制約下における外部主体の紛争への関与
-チェチェン紛争とナゴルノ・カラバフ紛争におけるOSCEの役割に注目して-

日本学術振興会(東京大学)
富樫 耕介

キーワード:紛争、外部関与、OSCE、チェチェン、ナゴルノ・カラバフ紛争


1.はじめに
 民族紛争や内戦などが国際的にも看過できない様々な問題を生み出しているため、その解決のために国際社会は支援をするべきだという議論は現在、支配的に なっている。国際社会の関与については、平和維持部隊の展開など武力を伴う介入が紛争地の平和に一定の役割を果たすという計量分析がなされているが、現実 には紛争に対する外部主体の関与は様々な制約を受けており、その実、「可能な範囲でいかに関与し、目的を達成するのか」という技術的な問題と対面せざるを 得ない。本報告では強い介入が行えないという環境におかれた中で、第三者機関による紛争地への中立的関与が、どのような条件下において一定の効果をあげる 事ができるのか、コーカサスの紛争事例を通して明らかにする事に取り組む。

2.事例選定理由:なぜコーカサス(チェチェンとカラバフ)、なぜOSCEなのか?
 本研究では、強制力の強い関与を行えない地域における中立的関与(和平の仲介など)の正否の条件を検討するが、チェチェンとカラバフ紛争に対する OSCEの関与はこの条件に一致する。コーカサス地域は、ロシアの影響力が強い地域であり、外部主体が平和維持部隊などを展開する事は事実上不可能であ る。コーカサスには五つの紛争があるが(富樫 2012)、このうち、中立的第三者機関が紛争の解決(和平の仲介)に関与しているのは、チェチェンとカラバフである。双方に対するOSCEの関与は、そ の対照的な結果からも比較の意義がある。すなわち、チェチェン紛争では第一次紛争の終結に同機関は大きな貢献をした一方、カラバフ紛争では停戦になんら主 導的役割を果たせなかった。他方で前者の紛争再発は防げなかった一方、後者はコーカサスの紛争では唯一「現状維持」で均衡を保ち、紛争再発や「状況悪化」 を防いでいる。

3.事例はいかに理解されてきたか:チェチェンとカラバフ和平をめぐる先行研究
 チェチェン紛争に対する和平およびそれに対する外部関与については、殆ど先行研究が存在しない。その理由は、1996年のチェチェン和平がチェチェンの 法的・政治的地位についての回答を避けた妥協の産物であると評価されてきた(Shedd 2005: Осмаев 2012)ためであり、実際に紛争も再発したからである。そのため、OSCEの関与についても殆ど検討されずにきた。カラバフ和平に関しては、OSCEの 関与に関する少なからぬ研究がある一方、そこでもOSCEは何ら成果を生み出していないという共通見解がある(Başer 2008; de Wall 2010)。本報告は、このような評価のある中で両事例を再評価しようと試みる。
 即ち、先行研究が説明できない「なぜOSCEはチェチェン和平(96年)で役割を果たせた一方、紛争再発(99年)を防げなかったのか」、「カラバフ和平(94年)では役割を果たせなかった一方、なぜ紛争再発を防げているのか」を説明しようと試みる。

4.外部関与の受容条件(関与の正否の条件)についての測定方法
 強制力の弱い外部関与は、その正否の条件を単純に外部関与側の働きかけという観点から測定する事は困難である。むしろ、紛争当事者が一定の条件下では関 与を呼び込み、それを受容する過程がある。本研究では、外部主体の関与が効果を発揮すると考えられる条件を①介入時期、②介入主体自身の制度的能力、③被 介入地域の政治・経済的状況、④当事者の介入の受容の程度、⑤事前に準備している解決策の有無(Mychajlyszyn 2005)から測定を試みる。チェチェンもカラバフもOSCEが関与を試みた時期(①)は紛争のエスカレーションの時期であった一方、カラバフの時(92 年)はOSCEの紛争への対応が制度化されていなかった。一方、チェチェン(95年)では既に一定の経験を有していた(②)。チェチェンもカラバフも OSCEが関与を試みた時期に紛争の被害は大きくなっており、紛争当事者は政治・経済的にも苦しい状況下におかれていた(③)。だが、それでも紛争当事者 の間には和平への姿勢に微妙な温度差があった(④)。チェチェンでもカラバフでもOSCEは当初、具体的に和平案を提示できずにいた点は共通している (⑤)。

5.「成功例」としてのチェチェン紛争の和平:紛争への外部関与を受け入れるまでの政治過程
⑴ロシアの対チェチェン政策(政治姿勢)
 ロシアは、チェチェン独立派を非合法武装集団であり、連邦の法的秩序を乱す犯罪集団であると見なしていたため、チェチェン紛争は犯罪集団排除の為の国内 的活動だと考えていた。故に外部主体に介入される事を好んでいなかった。また紛争に対しては、チェチェン内の親露派勢力を支援し、これによって独立派を排 除しようとしていた。そして、親露派に強く介入するもこれが独立派との紛争を改善させる事に繋がらず、事態が悪化していき、独立派内の過激派集団が病院占 拠事件を起こし、ロシアに交渉を求める。

⑵ロシアが外部関与を受け入れた要因
 ロシアがOSCEの仲介を受入れた要因としては大きく分けて三つ指摘できる。第一に、欧米による圧力であり、具体的には欧州評議会加盟手続きの凍結や EUのロシアとの貿易協定の凍結などを通してOSCEの仲介を受入れるように圧力をかけた事があげられる(Mihalka 1996; 吉川 1997)。第二に、ロシア自身がこの時期、OSCEに一定の期待感を持っていたという事があげられる。これは、冷戦後の欧州地域の安全保障組織として反 ロシア的、軍事的色彩の濃いNATOをOSCEが代替していくとの期待感に加え、CIS諸国の紛争への介入を正当化する際にOSCEを活用したいという思 惑であった。最後にロシアの対チェチェン政策の行き詰まり、どのような手段であれチェチェン紛争の解決が求められていたという内政上の理由があげられる。

⑶OSCEの交渉への関与と紛争終結過程
 ロシアは、チェチェン支援グループの設立を95年4月時点で受け入れ、以後、戦況がロシアにとって不利になる中で、停戦合意や和平合意へのOSCEの関 与も受け入れる形になる。特に大統領選挙などロシア中央政界の一大イベントもあり、チェチェン和平を求める政治的必要性が強まる。紛争の解決のための OSCEの役割をむしろロシア自身が歓迎するような状況が形成される。OSCEもグリディマン代表の「シャトル外交」など積極的に停戦・和平仲介に動き、 停戦合意・和平合意、平和条約締結という成果をあげる。

4.「失敗例」としてのカラバフ紛争の停戦:紛争への外部関与を受け入れるまでの政治過程
⑴アゼルバイジャン・アルメニアの紛争への対応
 この紛争は、歴史的に根深く、アルメニア本国やカラバフのアルメニア人にとってカラバフのアルメニアへの帰属変更は民族的な宿願と認識され、アゼルバイ ジャンにはカラバフの死守は、国家の最重要課題と認識されてきた(廣瀬 2005; 吉村 2008)。ソ連解体後、新たに独立した両国は、自らを利する国際的な支援は積極的に受け入れるという姿勢をとったが、紛争はアゼルバイジャンで二度に渡 るクーデターを生み、停戦まで終始アルメニア優位で推移した。アルメニアは、優位な状況で現状を固定化するため、停戦に一定のインセンティブを有したが、 カラバフのアルメニア人は、自ら設定した生存権を確保するため、むしろアルメニア本国よりも交渉に消極的な態度をとった。

⑵なぜOSCE(CSCE)は停戦において役割を果たせなかったのか
 OSCE(CSCE)が停戦において主導的な役割を果たせなかった事には、四つほど理由が考えられる。第一に、OSCE自身の問題、すなわち紛争の仲介 などの経験不足と指針の欠如が指摘できる。カラバフ紛争は、OSCEが初めて関与した大規模紛争で実践的経験も対処指針もなかった(Cornell 2001)事に加え、ミンスク会議の組織化も進まず、具体的なアイディアも提示できなかった(de Waal 2010)。第二に、コーカサスにおいて影響力を保持するロシアがOSCEを排除した枠組みでの和平を模索していたという事もあげられる。ロシアは、ロシ ア軍の展開をOSCEに同機関の平和維持部隊として認めさせるような形を模索していた(Mihalka 1996; Cornell 2001)。このため、第三に、むしろ個別的な停戦・和平仲介が進んでおり(ロシア以外にもイラン、アメリカの仲介などであったが)、OSCEの枠組みは 活用されなかった。そして最後にアルメニアとカラバフ・アルメニア人に温度差があり、後者の側が停戦合意などを履行しない状況があった。

5.「失敗例」としてのチェチェン紛争再発:停戦後の政治展開とOSCEの仲介
⑴チェチェン紛争におけるOSCEの仲介の排除(97年頃)
 和平合意締結後、1999年の紛争再発までOSCEの仲介機能を無効化する取り組みがあった。チェチェン側では、過激派がグディリマン・OSCE代表を 国外退去させた(但し、マスハドフ新大統領がすぐにOSCEの活動継続を支持し活動は再開した)。ロシア側の行動はより問題で、具体的にはOSCE常任理 事会でOSCEの仲介業務は果たされたとして、その活動を制限しようと試みた(Skagestad 1999)。以後、チェチェンとロシアの交渉過程からはOSCEは事実上排除され、その活動は人道支援などに限定される事になる。

⑵ロシアとチェチェンの交渉過程(1997-99年)
 チェチェンとロシアの交渉は、当初精力的に取り組まれ、OSCEの仲介機能がなくなってもすぐに問題にならなかった。両者は、法的・政治的地位、経済問 題、治安問題などを主要な議題とし、交渉委員会を設置した。97年10月までには双方から条約案が提示されるが、OSCEはこの交渉過程には結局関与でき ず、双方の条約案の間にもその法的・政治的地位をめぐって大きな隔たりが残る。その後、ロシア側はチェチェンの治安状況などから交渉に消極的に、98年末 には主要な交渉チャンネルであった委員会などを廃止、チェチェン側はロシアの経済合意未履行などで財政危機に陥る。以後、双方の間では危機的状況を改善す る為の大統領同士の直接会談なども開かれず(チェチェン側の求めに応じてOSCEはロシア側に働きかけるもののロシアは拒否し)、紛争再発へ至る。

6、「失敗例」から脱却するカラバフ:停戦後の政治展開とOSCEの仲介
⑴カラバフ紛争におけるOSCEの関与の増大(94年以降〜)
 当初、停戦に主導的な役割を果たせなかったOSCEは、その後、カラバフ和平への関与を強め、現在、主要な交渉仲介者となっている。その理由は第一に、 コーカサスの戦略的重要性の高まったという要因がある。即ち、カスピ海油田開発をめぐる欧米とアゼルバイジャンの合意が形成され、石油輸送の安全性の問題 からカラバフ和平への関心も高まったが、その際、OSCEは西側がこれに関与する重要な手段となった。第二に、チェチェン和平の要因で指摘したように94 年以降、2000年代初期までロシアはOSCEに一定の期待をしており、カラバフ和平においても同機関の関与拡大を受け入れたためである。第三に、97年 にOSCEのミンスク・グループの共同議長に利害関係者である米仏も参加したという点があげられる。利害関係者の共同議長国への参加は紛争当事者からの批 判も招いたものの、97年までに主要な和平案が提示されるなど交渉は活性化し、その後も交渉チャンネルは確保され、「現状悪化」をくい止めている。

⑵なぜ和平は実現しないのか:和平案をめぐる政治過程
 既存研究は、和平が実現しない事をOSCEの責任だとしているが、そこには別の問題もある。OSCEへの批判としては、領土的一体性の回復と少数民族の 自治という矛盾した原則を掲げている事にあると指摘されている(Başer 2008)が、OSCEの掲げる自治規範は、当該国家の内部にて実現されるもの(西村 2000)で、その点は実は矛盾していない。確かに規範的に矛盾せずとも、どのようにこれを実現するのかという課題は山積しており、またOSCEがもとも と合意主体であったカラバフ政府を交渉の場から排除している(de Waal 2010)事も批判されている。他方で、紛争当事国側の要因、即ち国家の独立と民族紛争が同時に進行する中でこれらがナショナリズムと強く結びつき、また 国家指導者もそれを自らの権威の正当性に利用したため、紛争当事者双方共に紛争で妥協する事の出来ない国内環境が整備されてしまった事(Altstadt 1997; Panossian 2005; Бабаян 2005; Tokluoglu 2011)も和平を実現困難にしているのである。

5、結果の比較
⑴なぜチェチェンは紛争再発に至ったのか:仲介や和平の観点から
 チェチェン紛争が再発に至り、なぜOSCEが役割を果たせなかったのかという問題は、なぜ紛争当事者が合意形成をできなかったのか、またなぜ当事者は外 部関与を受容しなかったのかという問題を考える必要がある。前者については、既述のようにそもそも停戦合意・平和条約でチェチェンの法的・政治的地位を棚 上げする形で終結に至るというロシア側の動機が満たされたため、あるいはロシア指導部がチェチェン問題を解決しようとする政治的意志を欠いていたため (Lanskoy 2003)などと説明される。他にも、全連邦的な中央・地方関係の再編とチェチェンへの分権化の流れが逆行していた事や、交渉当事者・政府(大統領・内 閣)・議会の意見不一致などが指摘できる。
 では、なぜOSCEは役割を果たせなかったのか。これは、1996年(紛争終結時)と1999年(紛争再発時)の関与をめぐる条件の大きな変化が挙げら れる。前者は、紛争当事者も仲介を受け入れていたが、後者の時期にはそれをむしろ排除し、無効にしていた。また前者の時期には、西側がロシアに圧力を行使 する事ができていたが、後者の時期にはコソヴォ問題などをめぐり関係は非常に悪化しており、西側の圧力にロシアは非常に反発していた。西側機関は、こうし たロシアの懸念や反発を無視し、頭ごなしに批判をするだけで、紛争終結時には見られたような実効的で有効な対応策(政治取引など)を講じたりしなかった。

⑶なぜOSCEの仲介機能がチェチェンのように破綻しないのか?
 カラバフへのOSCEの関与は「成功例」とは決して言えないが、それがチェチェンのように破綻したとも言い難い。ここでは、なぜOSCEの仲介機能が チェチェンのように破綻しないのかを考える必要性がある。この要因は、一つはあまりに紛争当事者が強く対立するために、事実上仲介者なしでは話し合いを行 う事ができない国内的・国際的環境が整備されてしまった事が挙げられる。OSCEは、信頼に足る交渉の場を継続的に紛争当事者に提供し続けられるという意 味で一定の役割を果たしているのである。もう一つは、共同議長国の米仏露が紛争の仲介に関与する事で、少なくとも仲介が破綻しないように一定の抑止力を提 供している事があげられる。アゼルバイジャンは、国内的にも国際的にも領土回復の為の軍事的手段を排除せず、軍事費も増大させているが、戦争で生じる国 内・国際政治・経済的リスクを認識しており、戦争再開は費用対効果の釣り合わないものだと理解していると思われる。それでも国内的には矛をおさめる事は困 難だが、OSCEの仲介に「やむなく応じる」事で「現状悪化」を阻止し、アルメニアへの軍事的圧力を高め、状況を自陣に優位なものとしようとしている。こ うした中でアルメニアは徐々に不利な状況に陥っているが、トルコとの国境正常化交渉などを絡め、巻き返しを試みるなどした。
 重要な事は、このような紛争当事者の「綱引き」や「脅し」などのゲームがOSCEの交渉を受け入れ、その継続を前提とした上で行われているという点にある。

おわりに
 強制力の低い紛争地への外部主体の関与は、一定の条件下においてはチェチェンのような大国の内戦でも終結に貢献し、カラバフのように大きな成果はなくと も、「現状悪化」を食い止める事はできる。この際に重要な事は、紛争当事者がその仲介や和平を受容する環境を整備したり、彼らの求める役割を担ったりしつ つ、その関与の意義を間接的・直接的に紛争当事者に認識させる事である。

参考文献
吉川元(1997)「OSCE予防外交と共通の安全保障」『修道法学』第19巻第2号、pp.55-92
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