司会:竹峰誠一郎(早稲田大学・院生)
報告:成田雅美(一橋大学・院生)「ラッセルにみる平和思想:核問題を中心にして」
特別報告:小沼通二(元パグウォッシュ会議評議員)「パグウォッシュ会議創設50 年によせて」
討論:北村治([財]政治経済研究所)
分科会グローバルヒバクシャは、パグウォッシュ会議創設50年をテーマに開催した。はじめに成田氏から発表がなされた。
成田報告は、「最も熱心に核問題に取り組んだ哲学者」といえるラッセルの核問題に対する行動の源泉を探ろうとするものであった。ラッセルは当初核抑止論者であったし、戦争に対する態度も紆余曲折したことを指摘し、倫理的意識の高さやヒューマニズムといった、人道的観点からラッセルの平和思想を捉えることに成田氏は疑義を提起した。その上で、科学に対する意識の強さや鋭さが、ラッセルの平和思想の源泉になっていると結論づけた。
討論にたった北村氏からは、科学を軸にラッセルの平和思想を捉え直す興味深い発表であったと評価しながらも、キューバ危機の時の行動や第一次世界大戦の反戦の動機などに触れながら、ヒューマニズムや熱いハートがやはりラッセルの平和思想をみていく上では、欠かせないのではないかとの指摘がなされた。
続いて小沼氏から、パグウォッシュの原点や半世紀の歩み、さらには現状に到るまで縦横に、熱のこもった特別報告がなされた。ラッセル・アインシュタイン宣言ができる経過では、同宣言を起草したのはラッセルであり、ラッセルとアインシュタインが出会ったのは1954年4月、BBCテレビの「ビキニ事件の影響」と題した番組であったことが指摘された。
また湯川が同宣言に名を連ねたのは二説あると紹介された。一説は本人が小沼氏に生前語ったもので、ビキニ事件後に新聞に発表した原子力は人類の敵であるとの論考が、ラッセルらの目に留まったからではないかという説である。もう一つは、パグウォッシュ会議の中で言われていることで、湯川と物理学者のボルンの間で書簡の往復がなされ、核武装に反対する宣言も準備されており、ボルンがラッセルに知らせたとの説である。
また最後に、パグウォッシュ会議は、核兵器の危険性、放射線の影響、科学者の社会的責任をテーマにスタートしたが、その後、討議の課題は広がる傾向にあるが、やはり核兵器を中心とした課題にしぼるべきではないかとの小沼氏の見解も示された。
参加者からは「今、改めてラッセルと彼の思想の方法、パグウォッシュ会議の意義に光を当てるという企画趣旨そのものが大変印象深いものであった」との感想が寄せられた。
分科会グローバルヒバクシャの母体となっているグローバルヒバクシャ研究会では、8 月6 日広島平和研究所で50 人規模の研究会を行った。紙幅が限られているため同研究会の報告は、次回にまわさせていただく。(竹峰誠一郎)