川内原発は、再稼働でなく廃炉を決断するとき


川内原発建設反対連絡協議会
鳥原良子


1.    はじめに
 原子力規制委員会は、九州電力川内原発1・2号機を全国の原発の中でも最優先して 新規制基準適合性審査し、7月16日その結果である審査書案を出し た。それに対するパブリックコメントが約17800件も出されたにもかかわらず、その内容と対応について公開もしないまま、9月10日、実質的な審査合格 通知である「審査書」を発表した。
 薩摩川内市の市民グループ4団体が自主アンケート13000戸配布したところ、料金受取人払いで1100以上の返信があった。その結果薩摩川内市民の 85%が、福島第一原発事故を教訓に川内原発1・2号機は再稼働すべきではないと応えているが、市長と議会の意向は住民とはまるっきり逆転の様子である。 原発が、薩摩川内市の街づくりにとって有益であるならこのような現象は起きないはずと考える。
 
2.    川内原発1・2号機建設の様子
 1964年12月15日、当時の川内市議会が原発誘致を全会一致で議決。その当時、「原発は核の平和利用」ということを議会の中では誰もが疑っていな かった。1967年串木野市漁協、阿久根市漁協は立地調査中止の声をあげるが、川内市漁協は条件付き同意書を提出。1972年11月、総評系労働組合が原 発建設反対県民集会を開催。専門家に原発の危険性を学び、婦人団体・市民グループ、労働組合、革新政党を中心に原発反対の声が次々に起こり始め、それをま とめる形で1973年11月、14団体による「川内原発建設反対連絡協議会」が発足した。九州電力は、漁業補償数十億円を漁協に渡し、漁民を賛成に転じさ せ、久見崎産業という環境整備会社等に雇用することで周辺住民を賛成に転じさせていく。その後、数千人規模の反対集会、デモを重ねるも、1984年7月、 1号機は商業運転開始、1985年11月、2号機が商業運転開始される。

3.    原発に依存したまちづくり・原発の話題はタブーになる
 電源三法による交付金、原発の設備による固定資産税、核燃料税などが薩摩川内市にはいる。
公共の主だった施設が交付金によって建設される。地区コミュニティセンター、歴史資料館、国際交流センター、まごころ文学館、総合運動公園アリーナ、ナイ ター設備等・・。交付金の使用は建築物に限らず、最近ではソフト面へ使用可能になり、学校の主事や司書補等の給料にも使用。財政困難になると、九州電力に 寄付を要請し、大学誘致のための用地整地、川内駅舎建築等に充ててきている。13カ月ごとに約2〜3カ月間行われる定期検査のために滞在する九州電力社員 や作業員たちの宿泊利用で旅館・ホテルは、潤う利点はあるが、そのため観光客の宿泊を断ることも多々ある。原発と観光は共存できない。
薩摩川内市役所に九州電力課ありと思わせる職員の対応の変化。原発の安全性について不安な発言が住民から寄せられると九州電力社員のごとく安全性を職員が 強調して説明。住民サービスの立場を忘れている。市役所、原発関連会社、原発出入り会社、商工会議所役員を中心に、表立って原発のことを話題にすることが タブーになる雰囲気が徐々につくられていく。


4.    川内原発3号機増設の浮上
1990年代になると3・4号機増設が水面下で動き出し、環境影響調査の反対陳情を無視して鹿児島県知事、川内市長は揃って「増設と環境影響調査の切り離 し論」で、議会の環境調査同意を取り付けて2003年調査開始。2009年1月、九州電力が3号機増設の正式申し入れを鹿児島県と薩摩川内市に行うと次々 と3号機増設反対陳情が薩摩川内市議会や県議会に出された。特に薩摩川内市では反対に関連する陳情45件、賛成陳情40件が出され、議会の参考人招致、議 会主催の公聴会、住民による市民投票条例請求の署名運動等、3号機増設の反対運動が激化するも、薩摩川内市長は3号機増設に同意する。続く鹿児島県知事の 判断も「日本ではチェルノブイリのような大きな原発事故は起きないと思えるので、3号機増設に同意する」と、いとも簡単であった。2011年3月の福島原 発事故発生を機に、市民運動の要請で3号機増設は凍結され、1・2号機も定期点検後、運転停止。

5.    福島第一原発事故で、住民の不安は的中
 事故の情報が正確に早く住民に伝わらず、避難を遅らせ、避難の方向も狂わせ、住民や家畜に多大なる被ばくを生じさせた。その後、内部被ばくした住民、と りわけ子どもの健康調査は、住民が納得するような調査と補償の約束ができていない。内部被ばくを隠ぺいし、環境汚染した地域の過小評価、移染を除染という 言葉でごまかし、住民の帰還を急がせて、年間の被ばく量を20ミリシーベルト以下という無謀なことを強いて、内部被ばくを拡大させている。放射線管理区域 は、年間5.2ミリシーベルトで、そこでは飲み食いしてもいけない、18歳以下の子どもは、働いてもいけない。一般市民の被ばく限度は年間1ミリシーベル トである。チェルノブイリの原発事故後、ロシア、ウクライナ、ベラルーシでは年間5ミリシーベルトで移住の義務、1ミリシーベルトで移住の権利を打ち出し ている。福島の子どもたちは、被ばくの危険にさらされている。
 福島原発事故の原因も究明されず、毎日400トンもでる汚染水の処理もうまくできず、海へ漏えいし続けている。何よりも事故を起こした原子炉に近づくことができず、溶け落ちた核燃料を取り出すことは不可能に近いので、事故の収束は程遠い。
 放射能汚染された農畜産物、漁業の補償、避難した人々の生活補償と健康保障等多くのことが不十分で、事故責任を東京電力も国もどこもまだとっていない。 ひとたび原発事故が生じると、莫大なる費用がかかるため、政府は、健康被害についても、因果関係はないとか無責任きまわりない。放射性セシウムの一般食品 の基準値を100ベクレル/kg以下としているが、チェルノブイリでは10ベクレル/kg以下の食事でも、体に異変が生じていることから、福島のお母さん たちの子どもたちへの健康不安は、いかばかりか想像を絶する。

6.    新規制基準適合性審査は、原発の再稼働のための最低基準
 新規制基準適合性合格は、安全を保障するものではないと、田中規制委員長は繰り返し発言している。確かに、火山の専門家、地震学者の忠告も聞き入れずに 策定した審査書は、安全性の保障はできまい。ましてや、福島原発事故の教訓を取り入れての実効性のある避難計画を付帯していないのであれば、なおさらのこ と、安全性は最低限であり、再稼働は到底できない。


7.    川内原発は再稼働でなく、廃炉にするとき
 物理学者はウランを核分裂させれば200を超える放射性物質が生じること、ひとたび事故が生じるものならいかに危険であるかを知っている。その放射性物 質が生物に与える影響は、医学博士たちがよく理解している。低線量の長期にわたる放射線被ばくについてはまだよくわかっていないので、低いから大丈夫とは 言えない。環境経済学者は、原発がいかに不経済なエネルギーであるか、いかに税金の無駄使いをしているかを知っている。原発は老朽化して経年劣化し、ま た、新たに事故の可能性も高くなってくる。使用済み核燃料の処分方法や処分地も決められない今、事故が生じないうちに廃炉を選択したほうがメルトダウンし た原子炉の燃料取り出しよりはるかに危険性は少ない。川内原発も運転開始から30年経過していることから廃炉を選択したほうが原発で働く人たちの被ばくも 軽減できる。
 これからの薩摩川内市の街づくりを、危険な原発の再稼働に力を注ぐのでなく、原発廃炉のために技術者を育てる会社を誘致する等、今後多くなる廃炉産業等に方向転換することを急ぐ方が、福島原発事故の収束にも大いに役立つと考える。

参考文献
1988年    川内原発建設反対連絡協議会発行「川内原発反対闘争経過」
天笠 啓佑  
2014年    放射能汚染とリスクコミュニケーション    萌文社
ふくもとまさお
2014年    ドイツ低線量被ばくから28年    言叢社
小若 順一  
2013年    放射能被害の新事実    食品と暮らしの安全基金