⑮平和と芸術 : 2007年度秋季研究集会

テーマ:「韓日を映画と対話でつなぐ:済州島円卓シネマの試み」

1部(9:0011:30

映画『あんにょん・サヨナラ』(107分)上映


2部(11:4013:10

『あんにょん・サヨナラ』の円卓討論

ファシリテーター:伊藤哲司(茨城大学)

パネラー:ハ・ユンヒ(ソウル市立大学・学生)

まとめ: 伊藤武彦(和光大学)

通訳:天野陽子(済州大学)


* 「平和教育」「非暴力」「平和と芸術」合同企画


 ひとつの映画を鑑賞し、それを巡って、社会的・文化的背景が異なる人同士の対話を行う「円卓シネマ」の試みを、初めて韓国で行われた日本平和学会の場で行った。取り上げた映画は、日韓共同制作のドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」(2005年)。お父さんを日本兵として徴用され、中国で戦死したそのお父さんが靖国神社に「神」として祀られていることを知った主人公の韓国人女性(イ・ヒジャさん)が、その合祀の取り消しを求めて闘っていく様子が描かれた映画。その中でヒジャさんを支援する日本人たちとの交流の様子も映し出され、日本人・韓国人の枠組みを超えた繋がりがどのように可能なのかなどについて考えさせられる内容である。

 当日、映画を鑑賞したのは約20人、討論にも参加したのは10数人であった。学会のメインの会場からやや離れた建物で行われたことも影響してか、人数はやや少なめで、とくに韓国人の参加者が多いとは言えない状況であった。しかし、この企画のためにソウルから招聘したソウル市立大学の若い韓国人学生(ハ・ユンヒさん:彼女は、平和学会とは別企画のソウル円卓シネマ(20073月)にも参加)と、済州大学の卒業生の韓国人男性(30歳代前半)が討論に加わり、短い時間ながら、通訳を交えての熱いディスカッションが展開された。日本人参加者には、平和学を学び始めたばかりの若い学生から、平和学に長年取り組んでこられた年配の方までいて、世代をまたいでいくつもの意見が交わされた。

 討論の中では、合祀取り消しについてのヒジャさんの要望がどうして受け入れられないのかが話題になり、その問題に詳しい日本人参加者から、「宗教には教義がある。でも神道には教義がない。だから「取り消せない」というのはないはず」という指摘がなされた。また、なぜ靖国神社に強く心を寄せる人たちがいるのかということに関連して、徴兵や志願兵の研究もしているという参加者から、「防衛庁の図書館や靖国の資料館をよく利用する。2つの資料館の雰囲気が違う。防衛庁は軍隊組織であり官僚組織。「利用させてやる」というかんじ、サービスが悪い。靖国はとても親切。中に入っている人にはとても優しく、とても居心地のいい場所」であるという意見が出され、そうした点までは知らなかった様子のユンヒさんは、熱心にメモをとっていた。

 さらに話は平和教育に及び、「1990年年代半ばころから、多くの日本人がナショナリズムに傾いていった。自分の支えとなるものが見つからなくなった。そういう状況で、戦前を知らない若者が、国家が自分たちを支えてくれるという幻想を持ったのだと思う。若者たちを受けとめてくれる学校教育がなかったと思う。日本の平和教育の大きな弱点だったと思っている」といった意見が出された。併せて、靖国神社に心を寄せる人たちがなぜそのように感じるのかについても「想像力」や「共感」を働かせる必要があるといった指摘もなされた。

 ユンヒさんは、「視野を広げる努力が必要。韓国人だけで議論をしていてはいけない。このような学会の意味は深い。国家という枠を越えて、個人と個人が出会って問題を解決していくのは大事。靖国の問題を解決してほしいというのは、現実にはちょっと難しい。考え方がまったく違うという中では。もう少し根本的な部分での解決が必要ではないか。そのためには時間がかかる。未来の問題にしようというのではなく、持続的にこの問題を取り上げていくことが必要ではないか」と話し、このテーマについての対話継続への見通しを共有することができた。

 円卓シネマについては、『アジア映画をアジアの人々と愉しむ:円卓シネマが紡ぎだす新しい対話の世界』(山本登志哉・伊藤哲司編著、北大路書房、2005年)という本がすでに出版されており(そこで取り上げられている映画は日韓中越の「Shall we ダンス?」「友へ チング」「あの子を探して」「ニャム」)、また来年(2008年)には同じく山本・伊藤の編集による「あんにょん・サヨナラ」「東京物語」「風の丘を越えて」を取り上げた日韓同時出版の本が企画されている。このような取り組みは、社会・文化的背景が異なる人が集える少しばかりの時間があれば身近な場所でも可能であり、この後もその試みが広がっていくことが期待されると言えよう。