⑭グローバルヒバクシャ : 2005年度秋季研究集会

司会:田部知江子(弁護士)

報告:桐谷多恵子(法政大・院生)「戦後広島の『復興』と被爆者の『原風景』」

報告:竹峰誠一郎(早稲田大・院生)「塗りかえられるビキニ水爆被災像:放射性降下物の飛散に着目して」

討論:直野章子(九州大学)

討論:ロニー・アレキサンダー(神戸大学)


 まず桐谷多恵子会員が、被爆地広島の「復興」のあり方を問う発表をおこなった。桐谷会員は、広島に原爆が投下された翌年の1946年から50年の5年間に時期をしぼり、「復興」に対して違和感をいだいた被爆者の心象を抽出し、「復興」のはらむ問題をうきぼりにした。

 「復興」にたいして、桐谷会員は「弔いと援護を忘れた復興」であり、広島平和記念都市建設法は「大広島の建設で、被爆者が生きてきた生活を取り戻すものではなかった」と指摘した。46年から86諸行事が復興祭・平和祭として開催され、地元紙は「廣島復興祭、最高潮へ」などと報じたが、桐谷会員は「被爆者を対象としたものではなかった」と指摘した。具体的には、被爆者の声は地元紙にすら紹介されず、諸行事の存在すら被爆者に広く知られていなかったことをあげた。49年になって、地元紙に被爆者の違和感が取り上げられるなど、僅かながらも86行事が被爆者の思いをくんだものへと変化する芽生えがあったが、翌50年に86行事すべてが禁止されたことも紹介された。

 これらの歴史的背景として、アメリカの占領政策と東西冷戦にも言及されるなど、当時の広島市、日本、国際関係の諸状況を踏まえながら、戦後広島の「復興」と被爆者との緊張関係を検討することも試みられた。

 続いて竹峰誠一郎会員が、第五福竜丸も被災した195431日の米水爆実験「ブラボー」など、マーシャル諸島で67回に及んだ米核実験の被災問題をとりあげた。ヒバク証言と米公文書を駆使し、同核実験による放射性降下物の飛散問題を検証し、新たなビキニ水爆被災像を提起する内容であった。

 竹峰会員は、マーシャル諸島において、米国が被災圏外とし、またこれまでほとんど注目されてこなかった地域にも、放射性降下物による被災が及んでいたことを指摘した。さらに米国はその被災を当初から認識しながら隠蔽したことを示し、米国による被災範囲の線引きの問題性を浮き彫りにした。

 竹峰会員は、米核実験が引き起こした地球規模の放射性降下物の飛散問題にもふれた。1954年当時すでに米国は、放射性降下物の飛散は地球規模に及ぶことを認識し、世界各地に放射性降下物の飛散観測網を構築し、さらにストロンチウム90による被曝影響調査を実行していたことを指摘した。そのなかで、広島・長崎を含む日本にも観測地がおかれ、影響調査のためABCC(原爆傷害調査委員会)などの研究者も協力し、日本からも人骨の提供がおこなわれていたことを紹介した。

 以上の竹峰報告は、米政府が認定した被災範囲を超えた射程から、ビキニ水爆被災をとらえる必要性を浮き彫りにするとともに、第五福竜丸など邦人の被災にとどまらない、「ビキニ」と日本の接点を示唆するものであった。

 これらの報告を受け、直野章子(九州大学)、ロニー・アレキサンダー(神戸大学)両会員よりコメントがなされた。直野会員は、桐谷報告に対し、何をもって被爆者の心象とするのか、被爆者の沈黙をどう位置づけるのか、話されたものは文字どおりとってもよいのかなどと問うた。また竹峰報告で言及された「ヒバク・ナショナリズム」について、それは被爆者の語りが生み出したものなのか、あるいは他のものなのかとも問うた。

 アレキサンダー会員は、「ヒバク・ナショナリズム」には、①日本は、唯一の被爆国である、②被爆問題について一番語れるのは日本である、③被爆体験について語るのは広島・長崎が一番である、という3つの側面があろうが、他方で日本政府の態度は「被爆国であっても反核国とはいえず」ナショナルなものにもなっていない側面をどう考えるのかと問うた。また原爆投下後も核政策推進のため事実の隠蔽を行うアメリカの態度のその先にあるものをさらに追及すべきとも指摘し、フロアーからは米政府の国家権力を問題にすべきとの視点が示された。

 直野・アレキサンダー両会員から共に鋭くも暖かいコメントがよせられ、その後フロアーを加えた質疑も、若い世代の桐谷・竹峰両会員に対し、今後のさらなる前進を熱く期待するものであった。(竹峰誠一郎)