儀礼的暴力に対する新たな抵抗
―ケニアのマサイ社会における女性性器切除実践の調査から―


大阪大学言語文化研究科

林 愛美

キーワード  :  通過儀礼、人権、文化

1.    はじめに
本報告では、ケニア共和国のマサイ社会において通過儀礼の一環として行われている女性性器切除(Female Genital Mutilation、以下FGM)を取り巻く状況を取り上げる。マサイ社会においてFGMは、伝統的に女性が成人するために欠かせない慣習とされてき た。しかし近年、国際社会においては保健衛生や人権保護の観点からFGMの廃絶に向けた取り組みが盛んである。本報告では、そうした相反する価値規範が交 錯する状況下においてなお、儀礼的暴力の主体として生きるマサイ女性たちがどのようにこの状況と向き合っているのかを、女性たちの語りから考察することを 目指す。
2.    マサイ社会の構造とFGM
2-1. マサイ社会におけるFGM
マサイはケニア南部から北タンザニアにかけての比較的降雨に恵まれた地域に居住し、移動性の高い牧畜を営んできたマア語話者集団である。マサイの人々は、 性別と年齢に応じて各階梯を移行していく年齢体系という制度に従った一生を送る。各年齢階梯には固有の行動規範が定められており、社会成員が年齢体系に 従った一生を送るよう様々な文化装置が設けられている。この年齢階梯を移行する際に課されるのが通過儀礼である。FGMは、少女が成人女性の社会的地位へ 移行する際に課される成女儀礼(女性の成人儀礼)の中で執り行われる。マサイ社会では、FGMを受けていない女性が産んだ子どもは社会全体に不幸をもたら すと考えられており、FGMは女性の出産にまつわるけがれを払うために重要な慣習とされている。
2-2. マサイ社会の女性とジェンダー
 マサイ社会は、家父長的な性格が極めて強い社会である。年齢体系制度に基づく性別役割が明確であり、女性は公的・政治的な場に直接参加できない。女性は また、結婚前は父親の、結婚後は夫の財産であると見なされており、親および夫の財産相続権を持たない。ただし、実際に財産を運用しているのは妻である場合 も多い。近年は、女性組合を組織して互助講を運営することで、自ら所有・運用できる財産を創出しようと取り組む女性も増えている。また、家庭内労働のほと んどは女性が担う。成女儀礼や初産儀礼など、性と生殖にまつわる儀礼の執行も女性主体で行われ、男性はほとんど介入できない。
また、マサイ社会では家庭内暴力が頻発していることが、先行研究においても指摘されている(Hodgson 2001)。家庭内で妻がマサイ社会の規範に従わず誤った行動を取った際、夫が妻を「教育する」ために直接的暴力が行使される。しかし現地調査では、女性 が直接的暴力を受け入れざるを得ないほどの過失を夫が指摘できた事例は極めて少なかった。
2-3. マサイ社会の成女儀礼におけるFGM
成女儀礼の内容は地域や血縁集団(氏族)によって異なる部分はあるが、どの地域にも共通しているのはFGMを行い、施術後は少女を日常生活から隔離すると いう点である。少女は初潮をむかえ、第二次性徴が見られる年頃である13〜14歳頃になると、成女儀礼を受ける準備ができたとみなされる。儀礼の具体的な 時期は、少女の母親たちが相談して決める。その後、父親たちが儀礼にかかる費用を準備し、表1のような順序で成女儀礼が執り行われる。FGMの施術は熟練 した女性施術師が行う。
表1:成女儀礼のプロセス
段階    時期    内容
1    1日目    儀礼開始の合図
2        名前の付け替え
3        剃毛
4    2日目早朝    沐浴
5        FGM
6    2日目〜4か月    モラトリアム期間    小隔離:2週間
            大隔離:4か月間
7    4か月目    結婚式
出典:リード(1988)、Talle(1988)および聞き取り調査結果をもとに筆者作成
マサイ社会において成人女性になることは、結婚して母親になることと同義である。そのため成女儀礼では、母親になるために必要なことを学ぶよう仕向けられ る。成女儀礼の2日目から始まる段階6の隔離期間は、1ヵ月から3年までと個人差があるが、一般的な隔離期間は4か月間である。隔離期間中に少女は成人女 性と行動を共にし、様々な禁忌を守りながらマサイの成人女性として、母として生きる方法を学習する。また、両親を中心とする親族の間では、隔離期間中に婿 選びから少女を嫁がせる準備までが行われる。少女が学童である場合、学校の長期休業中に儀礼を執り行い、結婚することなく新学期または進学のために学校へ 戻ることで儀礼を終えている。
儀礼においてFGMは、女性のセクシュアリティの管理という役割を持っている。8名のマサイ男性に対してFGMに関する聞き取り調査を行ったところ、彼ら はクリトリス切除によって女性の性欲を管理する必要性を指摘した。マサイ男性の間では、夫が家を留守にすることが多い社会において、妻が他の男性と関係を 持たないよう管理する必要性が認識されている。
男性がクリトリス切除による性欲抑制を重視する一方、女性のFGM認識は若干異なる。ケニアの独立以前から続く伝統的なFGM施術では、クリトリスだけで なく外性器の大部分が、時に骨が露出するほど深く切除される。こうした施術内容は、施術師および施術の見届け人である既婚女性たちが儀礼の場で決定する。 男性が性欲抑制という観点からクリトリス切除を重視しているのに対し、女性は外性器の大部分切除という過酷な施術を求める傾向にあり、女性たちのセクシュ アリティは男性の認識とは異なると推測されることから、今後さらなる研究が必要である。それでもなお、FGMに女性のセクシュアリティ管理という役割を求 めている点は男女で共通している。また、初産儀礼の際に女性たちが産婦に対して歌いかける詩の中にも、女性の性欲を忌み嫌う表現が散見される (Kipury 1983)。これらのことから、マサイ社会において女性の性欲はけがれと結びついており、けがれを持った女性の産んだ子どもが社会全体に不幸をもたらすと 考えられていると言える。そのため、FGMによって性欲を抑制することでけがれを払う試みがなされていると理解できる。
2-4. 抵抗手段としてのFGM
マサイ社会では少女が成人するために重要な機能を与えられてきたFGMだが、その施術は心身に深刻な弊害を与えるため、古くは17世紀頃から西洋の宣教師 や医師によって非難されていた。20世紀初頭にケニアがイギリスの植民地になると、FGMは植民地政府によって規制された。FGMは女性主体で行われてき た慣習だったが、植民地期のFGM規制は植民地政府と現地の男性指導者の間で決定されたという点で異例であった。これに対してケニアの少女たちは、規制さ れた伝統的な方法でFGMを行うことで、儀礼を女性主体の営みとして取り戻したという記録が残されている(トーマス 1998)。
またマサイ社会に関する民族誌では、FGMが女性主体で強固に行われている理由として、女性がFGMによって性的主体性を抑制し、生殖機能を強調すること で母という女性の特権を主張し、従属的な社会的地位を回復しようと試みているという説明がなされている(Spencer 1988)。
これらの先行研究においては、FGMという儀礼的暴力を相対化し、主体性を表明する手段として戦略的に公使する女性の姿が描かれている。しかし、植民地支 配や家父長制による二重の抑圧に置かれたケニア女性が、政治的抑圧に抵抗するために儀礼的暴力を行使するほかないという構造的抑圧を指摘した研究は極めて 少ない。また、近年は国際社会や国家主導による大規模なFGM廃絶プロジェクトが展開されているため、FGMを取り巻く文脈が多元化している。そうした状 況を踏まえて、今日のマサイ女性たちの選択について明らかにする必要がある。
2-5. ケニアにおけるFGM廃絶運動と禁止法
 20世紀後半、「国連女性の10年」を皮切りに女性の人権が見直される中、FGMは国際社会が取り組むべき課題に位置付けられた。しかし多くの反FGM キャンペーンは、西洋近代的な人権概念を基礎として展開され、先述の民族社会独自の論理を全く無視したものであった。そのため反FGMの取り組みは、アフ リカをはじめFGMを慣習として行ってきた地域の人びとから、新植民地主義的介入であるとして批判された。その後、現地住民を巻き込んだFGM廃絶運動が 展開され、ケニアではマサイ女性主導のFGM廃絶NGOが組織されるに至り、2011年にFGM全面禁止法が施行された。こうしてマサイのFGMは、国際 的なFGM廃絶の圧力やFGM禁止法、そしてNGOや学校、教会による反FGMキャンペーンといったアクターの介入により、保健衛生、近代医療、西洋近代 的人権概念といった文脈が交錯する中に置かれることになった。
3.    マサイ女性の語り
3-1. マサイ女性のFGM経験
2012年12月から2014年9月にかけてケニア・リフトヴァレー州のマサイ集落において計8週間の現地調査を行った 。調査では、21名のマサイ女性に自身のFGM経験について語ってもらった。21名のマサイ女性が成女儀礼を迎えた年代は1959年から2013年までの 54年間にわたっている。女性たちのFGM経験は時代を追うごとに変化しているため、この54年間を特徴別に3分割して結果を見ていきたい。
第1世代【伝統的成女儀礼】(1959年〜1981年)
この世代に属する女性は、伝統的な成女儀礼の中でFGMを経験している。儀礼準備が整った後に親からFGMの日取りを知らされる場合が多く、少女の意思が 顧みられる余地はない。FGMは、外性器の大部分を時に骨が露出するほど深く切除するタイプの施術である。施術道具はブリキを石で研いだ刃物のために切れ 味が悪く、施術時に激痛を伴う。麻酔の使用はなく、施術後に木を煎じた薬で消毒するのみである。1〜3年と長期の隔離期間を経験している人も数名見られ た。

第2世代【移行期】(1982年〜2005年)
 この世代は、FGM経験に個人差が大きいという特徴がある。学校教育の普及により、儀礼の簡略化を経験している人もいる。FGMはクリトリス切除が中心 で、その他の外性器切除を経験していない人も多い。施術道具は剃刀またはメスに変わり、施術にかかる時間は短縮されている。施術前は麻酔を、施術後には消 毒薬を使った例や病院で施術を受けた例があった。18歳未満の子どもに対するFGM禁止法ができた2001年以降は、FGMの早期化が見られる。これは、 少女が教育を受けてFGM禁止法について理解する以前に施術を済ませてしまうという、一部の地域で始まった慣行である。この時期には自ら望んでFGMを受 けた人もいる。

第3世代【個別的選択】(2006年〜2013年)
 2006年以降になると、FGMを受けずに成人、結婚する人が現れる。ケニアではこの時期、政府やNGO等による活発なFGM廃絶運動が展開され、マサ イ居住地域にFGM禁止法や人権保護の概念が普及していったと考えられる。マサイの人々は、近代医療や西洋近代的な人権概念といった新たな文脈の中で FGMを認識する機会を得ることになった。FGM未経験者の中には、親との話し合いでFGMを回避した人、FGMを強制されて集落から逃げ出した人、親が FGMを受けさせなかった人など様々な人がいる。

3-2. ライフヒストリー
 マサイ女性のFGM経験は、外部社会との交渉の中で時代を追うごとに変化していることが明らかになった。特に第2世代以降の女性たちは、FGMを取り巻 く様々な文脈を参照しつつ自らFGMを受けるかどうかを選択するといった西洋近代的な自己決定を行っているように見える。しかしながら性器切除は取り返し のつかない一回性の経験であり、その傷は一生抱えていかなくてはならない。従って、女性たちがどのようなFGM経験やFGM選択をしたのかだけでなく、後 の人生においてFGM経験がどのように再認識されていくのかにまで目を向ける必要がある。
【FGM経験者】J氏(仮名)の語り(1994年に16歳でFGMを経験)
 当時はFGMを受けないと同年代の少女たちから排除され、成人女性たちからは罵られ、コミュニティ内で一人前として扱われないという雰囲気があったた め、FGMを受けるしかなかった。FGMを受ける以前、地元のNGOによるFGM啓発セミナーに参加していた。FGMが悪いものであるという情報を得たに も関わらずFGMを受けさせられたことで、施術を強要した母親に対して不信感を抱いた。FGMを受けたことでコミュニティの女性たちからは受け入れられた が、FGMの弊害について知った現在、出産時にどのような弊害が待ち受けているか恐ろしい。将来自分に娘が生まれたとしてもFGMを受けさせたくない。
⇒FGMを受けてコミュニティから認められたが、出産時の弊害について不安を抱えている。

【FGM未経験者】P氏(仮名)の語り(2006年に14歳でFGMを強制されるも拒絶、逃亡)
 小学校でFGMの啓発教育を受けた際、FGMは悪い慣習だと考えた。14歳の時、兄の割礼と同時に自分も儀礼に参加することが決められていた。切除され たくなかったが、FGMを拒絶すればコミュニティから排除されることがわかっていたので家出することに決めた。現在はNGOに保護されて学校教育も受けて おり、FGMを受けなかったという選択自体は後悔していない。しかし、儀礼の日に家出して以来何年も家族と会っていない。
⇒FGMを受けないという自己決定を実現させたが、コミュニティに戻れないという大きな制約を負っている。
4.    まとめ
FGMが国際社会全体の関心事とされて以降、マサイのFGMを取り巻く状況は大きく変化してきた。現地調査では、外部社会の圧力に影響されて、マサイ女性 たちのFGM経験も変化していることが明らかになった。また、様々な文脈を取捨選択しながらFGMを経験した人も、民族社会において結婚、出産、子育てな どを経験する中でFGMに対する認識を変化させていることもわかった。先行研究においては、植民地支配や家父長制への対抗手段としてFGMを主体的に行う 女性の姿が集団として描かれてきた。しかし、グローバルな言説が少数民族社会に直接的な影響を与える現代においては、FGMをめぐる様々な文脈の狭間で葛 藤しながら生きる個々人の経験そのものが、マサイ女性の主体性であり、抵抗であると言えるのではないだろうか。こうした女性たちの経験を抵抗と捉え、さら に研究していく必要があるだろう。また、こうしたマサイ女性たちの経験は、西洋近代的な人権概念が、アフリカという世界の周縁社会で生きる人びとにとって も普遍的足り得るかを考察する機会を提供してくれている。
参考文献
トーマス, リン・M(1998)「帝国の関心と『女性の問題』―ケニア・メル県におけるクリトリス切除統制と中    絶廃絶にむけての国家の試み」(富永智津子訳)Journal of African History. 39:121-145.
リード, デービット(1988)『マサイ族の少年と遊んだ日々』(寺田鴻訳)東京:どうぶつ社.
Hodgson, Dorothy・L. (2001)Once Intrepid Warriors: Gender, Ethnicity, and the Cultural Politics of Maasai     Development. Bloomington: IndianaUniversityPress.
Kipury Naomi.(1983)Oral Literature of the Maasai. Nairobi : General Printers Ltd.
Spencer, Paul.(1988)The Maasai of Matapato-A study of Rituals of Rebellion. Manchester :Manchester     University Press.
Talle, Aud.(1988)Women at a Loss : Changes in Maasai Pastoralism and their Effects on Gender Relations.     Stockholm : University of Stockholm.