日本平和学会2010年度春季研究大会
平和と芸術分科会
責任者:奥本京子(大阪女学院大学)
報告者:岡村幸宣(原爆の図丸木美術館・学芸員)
報告タイトル:「《原爆の図》のある空間から―丸木美術館で考える芸術と平和」
討論者:杉浦幸子(京都造形芸術大学/世界アーティストサミット、コーディネーター)
司会者:宿谷晃弘(東京学芸大学)
ニュースレター報告:
《原爆の図》のある空間から―丸木美術館で考える芸術と平和―
原爆の図丸木美術館学芸員
岡村 幸宣
2009年秋当分科会においては、「平和博物館研究の場をめざして」というテーマを設け、二種類の報告が行われた。これを受けて、2010年春の今回は、原爆の図 丸木美術館 学芸員の岡村幸宣氏による、平和博物館という現場での体験を中心に報告が行われた。
原爆の図 丸木美術館は、原爆投下後の広島の惨状を描いた丸木位里・丸木俊夫妻の共同制作《原爆の図》を展示する目的で1967年に建てられ、今も活動を続けている。岡村氏が丸木美術館に勤務することになったきっかけは、学生時に行った博物館実習であった。実情を知る機会の少ない小美術館に興味を持ち、丸木美術館で実習を行ったという。その機会に、人間のつながりによって運営されている美術館のあり方を知った。その後、ヨーロッパを自転車で巡った際に、地方の小美術館が文化を支えているという豊かさに心を打たれた。日本の美術館は交通の利便性や快適な環境が重視されるが、文化とは本来、それぞれの土地に生きる人間の生活から自然に発生するものであり、“現場性”にも注目する必要がある。そう思ったとき、丸木美術館で働く決意が固まったという。
現在という時代は、財政難のため小美術館が運営の危機にさらされる時代である。しかし、中央の大美術館が発信する情報に文化的価値観が一元化されることには危機感を覚える。むしろ異なる背景を持つ人への理解や共感を深めるという多様性が育まれるためには、小美術館の独自性のある活動こそ重視されなければならないだろう。
丸木美術館で働くようになって感じたことは、公共の“場”の意味であった。丸木夫妻の周囲には多くの人が自由に出入りする雰囲気があり、平和運動家や芸術的関心のある人、単なる友人・知人など、多様な背景を持つ人が共同で美術館という“場”を支え、育てていった。ここに来れば時間がゆっくり流れ、人間らしく生きることができる “場”。人間が人間に対しどうあるべきか、他者を受け入れるとはどういうことかを考える“場”。もちろん、誰もが同じ方向を見ているわけではなく、多様な人が集まれば常に問題は起こり続ける。しかし、岡村氏は、困難に向き合いながら粘り強く相互理解の努力を続ける繰り返しこそが“平和”の真の姿なのだと、肌身に感じるようになった。
《原爆の図》には、無数の原爆体験者の痛みや記憶が注ぎ込まれている。制作から60年を経た今もなお、人間的な感覚を通して戦争の記憶を伝え残す作品として重要な意味を持ち続ける。その存在の大きさは、来館者のほとんどが常設の《原爆の図》を観るために来ることからも感じられる。また一方では、しかし、それほど重要な作品であるために、絵を観る視点が硬直化しがちになるという問題を抱えていることは忘れてはならない。《原爆の図》が受容され続けるには、従来の言説を継承しつつも、絶えず変化する時代や環境の中で、新たな世代の心にも響く新鮮な視点を提示し続けることが必要だろう。
そうした問題を踏まえて、丸木美術館では企画展として《原爆の図》を現代に結びつけながら展開していく試みを行っている。「OKINAWA ―つなぎとめる記憶のために―」(2010年4月17日-7月10日)は、地上戦や米軍基地などの苦痛を強いられてきた沖縄の記憶を、芸術を通して再考するという企画であり、好評を博した。
芸術は、直接的に社会を変えることはできないが、偏見や権威にまどわされずに社会を見つめる自立した心を育てることはできる。丸木美術館が芸術を通して平和を考える“場”となり、訪れた人が世界中に生きる人びとのよろこびや悲しみ、怒りなどの感情を感じる心を育むことができるような活動を、今後も続けていきたいと岡村氏は考えている。
報告に続いて、杉浦幸子氏による討論がなされた。「ギャラリー・エデュケイター」であり、現在は芸術大学に勤務する杉浦氏は、芸術を鑑賞する側としての視点について、美術館・博物館という場について、作者が亡くなったあとの作品との関わり方について等、多岐に渡る論点や感想を提供した。また、15名の参加者による活発な議論が引き続き行われた。
今回の分科会は、前回に続き、平和博物館の研究と実践から学ぶ場として、貴重な場となったことと考える。平和・芸術・ミュージアムのつながりを、今後も設けていきたいと願っている。
平和と芸術分科会では、幅広く多様な内容・形式の報告・発表を歓迎します。報告希望者は、電子メールにて、okumoto(a)wilmina.ac.jpまでご連絡下さい。(責任者:奥本京子)