福島原発災害にディープ・デモクラシーの視点から関わる
-対話の会の実践から-

熊本大学大学院社会文化科学研究科
廣水 乃生

キーワード:ディープ・デモクラシー、対話、ファシリテーター、福島

1.はじめに
昔話「屁っぴり嫁さま」をご存知だろうか。日本中にある昔話の一つだが、筆者が2012年から関わってきた福島県飯舘村「かすかだりの会」主催オープン フォーラムで、始めに披露した寸劇である。それは、嫁いできた嫁さまが屁をすることははしたないと小さな屁をずっと我慢してきたが、我慢の限界になり大き な屁をこいてしまい、姑さんが隣の村に吹き飛ばされるというものである。つまり、小さな声を我慢していると大きなものとなり相手を傷つけたり、自分では思 いもしなかったことになったりしてしまう、だから小さな声も大切にして対話しましょうというメッセージをおもしろおかしく真剣に寸劇で伝えた。この「屁」 のように一見無駄だったり、嫌われるようなものだったりするものを無視せず、そこに起こってくるあらゆることを同等に大切にしようという考え方がディー プ・デモクラシーである。
本報告では、ディープ・デモクラシーの視点から福島県飯舘村の若者たちと対話の場をもった過程を振り返り、ディープ・デモクラシーの可能性について言及し たい。ディープ・デモクラシーとは、プロセスワークの創始者であるArnold Mindellの提唱した、意思決定に関する心理的・社会的・政治的パラダイムと方法論であり(ミンデル2013)、「あらゆる人・あらゆる出来事・あら ゆる次元(合意的現実・ドリームランド・エッセンスの次元)を同等に重視する哲学・態度・視点・手法」と筆者は定義している(廣水2014)。

2.なぜ今、ディープ・デモクラシーか
今、社会に渦巻く葛藤状況を見渡したとき、マクロには政治的・社会的な意思決定プロセスの仕組みの限界と摸索がある。ミクロには多様な利害関係者とその民 主的な取り組みに携わる人たちの心理的・精神的・感情的な課題などが民主的な手続きの進行を疎外してしまう。たとえば意思決定プロセスの仕組みも合意形成 の結果であり、そこには心理的な課題が無意識に影響している。このため、何かだけに焦点を当てるとその枠組みの外にあるものの影響を考慮できないために状 況を改善できなくなることは少なくない。そこで、影響し合っているそれぞれを同等に大切にしながら取り組むものがディープ・デモクラシーである。ディー プ・デモクラシーは、直面している問題を全体から切り離すことなく、他の一見無関係に見えることも結びつけながら、全体性を回復するアプローチであり、新 たな可能性が期待できるものと考えた。

3.ディープ・デモクラシーの可能性に関する考察 -実践報告と参加者の感想より-
「かすかだりの会」は、2011年3月の東京電力福島第一原発事故の影響により、全村避難となった飯舘村村民ひとりひとりの心の復興をサポートし、その積 み重ねからコミュニティ再生へとつなげるための対話主催団体で筆者はメンバーとして2012年7月より1,2か月に1回程度のペースで対話の場を開催して きた。
対話の場では、立場の異なる人がひとつの場で互いの声を聴き合う形が基本である。村民の中にも立場の違いがある。それは時間の経過とともにも多様になり複 雑になる。また原子力研究者や外部支援団体など、村外の利害関係者も交えることもあった。ディープ・デモクラシーで大切なことは、全体性の回復のための ピースを集め、対話を通じてひとつに縫い合わせていくことである(ミンデル2013)。
対話においては、今の気持ちや現状を分かち合うところからスタートする。対話が進んでくると、ときには緊張が高まったり、置き去りにされたり未消化になっ た感じがしたりする。それを手がかりにファシリテーターや参加者が表現できていないものを表現できるように支え合い、共有して深めていく。そういった対話 を促進するために、導入にマッサージをし合ったり、寸劇を発表したり、対話の中でロールプレイングをして体験から気づきやすくしたりするなど、参加者がな じみやすいさまざまなツールを用いる。
 対話を通じて参加者は、自分の気持ちや感じていることと向き合ったり整理したり、行政への怒りや先のみえない生活への不安や喪失した悲しみを表現するこ とで解放したりする。また、同じ対話の場でも「一方的であったり、理解が深まらないままということ」による「誤解や分断」が起こることに対して、この対話 の場では立場を超えて理解し合っていけることも感想で語られた(「かすかだりの会」HP)。このように立場を超えて人と人とのつながりが強まり、一人一人 が力を取り戻していき、その相乗効果として全体の力も大きくなっていき、コミュニティ再生の小さな一歩を進み出せる可能性が示されている。

4.結語
以上のように、ディープ・デモクラシーに基づいた対話を通じて、立場を超えて相互理解を促進する可能性を述べた。一方で、すべてを歓迎し、安心して論理も 感情も表現できる場を生み出すために、多様な利害関係者との信頼構築に時間をかけるときもある。このように対話を深めるために時間とエネルギーがかかる側 面もあり、効率性・効果性を急いで求める風潮の中では歓迎されにくい面もある。しかし、効率性・効果性というパラダイムが分断や置き去りを生み出す側面に 気づきつつ、効率性・効果性も大切にしたアプローチとしてオープンフォーラムという形も試みた(2014年3月16日・飯野学習センター「みんなでかすか だっぺ〜若手に言いたいこと・言えないこと、先輩方に言いたいこと・言えないこと」村民対象)。今後、深めていく対話の場とオープンフォーラムについて実 践を通じてより探求する必要がある。
 筆者はこの福島での対話の取り組みについて「燃えつき」を感じていた。ディープ・デモクラシーの視点から見ると、この「燃えつき」の中にある何かを歓迎 することが大切である。筆者が自分の「燃えつき」をじっくり味わうと、打ちひしがれたとしても絶えることのない「尊厳」を感じた。今、この「かすかだりの 会」を支えてきたメンバーは、それぞれの人生の活路を見出すべく一時対話から離れ摸索を始めている者もいる。取り組みの成果がまだまだ小さなものだったと しても、筆者は3年間走り続けてきた「かすかだりの会」のメンバーとその誠意ある取り組みを誇らしく感じており、今、あらためて心から讃えたい。
周囲に目を広げると、日本中で、そして世界中でさまざまな自然災害・人的災害が起こっている。その現場には、福島同様にたくさんのやりきれない葛藤やあき らめ、絶望がひしめいているだろう。そのような状況に取り組むことの困難さは想像を絶するものがある。実際、3年経った今、多くの支援団体・支援者が福島 や被災地から撤退している。何かを成し遂げた者、状況が好転したと思った者、挫折した者、どうしてよいかわからなくなった者、さまざまな人たちがいるだろ う。筆者は「燃えつき」の中にみた「尊厳」から、被災から立ち直ろうとする人はもちろん、世界中で困難な状況に取り組む、あるいは取り組んできたすべての 人たちを心から讃え、彼らに尊敬と感謝を送りたい。
このように筆者の「燃えつき」の奥に「尊厳」が見いだせたとき、周囲にいる多様な取り組み・人への心からの尊敬の念を見出した。この感情的な態度がディー プ・デモクラシーそのものであり、それが人と人とを結びつける力となる。どのようにディープ・デモクラシーが民主主義のアイディアを新しく甦らせるのか。 この問いは、本当の民主主義を実現するために実際に何をどうとらえ大切にしていけばよいのかのルートを明らかにするためのものである。確実にそこに道が見 えるのである。

参考文献
石原明子・岩淵泰・廣水乃生(2012)「震災対応と再生にかかる紛争解決学からの提言」 高橋隆雄編著 『将来世代学の構想 幸福概念の再検討を軸として』,pp.145-180,九州大学出版.
石原明子(2013)「東京電力福島第一原発災害下でおこっている地域や家庭等での人間関係の分断や対立について:水俣病問題との比較と紛争解決学からの一考察」pp.1-20,熊本大学社会文化研究.
ミンデル,アーノルド(2013)「ディープ・デモクラシー <葛藤解決>への実践的ステップ」富士見ユキオ・監訳 青木聡・訳 春秋社.(原 本:Mindell, Arnold(2002)”THE DEEP DEMOCRACY OF OPEN FORUMS: Practical Steps to Conflict Prevention and Resolution for Family, Workplace, and World”, Hampton Roads.)
廣水乃生(2014)「Arnold Mindellのディープ・デモクラシーの体現・実践における困難性に関する一考察〜多様性を尊重し共に生きる文化を育むために〜」,pp.47-59,関係性の教育学vol.13.
Hiromizu, Norio(2007)”GROWING A CULTURE THAT RESPECTS DIVERSITY: An Exploration in the Application of the Deeply Democratic Approach of Mindell’s Open Forum Process”, the Final Essay at Process Work Institute Graduate school, Master’s Course in Art of Conflict Facilitation and Organizational Change.