⑮平和と芸術 : 2008年度春季研究大会

報告:和泉将朗(杉並芸術会館(座・高円寺)準備室、元地人会『この子たちの夏』制作担当)「誰が、どのように、語り継いでいくのか:演劇と劇場の現場から」

報告:淵ノ上英樹(立命館アジア太平洋大学)「嫌悪の象徴とならないために:アルメニア虐殺博物館の課題」


 和泉将朗氏は、演劇人として、劇場という現場からの報告を行った。2007年末、演劇活動に終止符を打った演劇制作体地人会が、1985年から毎年夏に制作してきた朗読劇『この子たちの夏 ヒロシマナガサキ1945』の事例を通して、「記録」と「記憶」の関係について考えるきっかけを与えてくれた。『この子たちの夏』は、被爆により亡くなった人々、生き残りながらも肉親を亡くした家族たちが残した手記、短歌、俳句、詩歌などを、地人会代表であった木村光一氏が構成演出した1時間30分の朗読劇である。また、プロの女優が読む公演とは別に、自主上演という、台本・効果音・スライドを実費で貸し出し、一般の人たちが朗読するという形も試みられてきた。戦争という被害にあい、苦しむ人々の気持ちをより伝えるのは、死体の周りで涙を流す人たちの姿ではないだろうかと和泉氏は言う。原爆に置き換えて言えば、熱線・爆風の衝撃は伝えようにも伝えきれないが、「肉親を亡くした人が、その時どういう心境であったのかならば伝えられるのではないか」とは構成・演出者の木村光一氏の言葉である。「語り継ぐ」という行為の中で常に考えなければいけない問題のひとつとして課題となったのは、戦争・被爆を体験していない者が他者(被爆した人)の言葉で原爆を伝える時、記録である言葉をどうやって選び使うのかについてである。和泉氏は、語る人自身の言葉で語るということにこだわりたいという。つまり、伝えてきた手段と、伝えてきた人の言葉も「記録」することが、必要な時期に来ているようである。

 淵ノ上英樹氏は、アルメニア虐殺博物館という施設が平和に資しているのかという問題を解くために、20079月と11月、アルメニアの首都エレバンでインタビューを行った内容を分析、報告した。内容は、アルメニアの人々が、①現在のトルコ人についてどう思っているか、②未来世代に嫌悪感を植え付けることが好ましいことだと思うか、の以上2点である。結果としては、偏見に基づく現在のトルコ人に対しての激しい嫌悪感が明らかになったという。しかし、アルメニアの人々の中でも、これらのことを未来世代に伝えるべきかについては意見が割れたという。このような嫌悪感がいかに醸成されたかについては、424日(虐殺記念日)のテレビ番組などが原因であることが明らかになったが、その象徴的存在としての博物館の位置づけも明らかになった。例えば、女性への性的暴力を描写した美術品が主展示になり、虐殺事実をトルコに認めてもらうための客観性が歪められている。こうした展示によって過剰な嫌悪感と偏見が醸成されている可能性があり、平和に資していないのではないかと結論付けられた。

 2人の報告者の話を聞きながら、芸術と平和・暴力の関係について改めて考えさせられた。芸術によって暴力後の平和創造が可能になるとするならば、それにはどのような条件が必要なのであろうか。今回は朗読劇の試みを通してその可能性を模索することとなった。また、アルメニアの博物館の例からは、暴力後の「和解」のためではなく、その後の社会システムや政治情勢によって制限が多い状況下において、「正義」がなされない場合、芸術が人々の中にある偏見や憎悪を肥大させ、人々の間の溝をさらに深くしていくことに加担しているとしたら、そういう問題に対してわれわれはどう働きかけたらいいのだろうか。今後も当分科会においては、そういった根源的な芸術と平和の問題を一緒に考えていきたいと願っている。