司会:鴫原敦子(東北大国際文化研究科元助手)
報告:中野佳裕(国際基督教大社会科学研究所研究員)「ポスト開発思想における政治と倫理の関係」
討論:戸崎純(首都大学東京オープンユニバーシティ)
中野会員からは、欧米の開発学分野で議論されているポスト開発思想における政治と倫理の関係について、フランスのセルジュ・ラトゥーシュのポスト開発思想を中心とした報告がなされた。従来の開発学が「政治」という名において政策運営や統治の力学を考察することを主眼にしてきたのに対し、ポスト開発思想は近代の開発・発展パラダイムを超克する新しい社会を構築することをテーマとしており、「政治」という名で「社会秩序の根本的な転換」を意味する。フランスの政治哲学者クロード・ルフォールの区別に従えば、開発学は〈政治〉(la politique)を、ポスト開発思想は〈政治的なるもの〉(le politique)について考察しているという。こうしたポスト開発思想は、西洋近代の開発パラダイム、とくに西洋の経済的思考による人間生活の合理化・全体化を克服することを目指すが、しかしそのためには、開発・発展パラダイムを超えた社会が再び経済全体主義に回収されないようにつとめなければならない。ラトゥーシュは、西洋の経済的思考に支配されない社会的実践および原理を、西アフリカのインフォーマル領域に見出しているという。ラトゥーシュによれば、インフォーマル領域で行われている贈与の論理や補完通貨実践は、国際開発機関が定義するような「経済発展・近代化に補完的な闇経済部門」としてよりも、むしろ「西洋の経済的思考が与える現実認識の外部性」として考えられており、西洋の経済認識に還元されないインフォーマル領域のこのような単独性(singularity)は「ポスト開発の状況」と名付けられる。報告者からはレヴィナスの倫理学を応用しながら、ラトゥーシュの思想がインフォーマル領域を経済認識の全体性を超えた〈他者〉として捉え直し、そのような西洋経済の外部性に対して先進工業国や国際開発体制が応答責任(response-ability)を実行することを喚起しているとの指摘がなされた。ラトゥーシュの思想は、開発プロジェクトの論理的限界を示そうとしているもので、むしろ先進工業国や国際開発体制が自らの開発・発展主義を「自主規制」し、インフォーマル領域の自律性を維持させることこそが国際関係の正義につながると主張する。以上の考察より報告者からは、ポスト開発社会が、西洋の開発パラダイムや経済的思考の〈他者〉に対して常に応答責任を発揮する形で創造される必要があることが指摘され、こうすることで経済的思考による社会的現実の全体化を防ぐような多元主義的な世界を目指すことがポスト開発思想の倫理であると結論づけられた。
この報告に対して討論者からは、①新従属学派は「低開発の開発」によって「離脱」を提起したが、ラトゥーシュがいう「インフォーマル領域の自律性」はどう理解すればいいのか。②ラトゥーシュのいう「収縮(脱成長)社会」とは、「マイナス成長社会」ではなく、先進国はA・A・LA諸国から手を引けという主張なのか。③「持続可能性」についてはどのように捉えているのか。などの質問がなされた。
これに対して報告者からは、①従属学派においてインフォーマル領域は、資本主義が生み出す南北格差の底辺に組み込まれる傾向があるが、認識論レベルにおいて、ラトゥーシュはこのような従属構造にインフォーマル領域を位置づけること自体を否定しており、インフォーマル領域は元より独自の自己組織化の論理を有していると考えている。ただし今日の経済グローバル化と開発主義の影響で、インフォーマル領域においても市場経済化の圧力が浸透していることは認識しており、インフォーマル領域が常にグローバル経済から相対的に自律性を保つような戦略が必要であると考えている。②ラトゥーシュが提唱するdécroissanceとは、単に成長の速度を緩める/定常型社会を目指す(=ラトゥーシュによれば、依然として経済学の認識論を維持している)というものではなく、「経済成長神話それ自体から解放された社会を目指す」というパラダイム転換を意味するものであり、そのためには先進工業国自体が経済成長神話から解放された社会に転換すること、経済成長を目的としない形で先進国と途上国との間に互酬的な関係を構築すること、が必要となる。③ラトゥーシュは、持続可能性概念自体は評価するが、「持続可能な発展」概念のように国際開発体制において経済成長論理に取り込まれる危険があるので、全面的に押し出すことはしていない。近年のラトゥーシュは、アイルランド/英国で実験されているトランジション・タウン運動の理論的支柱となっている生態学用語の「レジリエンス」(resilience)概念を、ローカルな文脈に根差した脱成長社会プロジェクトに適う概念であるとして支持している。などの回答がなされた。
会場からは、ポスト開発思想家の中でのオリジナリティはどこにあるのか、世界システム論をどう捉えているのか、歴史的動態としての開発をどう捉えているのか等の質問がなされ、適宜回答がなされた。(鴫原敦子)