避難民の保護に UNHCRが徐々に取組みを拡大していくプロセスを通じて、難民保護という他に誰も変わることができない責任を持つ機関が、それを損なうことなく現代の人 道救援実践上の要請に答えていく上での取組みを紹介したい。
2.UNHCRの自然災害に関与とマンデートの衝突
自然要因が引き起こす様々な形の強制移動に関して国際社会が本格的に取り組み始めたのはちょうど21世紀の始まりに前後した頃であったと考えられる。国 際機関による取組みとしては自然災害救援に世界的なネットワークを持つ国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)が口火を切り、国際移民機関(IOM)が続い
た。しかしUNHCRに関していえば当初は一貫して自然要因による避難民はUNHCRのマンデート外という立場をとり続け、関与に向けた姿勢の変化がよう やく見られるのは2008年になってからである(Hall 2013)。
たしかに「難民の地位に関する条約」(1951年)に準ずる限り、自然災害によって移動を強制された人々は「難民」の定義に当てはまらない。UNHCR は環境変動や自然災害が資源の枯渇をもたらしたことによって起こった紛争が、難民条約に定められている事由に基づいて特定の人々の迫害をもたらし国境を越
えさしめた場合に、これらの人々が「難民」として認定される理論的可能性を認めつつも、環境変動や自然災害そのものが引き金となって国境を越えた人々は国 際法上の「難民」にあたらないという立場をとる。しかし2008年になってUNHCRはこれらの人々の保護上のニーズを看過するのではなく、代わりに「補 完的な保護」の適用によって救済される必要を認める姿勢を示し始める(UNHCR
2008)。しかしこの「補完的保護」は実際に各国によって事実上「難民」の地位の代替として用いられているものの、国際法上の根拠はなく、またそれに対 してUNHCRがどうかかわっていこうとしているのかは必ずしも明確ではない。
現行の難民条約とそれに基づく難民保護レジームによっては自然要因によって移動を強制され、国境を越えた人々に保護の範囲を拡大することは難しい。それ ならば、自然要因によって国境を越えることを余儀なくされた人々を含めるように難民条約それ自体を改定すべきという議論もUNHCRの外に存在する。それ
に対してUNHCRの態度は極めて消極的である。また、UNHCRは国際法上の難民に当たらない人々を「環境難民」と呼ぶことを避けるべきだと一貫して出 張してきた(UNHCR 2014)。UNHCRが自然要因による避難民に対して寄せる関心と同時に、このような避難民がUNHCRが一義的に責任を持つ国際法上の「難民」に対す
る既存の保護レジームを浸食してしまうことに対する深いおそれを感じることができる。この背景にはUNHCRのマンデートに強いコミットメントを持つ組織 文化を指摘する意見もあるが(Hall 2013)、一方で冷戦終結以降、難民が徐々に国際政治の中での「移民レジーム」や「安全保障レジーム」の中で取り扱われることが増加していることに対す
る組織的な危機感も指摘することができる。こうしたレジームの中で難民の境界が曖昧に取り扱われる中で、さらに自然要因による避難民との境界がぼやけてし まうことに対するUNHCRの強い警戒感が見て取れる。
3.国連人道改革とクラスター・アプローチ
一方で、国連人道支援改革の一環として2005年に導入されたクラスター・アプローチはUNHCRに対して、自然要因によって発生した国内避難民に対し て、特に緊急対応フェーズにおいて、より積極的な関与を要求するようになってきた。災害や紛争によって発生する人道的ニーズを国連はニーズのカテゴリーご
とにクラスター化し、それぞれのクラスターに任命されたリード機関を明確とし、緊急対応における各国連機関やNGOなど民間組織の活動の調整に当たらせて いる。UNHCRはクラスター・アプローチの下において保護(Protection)、キャンプ調整・運営(Camp Cordination and Camp Management)、および緊急シェルター(Emergency
Shelter)の3つのクラスターに関与している。このうち保護クラスターにおいては常設のグローバル・プロテクション・クラスターのリード機関であ る。実際に国レベルでの保護クラスターの責任機関はUNHCR、UNICEF,OHCHRの3つの機関の協議によって決められるとされている。しかしなが
らクラスターアプローチの中間評価報告にも見られるように、保護クラスターは自然災害の文脈において、どの機関がリード機関になるか予測することが難し く、そのことが保護分野での効果的な人道救援活動の妨げになっていると批判されている(UNHCR 2010)。この批判を受けUNHCRは自然災害状況で保護クラスターのリード機関としての役割をより積極的に果たせるよう、ドナー国をはじめとするス
テークホルダーに働きかけを本格化させている。
4.災害避難民の保護上のニーズとUNHCRの対応能力
自然要因による避難民が直面する保護上のニーズに関してUNHCRはどうとらえているのだろうか?UNHCRの分析によると紛争を要因として移動を強制 された人々と自然要因によって移動を強制された人々の間に、発生する保護上のニーズは共通するところが多い。しかしながら、紛争によってもたらされる強制
移動が漸次的に進行するのに対して、自然災害による強制移動は急激に進行するのに加え、多くの場合は帰還までの時間的スパンがはるかに短い。したがって特 徴的であるのは、様々な保護的なニーズへの対応が極めて短期間の間に行われなくてはならないということであろう。しかしながらUNHCR自身が認めている
ように、UNHCRの自然災害発生時の初動体制は不十分である。これはUNHCRの緊急対応体制が基本的に紛争要因による強制移動を念頭に構築されている ことに理由を求めることができるのではないだろうか。また自然災害への対応に関してより経験を持つ組織(例としてIFRC)は、対応のマニュアル化と救援
サービスのパッケージ化を行っているのに対して、UNHCRは現状においてはスタンダードな対応を持たない。
また国レベルでの保護クラスターの責任機関となるにあたって、調整の対象となる諸機関の間で「保護」というものの捉え方が大きく異なっていることも実践 上の困難を生じさせている。例えば、保護に関わる国連三機関(UNHCR・UNICEF・OHCHR)の間ですら保護の意味するところは異なるし (UNHCR
2010)、国際人道法上の文民保護(ICRC)や多くの国連平和維持ミッションが近年重点を置く「文民保護(PoC)」との間にも保護の意味するところ と、それに伴う活動内容に大きな違いがある。これら広範な広がりを持つ「保護」を包括的に理解し、それぞれの機関に満足がいくような調整を実現していくこ
とは実に困難なことである。ましてや自然災害の下で保護クラスターを運営するには、自然災害そのものに対して精通していることも要求される。現実的にこの ようなクラスター調整の責任を十分に果たしうる職員の数はUNHCR内部ではまだ極めて限られているのが実情である。
5.自然要因による避難民保護の枠組みの創出
a) 国境を越える自然災害避難民
UNHCRが自然災害による国境を超える避難民に活動の領域を広げていくことに、最も明確に支持の立場を示しているのはノルウェーである。ノルウェー政 府はUNHCRの働きかけの結果、2011年に「気候変動と強制移動に関するナンセン会議」を開催し、気候変動の結果として移動を強いられる人々に対する
保護の必要の討議を行った。UNHCRはこの機会を利用し、これら自然要因による国境を越えた移動を強制される人々に対して活動の範囲を広げるよう、各国 の代表やNGOに対してロビー活動を行った。またこの会議において、難民高等弁務官は環境変動によって国境を越える避難民を保護するための新たな法的な枠
組みの必要に関するスピーチを行い、そのような新たな枠組みの創出におけるUNHCRの指導的役割の明記を含んだ「ナンセン原則」への各国の支持を求め た。
この動きは2012年10月のノルウェー政府とスイス政府による「ナンセン・イニチアチブ」の設立につながる。このイニチアチブは環境変動や自然災害に よって国境を越える移動を強いられた人々に対する保護体制に関する合意を、政府主導かつボトムアップな手法で形成していこうとするものであり、UNHCR もこのイニチアチブに深く関与している。
b) 国内にとどまる自然災害避難民
国内避難民を保護する国際的な枠組みとして、まず言及されるのは1998年に当時の国連事務総長特別代表(国内避難民担当)を務めていたフランシス・デ ンによって国連人権委員会に提出された「国内避難民に関する指導原則」である。この原則はすでに存在する国際人道法や国際人権条約の諸規定に依拠したもの
として起草されたが、国際条約の形式はとらず、したがって国際法上の拘束力や公式な施行監視システムは持たない。しかしながら、発行以来15年以上の機関 に渡り、この指導原則は繰り返し国連の場においても、また国内避難民が発生している現場の実践においても用いられてきたことを通じて、この指導原則は一定
の拘束力を獲得してきたと考えられている。2011年にUNHCRがイタリアのベラージョで開催した気候変動と強制移動に関する専門家ラウンドテーブルに おいても、この指導原則が気候変動によって発生した強制移動においても有効なものであることを確認している(UNHCR 2011)。
一方で地域間協定のレベルに目を向けると、2009年に国内避難民の保護を目的としてアフリカ連合の主導のもとに採択され、2012年に施行された「ア フリカにおける国内避難民保護と援助のためのアフリカ連合条約」(通称カンパラ条約)は、その対象を紛争起因の国内避難民だけでなく、自然災害によって発
生した国内避難民もその保護の対象に含むものである。この地域条約はその前文においてUNHCRの役割に言及し、特にUNHCRの持つ保護分野における専 門的知見を国連との協調アプローチの下で役立てていくことを明言している。現時点においてこの地域条約の批准を完了したAU加盟国の数は限られる上に、そ
の施行やモニタリング機構に関しては十分な整備は得られていないが、自然要因による国内避難民に対して、UNHCRが関与する国際法上の根拠としては現在 唯一のものであり、今後の発展が注目されるものである。
参考文献
Cohen, Roberta and Megan Bradley (2010), “Disaster and Displacement: Gaps in Protection”Journal of International Humanitarian Legal
Studies, vol. 1,
pp95 - 142, Leiden:2010
Ferris, Elizabeth (2009) Protection in Natural Disasters, The Refugee Studies Centre, Oxford:2009
Hall, Nina (2013)“Moving Beyond its Mandate? UNHCR and Climate Change Displacement”Jornal of International Organisations Studies (Spring 2013)
pp91-108
Norwegian Refugee Council (2011) “The Nansen Conference, Climate Change and Displacement in 21st Century” Oslo:2011
The Nansen Initiative (2014)“Perspective September 2014”Geneva: 2014
UNHCR (2008) “Climate change, natural disasters and human displacement: a UNHCR perspective” in policy papers, Geneva 2008
UNHCR (2010) “Earth, wind and fire: A review of UNHCR in recent natural disasters” PDES/2010/06, Geneva: 2010
UNHCR (2011a) “Summary of Deliberations on Climate Change and Displacement”2011
UNHCR (2011b) “UNHCR’s role in support of an enhanced humanitarian response for the protection of persons affected by natural disasters”
Geneva:2011
UNHCR(2014) ”Discussion Forum on Climate Change, Berlin 17 June 2014, Remark by Volker Turk, Director of International Protection, UNHCR
Geneva” Geneva:2014