分科会「グローバルヒバクシャ」(高橋博子・竹峰誠一郎)
・研究報告 濱谷正晴(『原爆体験』の著者)
「原爆体験--その全体像をもとめて」
・実践報告 西岡由香(漫画家、長崎大学等非常勤)
「漫画による被爆体験の継承--『8月9日のサンタクロース』を出版して」
・討論 桐谷多恵子(広島市立大学)
・司会 竹峰誠一郎(三重大学研究員)
分科会「グローバルヒバクシャ」は「ヒロシマ・ナガサキの探求」と題し広島・長崎の原爆被害に光をあてた。「何をいまさら」「もうわかっているではないか」そう思われる方もいるかもしれない。
しかし濱谷正晴氏は、「何が原爆被害か必ずしも自明なことではない」、「核兵器問題に取り組んだ人は数多くいるが、被爆者問題に取り組んできた人はそうはいない。10本の指に入るほどだ」と先ず指摘し報告にはいった。
濱谷氏は、石田忠氏の研究を引き継ぎ原爆被害調査を社会学の見地から34年にわたり、まさにライフワークとしてきた取り組んできた方である。冒頭の指摘は、平和学の課題としても重く受け止めるべきだろう。
この春一橋大学を退官された濱谷氏は、原爆被害の全体像にどう迫っていったのか、石田ゼミから濱谷ゼミへと引き継がれてきた一橋大学社会調査室の被爆者調査の歩みにもふれながら報告いただいた。
原爆の問題をどうとらえるのか。「常に人間を否定する力としてのみ働く原爆と、それを抗って生きていこうとする人間と、その二つの力のつばぜり合いとして」被爆者の姿をとらえる。原爆に人間を対置する石田忠氏が確立した<原爆と人間><人間と原爆>の視点から濱谷氏は、原爆問題をとらえていった。
死と生の二つの側面を念頭に置き、一人一人の体験の先に、性・年齢・職業といった属性を超えた原爆像を築き上げていく。1万人余の証言と向き合い、多くに共通して現れる<心の傷><体の傷><不安>の三つの要素に着目し、原爆が人間にもたらしたのか、苦悩としての原爆被害を統計的手法で読み解いていった。
そのうえで人間が原爆にどう立ち向かっていったのかという視点から原爆体験をさらに読み解き、「原爆体験が問いを投げかけ、その人を突き動かしている」軌跡をとらえていった。「<原爆体験>がつらく重かった人、なかでも、<生きる意欲>を奪われるような体験をもった人ほど、<反原爆>に生きる支えを見出し、被爆者として<生きる意味>を確立できている」傾向があることを濱谷氏はつかんでいった。
「原爆被害の全体像は今なお私たちの目の前にある未完の課題である」、「原爆で生き残った人の深い心の傷をどう位置づけていのか、今とりわけ求められているのではないのか」と、今後の研究に向けた課題の提起が、最後に濱谷氏からなされた。
後半は、長崎原爆をテーマにした漫画を発表している長崎在住の西岡由香氏から、「漫画による被爆体験の継承--『8月9日のサンタクロース』を出版して」と題した実践報告をいただいた。
漫画と言えば恋愛もので、平和と結びついていなかった西岡氏が、ナガサキをテーマにした漫画を書くようになったいきさつが、まず語られた。阪神大震災のボランティアで漫画がもつ力を知り、ピースボートの乗船で、「怖いおじさんたちがデモをしている」平和活動のイメージが変わり、パレスチナに行き「爆弾を落とされる人と一緒にいたい」と思いを育み、これらが重なり、長崎で被爆者の家を訪ね、話を聞くようになった。
しかし「原爆なんか、私に書けることなんかではない」、「被爆体験がないわたしが原爆を書いていいのか」など壁にぶつかったと言う。そんなとき、「僕たちの経験をした1万分の1でも書いてください、そうでないとゼロなんですよ」、「漫画でないと受け止められない世代もいるんじゃないですか」、「被爆者によりそって、被爆者から聞いた体験を自らの心に沈澱させることを心に被爆した」と言うのですよなど、被爆者やその親族が後押ししてくれた。
それでも被爆者の話を聞いて、表現にはなかなかつながらなかった。「原爆を知らない」渋谷を歩く若者に伝わる何かを描くにはどうすればいいのか、葛藤した末、1945年ではなく、現代の女の子を主人公にすればいいんだとひらめいた。
一作目の『夏の残像』の主人公カナは自分自身が原爆と対峙し、悩んだ姿を主人公に投影したと言う。しかし「原爆は巨大な多面体のもので、一作で原爆で書き尽くすなんてできない」と、二作目に取り組んだ。
一作目の反響で「この漫画は怖くないんですね」と言われた。「これだったら子どもに読ませられる」と買ってくれた人もいた。「原爆が怖いでシャットアウトしている人がいる」、長崎では「正直平和教育にへきへきしている人もいる」。そんな人に新しい原爆像、新しい被爆者像を示したかった。
第二作の「サンタクロース」は被爆者のことです。被爆者はサンタクロースなんだ、つらい体験をもちながらも、その体験をもう誰のものにも落とさせないという思いで、語り続けてくれるサンタクロースなのだ。原爆というのが怖いという壁を取り払い、原爆について知りたいと若い人が思ってもらえるようになればと思った。
継承とは「人と人が同じ思いで結ばれるときになされること」だと西岡氏は指摘した。「被爆者の話を聞いたとき、そこに何か電極のプラスとマイナスがむすびついたときに、漫画や音楽などの何か表現が生まれる。被爆者の話が電極のプラスだとすると、受け止める側にも何かマイナスがないといけない。被爆者とつながる何かがないといけない」と、西岡氏は言う。
報告に続いてヒロシマ・ナガサキをテーマにしている桐谷多恵子氏が、自身の研究や体験を踏まえ質問を投げかけた。濱谷氏からは、プロセスとして原爆体験をとらえていく重要性が語られ、西岡氏からは、継承に向けて「多人数と被爆者ではなく、一対一で肉体感覚でつながることが大切、一緒に飲むのが一番」といった返答がなされた。また長崎原爆で「浦上という地域をどう位置づけるのか」の議論が、西岡氏と交わされた。
最後に会場の参加者を交え、ヒロシマ・ナガサキの「特殊性と普遍性」をめぐる議論に最後は展開した。濱谷氏からは、「特殊性と言えば、他と違うところに目が行きがちだがそれだけでいいのか」、「特殊性と普遍性の両面を見ていく必要がある」としたうえで、「今求められるのは、他の戦争との共通性と普遍性を見つめていくことが求められているのではないのか」との発言がなされた。
質疑にうながされ濱谷氏からは、1万件以上の原爆証言のアーカイブ化にとりくんでいく、静かなる闘志が語られた。また西岡氏からは、「これまでの2冊は原爆は書いたけど、人間が書きこめていなかった。どういう手法で書くのかは今後の課題であるが、次作では人間をしっかり描いていきたい」との次作にむけた意気込みが聞かれた。
終了後も教室には様々な輪ができ、議論はしばらく続いた。お二人の熱のこもった報告に、討論者や参加者の熱心な質疑が重なり、ヒロシマ・ナサガキを今後どう探求し、受け継いでいくのか、様々なヒントがあふれ、活力ある分科会になったと言えよう。
(文責:竹峰誠一郎)