④植民地主義と平和 : 2008年度秋季研究集会

テーマ「G8サミットからCOP10(生物多様性条約締結国会議)へ向けて」

報告 武者小路公秀(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)

「生物多様性条約の育ち方と育て方:市民と国連の協力の40年」

 越田清和(さっぽろ自由学校「遊」)

「サミット対抗運動とグローバル・ローカルをつなぐアプローチ」

討論者 大橋正明(恵泉女学園大学・国際協力NGOセンター)

司会:越田清和(さっぽろ自由学校「遊」)


 この分科会の目的は、20087月に行われた洞爺湖G8サミットに向けて行われた多くの市民やNGOなどの行動と、2010年に名古屋で行われる「生物多様性条約締結国会議」(COP10)へ向けての市民の取り組みをつなげて考え、グローバルな市民の動きがめざすべき方向を議論することにあった。

 越田清和は、G8サミットに向けた市民やNGO、社会運動の動きを「対抗運動」と規定し、運動のスタイルやサミットに対するスタンスに違いはあったが、そこには、1)G8サミットには正統性がない、2)新自由主義的グローバリゼーションに対する根底的な批判、という共通認識があったと述べた。とくに、開催地となった北海道でつくられた「G8サミット市民フォーラム北海道」は「北海道(アイヌモシリ)の問題をグローバルな視点で考える」ことを基本にし、1)アイヌ民族の先住権、2)夕張市などの財政破綻と「途上国」の債務問題、3)北海道の軍事化、4)農業の可能性、などの問題について議論し、政策提言をまとめていった。それは、自分たちの住んでいる地域の歴史をもう一度見つめなおし、植民地主義について考えることにつながっていった。言葉にすると当たり前のようだが、これは発見のプロセスでもあった。したがって「アイヌモシリ(人間の住む静かな大地)をつくる」ことが、これからの運動の基調となる。それは、1999年のシアトルでのWTO閣僚会議を中止に追い込んだたたかいから10年にわたって広がってきた「グローバル・ジャスティス・ムーブメント」を地域に根差したものに変えていく新しい展開ともいえる。その基調となるのは、「自然の一部としての人間」という先住民族に共通する思想と食糧主権と地域の再建をめざす世界の農民運動の考えではないか、と述べた。

 武者小路公秀さんは、「生物多様性」は、正確には「生命の多様性」と訳されるべきであり、そこには文化や暮らしの多様性という人間社会の多様性も当然含まれることを強調し、オルタナティブ(じゃなか娑婆)とは何かという根源的な問いを含む報告をした。

「生物多様性条約」が生まれるきっかけとなった1972年の国連人間環境会議は、環境問題に対する世界的な関心を高めた。また国連会議と並行してNGOフォーラムも開かれ、そこには日本から水俣病の患者さんたちも参加し、水俣病が世界にしられるきっかけとなった。国連と市民の協力の一つの成果である。国連人間環境会議のもう一つの大きな意義は「エコ・ディベロップメント(エコ開発)」という考え方を打ち出したことだ。この考えは、開発のあり方そのものを問いなおすオルタナティブな発想だった。この考えの背景には。「解放の神学」を背景にした「南」のキリスト者の開発観(解放としての開発)があった。人間の解放と環境保護を切り離して考えることができないという主張である。

 ところがこの主張は、その後「持続可能な開発」という現状の開発を持続させることを前提にした考えに取って代わられるようになった。名古屋で開かれるCOP10を、もう一度「エコ開発」の理念(生命・生活の多様性、ローカルの重視など)を主張する場にしてはどうか。それが、生命の商品化や先住民族の居住圏破壊、生命系の投機的選別化など、賭博場経済によってつくられた危機を克服することにもつながる。またアジアと西欧をつなぐ生命観とは何かを考える機会にもなるだろう。

 この二つの報告に対して、大橋正明さんは2008G8サミットNGOフォーラムの運営に関わった経験から、名古屋を中心とする開催地の市民がNGOフォーラムのようなものを準備する際に考えるべき点(結集軸をどうするか、運営メカニズムの透明化、資金、対外関係など)を指摘した。

 参加者を交えた議論は、武者小路報告が述べる「アジアと西洋をつなぐ」論理への疑問、名古屋で進んでいるNGOフォーラム的な動き、オルタナティブを考える時に「賭博場経済」がなくなった「健全な資本主義」だけでいいのか、など大きく広がった。

 ローカルな市民の運動と「グローバル市民社会」やグローバル・ジャスティス・ムーブメントがどう重なっていくのか、その動きがめざす社会や運動の思想とは何か、などについて議論できなかったが、そのきっかけとなる論点が出された分科会だった。これからも、ローカルな市民・民衆の動きとグローバルな運動をつなげて考えるような分科会にしていきたい。(越田清和)