グローバル・ファシズム下のヘイト・スピーチ状況
――現代日本の排外主義と「慰安婦」ヘイト・スピーチ

東京造形大学
前田 朗

1 報告の趣旨
 筆者は『21世紀のグローバル・ファシズム』の序章「グローバル・ファシズムは静かに舞い降りる」において、現代世界に共通の現象となっている「時代閉 塞の状況」を確認したうえで、最近の日本における排外主義とヘイト・スピーチを「浮遊する居直りナショナリズム」と特徴づけ、それが単に社会的現象ではな く「差別煽動国家」によって現実化された側面を指摘した。それに引き続き、本報告では、現在の排外主義とヘイト・スピーチが、かつてのファシズム期の日本 軍国主義と現在のグローバル・ファシズムとをつなぐ位置にあることを論じたい。
 そこで、第1に、排外主義とヘイト・スピーチを噴出させている日本が、世界史的レベルにおいて、いかなる局面に位置しているのか、簡潔な仮説的見取り図 を提示する。第2に、ヘイト・スピーチの中でも特に「慰安婦」に対するヘイト・スピーチ現象が、その局面において果たしている象徴的役割を確認する。第3 に、「慰安婦」ヘイト・スピーチに対する内外からの批判を受けて、いかなる対処が求められているのかを論じたい。

2 新旧ファシズムの共存・相克・矛盾
 『21世紀のグローバル・ファシズム』において、グローバル・ファシズムを社会科学的概念として定義するのではなく、一つの窓口としてとらえ、執筆者そ れぞれの問題関心にしたがって論述することとした。本報告でも同様の理解を前提としつつ、一歩進めて、一応の歴史的段階付けを行うための仮説的な見取り図 を提示する。新旧ファシズムの対比を鮮明にするために4つの局面を区別する。
(1)    20世紀ファシズム:イタリア・ファシズム、ナチス・ドイツ、日本軍国主義に代表される20世紀のファシズム。
(2)    国連システム:20世紀ファシズムに対抗するために掲げられた平和と民主主義を支える国際システムとしての国連システム。
(3)    冷戦体制:国連システムの形成にもかかわらず、現実政治において成立した資本主義陣営と社会主義陣営の対抗という冷戦体制。
(4)    グローバル・ファシズム:ソ連東欧社会主義圏崩壊の後に世界を席巻したグローバリゼーションの下で進行しつつあるグローバル・ファシズム(ネオコンの時代、「テロとの戦争」の時代)。
 以上の4つの局面を歴史的段階付のために前提とするが、その流れは一方向的に進行するとは限らない。(3)冷戦体制が終結した後に、向かう方向は(2) 国連システムでありえたし、現にそうした流れも存在し、国連は創設以来、初めて機能したとさえ言えた。しかし、とりわけ9.11事態の故に、(3)から (2)ではなく、(3)から(4)への流れが世界を覆うことになった。

3 日本における排外主義とヘイト・スピーチ
3-1 ヘイト・スピーチ状況の特徴
 最近の排外主義とヘイト・スピーチについては、既に様々な分析がなされている。安田浩一は、ヘイト・デモに参加する若者たちへの取材を通じて、経済不況 の下での不安やストレスに駆られた若者の不満のはけ口としてのヘイト・スピーチ状況を解明する。他方、樋口直人は、ヘイト・デモへの資源動因に関する社会 学的分析によって、外国人参政権問題などで浮上したアジア地政学にその根拠を求める。両者の結論は一見すると対立するように見えるが、本報告の立場からは 両者には密接な内的連関があると考える。
第1に、ヘイト・スピーチの内容と標的(被害者)を見ると、一見して明らかに東アジアにおける政治的緊張が背景を成している。外国人参政権はもとより、 「慰安婦」問題をはじめとする戦後補償問題、歴史認識問題、あるいは竹島や尖閣諸島などの領土問題が、ヘイトの温床となっている。
 第2に、現在のヘイト・スピーチは単に社会の中で自然に発生してきたのではなく、「上からのナショナリズム煽動」によって実現している。日の丸君が代問 題や靖国神社問題をめぐる国内政治と国際政治の紛糾、政治家や著名な評論家など公人による「慰安婦」に対するヘイト・スピーチなど、いずれも「上からのヘ イト・スピーチ」現象である。
 第3に、これらの要因は21世紀に入ってからではなく、20世紀から存在していたにもかかわらず、ヘイト・スピーチが21世紀に入ってから激しくなった のはなぜか。そこには、日本の「大国」からの滑落を見ることができる。20世紀後半に経済成長を駆けのぼった日本は資本主義世界第2位の経済力を誇り、国 民にも「大国意識」が目覚めていた。ところが、冷戦終結以後、日本は「失われた10年」を経験し、経済力は陰りを見せた。中国や韓国に追い越される不安に 直面した。軍事面でも、中国軍の増強が日本側の危機感をあおる材料となった。

3-2 分裂する日本 
   このことを前章の4つの局面に即して整理すると次のようにまとめることができる。
(3)の冷戦体制が終結したことによって国際政治は(2)の国連システムに向かう可能性を得たが、9.11によって実際には(4)のグローバル・ファシズムへの流れが加速した。(2)と(4)の共存と矛盾が現在進行中である。
ところが、日本は、さらに複雑な動きを余儀なくされた。(3)の国連システムに従って、国連を背景とした安全保障システムに参入しなければならない。同時 に、アメリカの「属国」として、日本は(4)の「テロとの戦い」に協力しなければならない。国際社会と同様に(2)と(4)の共存と矛盾である。ところ が、実は日本にとって(2)の国連システムとは「安全保障システム」であるよりも前に、(2)を通じて(1)を呼び覚まされてしまう危険を内在していた。 なぜなら、国連は日独伊3国同盟と戦争するために創設された機関であり、日本は国連憲章に言う「国連の敵」だったからである。
(3)の局面では、アメリカの「属国」に安住していれば、このことに直面せずにすんでいた。しかし、世界が(2)の局面に復帰するや、日本はそこから滑落 する危険を抱えていたのである。国連体制には、ポツダム宣言、東京裁判、サンフランシスコ条約等々が附属しているからである。かくして日本は(3)から (2)だけではなく、(3)から(1)への退行を始めた。靖国神社参拝、侵略の否認、「慰安婦」の否認、東京裁判の否認が一斉に噴出してきた。このため日 本は、一方でアメリカに従って(4)のグローバル・ファシズムへの途を邁進しながら、他方で(1)の20世紀ファシズムに足を絡め取られ、アメリカにたし なめられることになった。(1)と(2)と(4)が共存する分裂状態が、日本社会を排外主義とヘイト・スピーチに追い込んでいる。

4「慰安婦」ヘイト・スピーチ処罰立法を
 2014年8月の朝日新聞記事訂正騒動以後、日本社会は朝日新聞叩きだけではなく、常軌を逸した「慰安婦」ヘイト・スピーチを引き起こした。それ以前か ら、政治家や著名な評論家が執拗に繰り返してきた「慰安婦」ヘイト・スピーチが、今や日本列島全体を覆っている。
 筆者はヘイト・スピーチについて数多くの発言をしてきたが、本報告では「慰安婦」ヘイト・スピーチに限定して論じる。
 2013年5月、国連社会権規約委員会は、日本政府に対して「慰安婦」ヘイト・スピーチに対処するように勧告した。しかし、日本政府は国連勧告に従う義 務はないと閣議決定した。2014年7月、国連自由権規約委員会、2014年8月、人種差別撤廃委員会も、同様の勧告をした。国際社会からの度重なる勧告 にもかかわらず、2014年8月、文字通り異様な興奮状態が日本列島を席巻し、「慰安婦」ヘイト・スピーチが激流となっている。日本政府はそれを抑止する どころか、熱心に煽っている有様である。
 しかし、「慰安婦」の歴史と記憶を国際社会から消すことはできない。奴隷条約、強制労働条約などの国際法に違反して人権侵害を引き起こしたがゆえに、国連人権機関からの勧告が相次いだのである。人道に対する罪を再び起こさないことが求められている。
 今、必要なことは、国際法の原点に立ち返って、「慰安婦」問題の検証を行うことであるが、政権が国際法を意図的に無視している日本社会ではそれは期待できない。
 そこでなされるべき次の議論は、国際勧告を受けて、「慰安婦」ヘイト・スピーチへの対処を求める立法提案である。ドイツでは「アウシュヴィツの嘘」が犯 罪とされていることは知られているが、ドイツだけではない。フランス、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、ギリシアなど欧 州諸国でも「人道に対する罪を否定すること」が犯罪とされている。それは(2)の国連システムから(1)の20世紀ファシズムを評価する一つの尺度であ る。日本を(1)や(4)に邁進させるのではなく、(2)の国連システムにおいて役割を果たす存在に引き戻すために、「慰安婦の嘘」処罰立法の提唱が不可 欠である。

<参考文献>
木村朗・前田朗編『21世紀のグローバル・ファシズム』(耕文社、2013年)
安田浩一『ネットと愛国』(講談社、2012年)
樋口直人『日本型排外主義』(名古屋大学出版会、2014年)
前田朗『ヘイト・クライム』(三一書房労組、2010年)
前田朗『増補新版ヘイト・クライム』(三一書房、2013年)
前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)
のりこえねっと編『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』(七つ森書館、2014年)
前田朗「東アジアにおける歴史否定犯罪法の提唱――『アウシュヴィツの嘘』と『慰安婦の嘘』」『統一評論』583号・584号(2014年)
前田朗「人種差別撤廃委員会の三度の勧告」『統一評論』587号・588号(2014年)