福島原発災害と水俣病問題に紛争変容・平和構築の視点から関わる
──分断、構造的暴力、そして修復的な希望――

熊本大学
大学院社会文化科学研究科
石原 明子

キーワード:紛争変容、平和構築、福島原発災害、水俣、修復的正義、非対称紛争変容

1.はじめに
 本報告では、福島原発事故災害後によって影響を受けた方々や地域の再生、特に人間関係の分断の問題に対して、筆者が紛争変容・平和構築学の視点から学問 的また実践的に関わってきた中で見えてきたことを報告する。まず、よって立つ紛争変容・平和構築学の視点について外観し、次に、福島原発災害後に地域や家 庭で起こっている人間関係の分断や軋轢(あつれき)の現状や事例について、フィールドリサーチ(参与観察を含む)から見えてきたことを述べる。次に、その ような人間関係の分断や軋轢が起こるメカニズムについてコンフリクト分析を行い、そこから導き出される紛争変容と平和構築戦略を示し、次にその戦略にそっ た実践事例の一つとして、福島の若手・中堅リーダーを水俣に招いて交流ツアーの内容と実践について報告する。福島と水俣の交流により、どのようなものが生 まれつつあるかを事例検討し、西洋で生まれた紛争変容・平和構築の日本の文化・文脈におけるのあり方について考察する。

2.紛争変容・平和構築学の視点とは何か
 紛争変容は英語のConflict Transformationの訳、平和構築はPeacebuildingの訳である。Conflict Transformationの訳については、日本では、紛争変容という訳のほかに、紛争転換(ガルトゥング著、奥本・伊藤訳)、紛争変革(レデラック 著、水野・宮崎訳)、紛争移行(ラムズボサム著、宮本訳)などさまざまな訳がなされていて、定訳が定まらない。Conflict Transformationを含むいわゆる紛争解決学は、北米では150ほどの大学院があるが、日本ではそれを専攻できる高等教育機関は極めて限られて いる(石原2014a)。北米でもいくつかの流れがあるが、報告者自身は、J.P.LederachやH.Zehrらが設立したEastern Mennonite University の流れを汲んでのConflict TransformationとPeacebuildingに基づき、それを応用発展させる形で、当該分野の研究・教育・実践活動を行っている。この流れ では、もともと、個人の葛藤から、関係性の葛藤や対立、家庭や組織や地域の問題、国家レベルでの問題、国際問題を統合的な視点で扱う傾向があるが、報告者 は、それを国際紛争のみならず、日本国内のコンフリクト(紛争・対立・葛藤など)も対象にして、発展させようと試みている(石原2014a)。
 Conflictをマイナスのものとしてだけみるのではなく、コンフリクトの中には、平和に向かって向かうべき変容の種が含まれていると考え、その変容 に向かっての創造的なプロセスを創出するのが、紛争変容・平和構築学であるという理念で取り組んでいる(石原2014a、Lederach2003)。

3.福島原発災害後に地域や家庭で起こっている人間関係の分断や軋轢(あつれき)について
 東日本大震災では、津波やゆれの被害によって、多くの人の命が奪われた。また、それによる東京電力福島第一原発事故災害によって、東日本を中心とする極 めて広範囲に住んでいた人々が、死を意識する恐怖を体験し、また実際に被曝し、多くの方々がふるさとや住んでいた場所から避難し移住することを余儀なくさ れ、また生業を奪われた。震災から3年半たつ今も、多くの方々が見えない将来の不安の中に暮らし、絶望の中で震災後に自らの命を絶った方もおられる。
 東日本大震災とそれに続いた東電福島第一原発災害は、上記のように直接的な身体的、精神的、社会的な被害だけでも甚大であるが、それに加えて、それに よって被害を受けた人々の間に人間関係の分断や軋轢(コンフリクト)をもたらした。筆者は、東日本大震災以降、福島県や北関東で訪問調査を続けたり、紛争 変容・平和構築の視点から活動したりしてきた。下記は、震災から2014年9月までに被災地を訪問したり、被災によって熊本などに避難をされた方々にお話 を伺ったりする中で聞かれた分断や軋轢の例である(石原2012,Ishihara2012,石原2013)。
・避難していった人と避難しないでいる人の関係の断裂
・家庭内、地域や学校で意見がぶつかる、本音が言えないという状況
・学校でのいじめ     
・補償を受けた人、受けなかった(受けられなかった)人の間での軋轢
・被害が違う者同士間での感情的軋轢     
・(熊本で)東北からの避難者と東京圏からの避難者の軋轢
・農産物が売れなくなってしまい苦しむ農家と、地元の食品を心配する地元の子どものお母さんの対立 

4.人間関係の分断や軋轢が起こるメカニズムについての分析(コンフリクト分析)
 これらの分断や軋轢のメカニズムとしては、いくつかの観点から説明をすることができる(石原2012,Ishihara2012)
(1)    社会やコミュニティの全体(全員)が傷ついたトラウマ化社会の症状(アクトアウト・アクトイン)としてのコンフリクトの増加
(2)    潜在化していた価値観や世界観の違いが浮き彫りになったこと
(3)    潜在化していた社会格差と構造的暴力の問題
(4)    現代の法制度や補償制度が引き起こしている分断や軋轢
(5)    ベーシックニーズの基礎となる自然環境が壊されたときの人間の脆弱性

5.分断や軋轢の紛争変容と平和構築の戦略
 コンフリクト分析を行った結果、報告者は、修復的正義とSTAR(Yoder 2005)モデルの適用による(1)修復的再生モデル、 (2)A.Curle (1971)による非対称コンフリクトへの紛争変容モデル(利害関係者間の力関係が不平等の場合のConflict Transformation)による紛争変容と平和構築への戦略モデルを提案した。(1)は、内戦後のコミュニティのようにコミュニティの全員が傷つ き、また、お互いに傷つけあってしまった場合のコミュニティ再生モデルの環境災害応用版(Ishihara 2012)であり、(2)は(1)を可能にするためのいわば構造的暴力へのAwareness raisingと非暴力社会運動モデルである(石原2013)。

6.実際に行ってきた紛争変容・平和構築プロジェクト
 上記のモデルに基づいて、被災者や被災地の再生支援(紛争変容・平和構築支援)の実践活動を報告者は行ってきた。主なものは、(1)いわき市での紛争解 決学講座、(2)こころの傷(トラウマ)とコンフリクトに関するワークショップ・セミナー、(3)福島の若手・中堅リーダーを水俣に招いての交流ツアー、 (4)紛争変容的映画上映会、(5)対話カフェ(熊カフェ)などである。この中で、もっとも成果をあげた(3)について次章でより詳しく述べたい。

7.福島の中堅・若者の水俣交流ツアープロジェクト
 報告者は、2013年4月から3月の間に、福島各地の若手から中堅リーダーたちを水俣に招き、紛争変容・平和構築のモデルに基づいた水俣見学と交流のツ アーを行ってきた。このツアーは、上記の(1)修復的再生モデルと(2)非対称コンフリクト変容モデル(構造的暴力への気づきと非暴力社会運動)を合体さ せたプロジェクトであった。水俣は、約60年前の水俣病公害以降、環境災害とその後のコミュニティ分断という意味で、今の福島と類似した経験をし、苦難 し、生き抜いてきた地域である。水俣は、産業発展の中で患者や漁民が切り捨てられるという明確な構造的暴力の中から再生してきた土地であり、また、もやい なおしの文化や緒方正人や杉本栄子の思想に代表されるように、「赦しを通じた正義の実現」という修復的正義の哲学に極めて通じるところのある思想や生き方 が生まれた土地である(石原2014b)。
 福島の方々が水俣と出会うことで、福島が置かれた構造的暴力の状況の可能性について水俣を通じて考えるスペースが与えられ(共通点と相違点を含めて)、 また、そこからの再生戦略として、どのように非暴力社会運動や、修復的な再生をしていくことができるのか、ということを水俣で生きてきた人々との出会いを 通じて感じ考えていくきっかけとなることを期待した。ツアーでは、極めて力強い化学反応が生まれ、例えば一つには、福島と水俣の中堅・若者同世代(18 歳〜40代)のネットワークが生まれた。水俣の当該世代は主に水俣病の第三世代であり、福島の当該世代は原発災害の第一世代である。彼らは同年齢としての 連携でありながら、同時に、環境災害の第一世代と第三世代の出会いとなっている。福島の若手や中堅は水俣との出会いで「自分たちの未来」と出会い、水俣の 人々は福島との出会いで「自分たちの過去」と出会っている。このつながりの中で、「未来」と「過去」が対話して共に歩むつながりが生まれた。

8.今後の展望
 西洋で生まれた紛争変容・平和構築学の知識が、実践の知となって現場で生かされるためには、その国や地域の文化や文脈の中で、多様な形をとって実践され る必要があり、また可能性が開かれている。この福島と水俣の交流ツアーは、現代日本で「修復的正義」「非暴力社会運動」をどのように推進するかの一つの形 を示してくれた。西洋で生まれた紛争変容・平和構築学の知を日本の文脈でいのちあるものとしていくために、今後も研究・教育・実践と尽力をしていきたい。

参考文献
A. Curle(1971). Making Peace, Tavistock Pubns
Akiko Ishihara, et al. (2012) “Peace building through Restorative Dialogue and Consensus Building after the TEPCO Fukushima 1st Nuclear Reactor Disaster”, Eubios Journal of Asian and International Bioethics Vol. 22 (3)
J.P.Lederach (2003). The Little Book of Conflict Transformation, Goodbooks (ジョン・P・レデラック(2010).『敵対から共生へ―平和づくりの実践ガイド』ヨベル(水野節子・宮崎誉訳)
C. Yoder (2005). The Little Book of Trauma Healing, Goodbooks
石原明子・岩淵泰・広水乃生(2012)「震災対応と復興にかかる紛争解決学からの提言」 高橋隆雄編『将来世代学の構築』九州大学出版会
石原明子(2013)「東京電力福島第一原発災害下で起こっている地域や家庭等での人間関係の分断や対立について一水俣病問題との比較と紛争解決学からの一考察」『熊本大学社会文化科学研究』11.pp.1-21
石原明子(2014a)「紛争変容・平和構築学の理論的枠組み―日本における実践家育成のために」安川文朗・石原明子編『現代社会と紛争解決学―学際的理論と応用』ナカニシヤ出版
石原明子(2014b)「修復的正義の哲学とその応用の広がり」安川文朗・石原明子編『現代社会と紛争解決学―学際的理論と応用』ナカニシヤ出版 
ガルトゥング・ヨハン(2000)『平和的手段による紛争の転換―超越法』 平和文化 (奥本京子・伊藤武彦訳)
ラムズボサム・オリバー(2010)『現代世界の紛争解決学』明石書店 (宮本貴世訳)