話題提供者:
宿谷晃弘「修復的正義と芸術(俳句作り)の文法」
李在永「韓国からの呼びかけ:NARPI(東北アジア地域平和構築インスティテュート)始動にご参加ください!」
話題導入者・ファシリテーター:奥本京子
今回の分科会は、2時間全体のテーマを「平和創造・平和構築の各現場で、非暴力手段によって介入・調停する場面で、芸術がいかに意味を持ちうるか」とし、サブテーマを「上記に関心のある個人が緩やかにつながるための場作りのアプローチ」と設定してみた。形式としては、ワークショップ形式を目指し、和気あいあいとした雰囲気のなかで、内容もさることながらネットワーキングをと目論んだのであった。
基本線としては、非暴力手段により「現場」に「介入」するということを、様々な視点から考えてみたいということであった。その中でも、修復的正義(Restorative Justice)、紛争転換、直接介入活動などの手法を通して、どのようにグループ・個人が連携していけるか模索するきっかけにしたいと考えた。また、その際、「芸術」の要素を取り入れることが、新しい回路創造につながるとし、RJの研究者であり、俳人でもある宿谷氏と、たまたま韓国より来日中の李氏による東北アジアにおける平和トレーニングセンター企画について話してもらった。なお、李氏はソウルを中心にRJを実践している。
宿谷氏の報告は、平和という特定の政治的テーマと、個々の表現形式の間に存在する緊張関係に焦点を当てつつ、平和をテーマとする芸術や理論および運動が有してきた、ある種の閉鎖性の源泉について、理論的な考察のための素材の提供を試みることを目指すものであった。このような目的を遂行するために、その検討材料として、俳句および桑原武夫による俳句批判(第二芸術論)を選択した。これは、報告者が俳句の実作者であることのみならず、次のような認識に基づくものである。つまり、①俳句が日本人の心象をよく表している芸能のひとつであること、②戦後、平和と芸術の問題について議論した桑原武夫の思考枠組は、ひとつの理念型を形成しており、したがって、たとえ直接のつながりがないとしても、今日なお、平和に関する理論および運動の内部に残存ないし残響しているものと思われること、③それゆえ、桑原の俳句批判を検討することによって、今日の日本における平和運動および理論と一般社会の基層との対立のあり方・その源泉を精査し、その対立を止揚する道を探ることができるのではないかということ、などである。
結論として、桑原の問題意識に一定の意義を見出しつつ、その敵対的・閉鎖的な手法に異を唱え、傾聴と発話を基調とする修復的な文化を構築していくことにより、平和というテーマと芸術・芸能との間に、また、いわゆる芸術と芸能との間に存在する緊張関係を乗り越えていくべきであると主張した。そして、あくまでひとつの例として、そのような修復的な文化の構築において俳句の果たすべき役割・具体的なプログラム等についても、提言を行った。ここで述べた俳句の例は、あくまでひとつの例にすぎず、様々な表現形式が、それぞれの場において、修復的な文化の構築に向けた戦略を練る必要があることはいうまでもないであろう。
次に、李氏による話題提供(時間制限のため奥本が日本語で代行)が行われた。日本、韓国、それぞれにおいて、また、東北アジア全体において、平和を共に創っていく作業が必要な時代がやってきた。世界各地にはすでに存在している平和トレーニングセンターがこの地域でも必要とされている。修復的関係を醸成し、紛争転換能力を身につけ、実際に実践していく若い世代を育成するためのプロジェクトが動き出している。このプロジェクトにおいても、芸術の要素を重要視している。ぜひ、協力してほしいとのことであった。
なお、分科会案内には「参加者全員によるワークショップを目指しますので、気楽な格好でオープンな態度をご持参ください!」と書いておいたからか、「面白そうと思った」という印象を持って参加してくださった方も多かった。しかし、実際のところ、ファシリテーターの力量不足と、学会内における分科会という枠組みの中での「硬い」雰囲気が払拭できず、また、内容的にも、RJに焦点を置くのか、俳句に焦点を置くのかなどと、参加者自身が議論に多少の戸惑いを感じたようであった。これらの点については、今後、工夫が必要だと痛感した。(宿谷晃弘、奥本京子)